イベント嫌いは無価値観のせいでしょうか

相談者名
みか
会社員をしている32歳、既婚の女性です。
私は誕生日や記念日といったイベントが苦手です。自分の結婚式もやりませんでしたし、退職時の送別会ですら苦痛で、とにかく人から注目を浴びるのは嫌だと感じます。

子供の頃から誕生日を盛大に祝うこともなかったので、私のイベント嫌いは家庭の習慣のせいかと思っていましたが、心理学について知るようになると、実は「無価値感」のせいではないかと思うようになりました。もし治るのであれば治したいです。

両親は仲も良く、家庭のことで困ったことはありませんでしたが、思い返してみると、誕生日も志望校に合格した時も結婚すると伝えた時も、両親にお祝いしてもらったという記憶がありません。

それが私の「無価値観」を生んだとすると、結婚式や送別会が嫌なのは、「自分にはそんなことをしてもらう価値は無い」と思っているからでしょうか。でも他人から注目を浴びるわけではない結婚記念日もお祝いする気になったことがありません。バレンタインやクリスマスをくだらないと思うのも、それで自分を納得させようと思っているのでしょうか。
それに、仕事で評価されても素直に喜べなかったり、この程度じゃだめだといつも思ってしまうことにも無価値観がつながっている気がします。この半年ほどは、嫌なことがあると「消えたい」「死にたい」と思ってしまうようになりました。自分に価値がないから消えてもいいだろう、ということかもしれません。

考え方を直したりすることで、私の無価値観は消えるでしょうか。どのように考えていけばいいでしょうか。人並みに楽しめれば、毎日がもっと楽しくなるような気がしています。

カウンセラー
嶽きよみ
みかさん、はじめまして。
今回 担当させていただきます、嶽きよみ と申します。

みかさんのご相談を読ませていただいて、
みかさんが これまでの人生の中で、どれだけひとりで頑張ってこられたん
だろうかと感じました。

> この半年ほどは、嫌なことがあると「消えたい」「死にたい」と思ってしまうようになりました。

もしかしたら、こんなふうに 思うようになられたのは、
そろそろ これまでみかさんが持っていらした観念を「消す」「死なせる」時
が来て、生き方を変えていく時期に来たということなのかもしれませんね。

「イベント」というものが ずっと苦手だったとのことですね。

> 両親は仲も良く、家庭のことで困ったことはありませんでしたが、思い返してみると、誕生日も志望校に合格した時も結婚すると伝えた時も、両親にお祝いしてもらったという記憶がありません。

確かに、家族の中であまりお祝いする習慣がなかったとしたら、イベントごと
に対して、少し冷めた気持ちで見る癖がついてしまうことも 自然な流れかも
しれませんよね。

> バレンタインやクリスマスをくだらないと思うのも、それで自分を納得させようと思っているのでしょうか。

たとえば、イベントごとに関して「あんなことしたって何の意味があるのか」
とか、「時間もお金ももったいない」なんて感じで、おっしゃる方も 実はけ
っこういらっしゃったりします(特に男性には多いです)。

でも、そういう方の場合、そんなものは必要ないんだ、という理由づけを
過去のいつの時点か(その多くは子供時代)に決めてしまい、その観念をずっ
と使ってしまっていることが少なくないんですね。

心理学で言う、『合理化』というものですね。
合理化というのは、ひとことで言うと、“我慢するために自分を納得させる合
理的な理由付け”のようなものなのですが、

実は、合理化する以前には、「本当は欲しかった」という気持ちがかくれてい
たりするんですね。

もしかしたら、みかさんの子供の頃の経験の中で、お誕生日などのイベントご
とがないことを、淋しく感じたり、ほかのお友達なんかを羨ましいと感じる気
持ちがどこかにあったとしたらどうでしょうか。

それを感じなくするために、この「合理化」という方法を使ってきた、という
のが考えられるかもしれません。

もしそうだとしたら、その時は それでなんとか心を落着かせてきたけれど、
そろそろ その観念を解いて、本当に欲しかったものに目を向けられる時期が
やっと来た、ということなのではないでしょうか。

例えば、子供にとってのイベントごとのほとんどは、祝福を受け取る機会、と
言えるのではないかと思います。

お誕生日やクリスマスのプレゼントをもらう時は特にそうですね。
「何かをしたから」ではなく、ただ、存在しているだけで祝福される、という
感じです。

そこで子供たちは、受け取る練習をたくさんするのだと思います。

そんな中、みかさんの心の中にはそんな記憶がないということなんですよね。

> 思い返してみると、誕生日も志望校に合格した時も結婚すると伝えた時も、両親にお祝いしてもらったという記憶がありません。

みかさんの場合、もしかしたら、そんな“お祝いもしてくれない両親”のこと
を強く批判したり、責めたりすることも出来たかもしれませんよね。

でも、みかさんは、していらっしゃらない。
きっと 仲の良いご両親のことが大好きで、家族を愛していらっしゃるので
はないかと感じます。

それだからこそ、みかさんが、これまで「受け取る」という機会を逃してこら
れた理由に、ご両親を悪く言うのではなく、
「私には受け取る資格なんてないから」「私には受け取る価値なんてないから
」という意味づけをしてこられたのではないかと感じるんですよね。

そして、

> それに、仕事で評価されても素直に喜べなかったり、この程度じゃだめだといつも思ってしまうことにも無価値観がつながっている気がします。

と 書いてくださったように、

社会の中でも、もっともっと頑張らないと受け取っちゃいけないんだ、このく
らいで喜んでいてはいけないんだ、という思いが出てくるようになってこられ
たのではないかと思いました。

でも、受け取らずに頑張り続けるって、とっても苦しいし 辛いんですよね。

何も食べずに動き続けたとしたら、そのうち栄養失調で倒れてしまうのと同じ
ように、いつかエネルギーを切らして止まってしまいます。

心は形がないので、あの手この手で かなり頑張りをきかせることが出来るか
もしれませんが、それでもやっぱり限界はきます。

> この半年ほどは、嫌なことがあると「消えたい」「死にたい」と思ってしまうようになりました。自分に価値がないから消えてもいいだろう、ということかもしれません。

みかさんご自身でも、たぶん その限界を感じていらっしゃるのですよね。
だからこそ、きっと心理学を勉強されたりしたのではないでしょうか。

そんなみかさんの心に、私が必要なのではないかと思うキーワードは、『受け
取る』ということです。

ただ、「受け取る」ということは、心理学の本やカウンセリングの中でも 本
当によく出てくるのに、
とても抽象的で、意外と難しいことだったりもするんですよね。

例えば、「いつもよく頑張ってるね」と言われた人が、
「いえいえ 私なんて ちっとも頑張っていません」と答えたとしたら、
それは、言ってくれた人の言葉を“受け取っていない”ということになります

「大変そうだから手伝ってあげましょうか?」と誰かが言ってくれた時、
「いえ けっこうです、自分で出来ますから」と答えたとしたら、それも受け
取っていないことになるんですね。

「すごいですね」-「いえいえ 私なんて」

「よかったですね」-「これくらいじゃまだまだです」

など、みかさんが、これまでもしも、受け取ることが苦手なのだったとしたら
、まず『ありがとう』を言う機会を増やしていくことをおすすめしたいなぁと
思います。

それは、そんな大げさなことではなく、例えば、誰かがちょっとした気遣い
をしてくれたとき、「すみません」ではなく「ありがとう」と言うこと。

ちょっと頑張れば自分でも出来ることだけど、誰かを頼ったり お願いしてみ
て、それに対して おおいに感謝する、というようなことだったりです。

「ありがとう」という言葉は、「受け取る」ということの 最も象徴的な言葉
ではないかと思うんですね。

無価値感の強い人は、つい「すみません」という言葉が出がちです。
それは、こんな自分が迷惑をかけてしまっている、時間や気持ちを取らせて申し訳ない、というような感覚が無意識のうちに出てくるからですね。

もちろん、みかさんが「ありがとう」と言う機会だけではなく、「ありがとう
」と言われる身近な機会を増やすことでも同じ効果があると思います。

その場合は「ありがとう」と言われたことを、ただそのまま受け取るというこ
とが大切ですよ。
もし、この「ありがとう」を受け取れないと、「犠牲」しているような感覚が
出てきてしまいますから、そこは気をつけてくださいね。

「無価値感」を感覚的なところから改善していくには、セラピーを受けられる
ことが近道になるのではないかと思いますが、まず、日常の中で出来ることと
しては、使う言葉から少しずつ変えてみられることをおすすめしたいと思い
ます。

世界に一人しかいない みかさんには、愛される価値も、祝福される価値も、
もちろん存在価値も、ありあまるほどあるはずです。
今はピンとこないかもしれませんが、これから その価値を、少しずつでも 受
け取って行きましょうね。

ご相談 ありがとうございました。

嶽きよみ

この記事を書いたカウンセラー

About Author

柔軟な視点で問題を捉え「人間関係」「自己表現」「セクシャリティ」に関する悩みを多く扱う。 特に、現役で自身のビジネスも続けていることから、やりたいことを見つける、夢を叶える、など自己実現のサポートを得意としている。 「見た目の印象とは違い、声に癒される」との声が多く寄せられている。