自分が普通だったらという彼

相談者名
Windy
交際5年の外国人の彼(40歳)と私(38歳)の問題。彼には性格上の問題や精神的な難しさがあり、3ケ月住んで別れ4ケ月住んで別れ、今回も1年住んでやっぱりダメだと言われました。別れを決定的にするのはいつも彼ですが、私のことが嫌いで別れるというのではないので、別れてしばらくするとやっぱりまたお互いを想い希望を持って信じてポジティブにチャレンジするのですが、同じ結果に。

1.幼少期の両親の離婚でどれだけ母親が傷ついたかを見た・祖父母が不仲だったのにもかかわらず、無理して結婚生活を続けていた。自分は絶対にこういうことを自分のパートナーにはしたくない、特に子供が巻き込まれないようにするためにも、自分は子供を持たない。(でも心の底では他の人達が普通にしているように自分も温かい家庭を築きたいと思っていると思います。)
2.誰かと一緒に住むことで生じる口げんかや苛立ちが、同じ家に住んでいて我慢できない。相手が自分に対して怒るのがイヤ・自分も相手に対して腹を立てるのがイヤ、怒らせないよう怒らないようにしようと思うとストレスを生む。(これが起こらないようにするのは不可能だと分かっているので、自分は誰とも一緒に住めないと言います。)
3.コミュニケーション不足。私が彼の言うことを本当に理解しているか、毎回不信に思う。私が彼に精神的・知的繋がりを与えることができない。(これは私のせいではないと言いますが、私の思考能力・理解力不足などを指摘されているような気がします。)
4.「自分が普通の人間だったら、私と結婚して家族を持つことができたのに。」(私のことが嫌いなのではないので別れるのが悲しくて辛いです。)
5.自分自身を100%捧げることができない、それは自分が根本的にどこかおかしいからで、それが理由で誰かを愛することができない。(愛情がどういうものなのか分からないのかもしれません。)
6.私のことを幸せにしてあげたかったけど、自分は今幸せではない。私が欲しいもの(結婚・子供)を与えてあげられないことに罪悪感を感じる。自分の人生は台無しにしても私の人生は台無しにできない。(自分には責任があるので私のことはいつまでもヘルプしてケアする。)

カウンセリングはイヤ、誰も自分を助けることはできないと言います。

カウンセラー
池尾昌紀
池尾昌紀と申します。
ご相談ありがとうございます。

ご相談を読ませていただいて、本当に辛い状況におられると思いました。

一番の苦しみは、「彼が私のことを嫌いではない」のに、別れなければならない、というところだと思います。

彼は、あなたのことを、嫌いではない、というよりも、逆に「愛している」のではないでしょうか。

もし、この恋愛について、仲のよいお友達などに相談することができているとしたら、
おそらく、彼とは別れたほうがいい、と言われているのではないでしょうか。

状況的にみたら、つきあっていくことが難しい。
それはわかっていても、別れるのが辛く悲しいのは、お互いに愛し合っているから、なのだと思います。

これは本当に辛いです。

苦しいのは、こうした愛情だけでなく、「彼のことを助けたいのに助けられない」という思いもあるのではないでしょうか。

この二つが合わさっていれば、その苦しみは相当な大きさです。
その中でも、彼を愛し、彼を支え続けてこられたのは、本当に素晴らしいことだと思います。
こうしたご自身のがんばりを、どうぞ、ほめてあげていただけたらと思います。

その上で、少し考えてみていただきたいことがあります。
その愛の大きさ、優しさとは別の心理があるとしたら、それは何なのだろう、と。

それは、「彼を助けたい」という強い気持ちではないかと思うのです。

愛するが故に、彼を助けたい。
これは自然なことですよね。

自分のパートナーが、傷つき、誰も自分のことを救えないと絶望している時。

愛している相手なら、放って置けないと感じます。

その思いは大切なものだし、悪いわけではなく、むしろ、だからこそ愛が大きいという証であると言えるでしょう。

けれど、この思いが強くなりすぎると
「愛しているから」つきあっているというよりも、
「彼を助けたいから」離れられなくなるという場合があるのです。

そうした場合、つきあっている目的が、「愛しているから」というよりも、「助けたい」ことになってしまうことがあります。

この感情は、区別がしにくいので、とてもわかりにくいのですが、
場合によっては、彼が変わって別の人と幸せになれるのなら、それでもいい、とさえ思ってしまうこともあります。

また、場合によっては、「傷ついている相手ばかりを選んで恋愛をしてしまう」ということもあります。

こうした感覚があるとしたなら、それは自分の幸せよりも、彼を助けることが目的になってしまっていると言えるでしょう。

もし、そうであるとしたなら、なぜ、こうした行動を取ってしまうのでしょうか。

「誰かを助けたい」という強い思いがある時。

それは、

過去に助けられなかった誰かがいて、今、助けを求めている人にそれを重ねてしまう。
例えば、過去の恋愛、幼少期の親や兄弟などに対して、助けられなかった後悔や、当時は力不足で無理だった経験から、今度は助けたいという思いを持つ場合などに見られることがあります。

あるいは、

自分が助けて欲しいという強い思いがあり、それを、助けを求めている人に重ねてしまう。
つまり、自分を見ているように相手を見てしまうので、放っておけなくなる。

こうした心理を持っている場合があります。

もし、この感覚があるとするならば、恋愛というよりも、相手を助けることに強い思いを持ったり、相手を見捨てることができない強い思いを持ったりすることがあるのですね。

そうであるならば、自分の過去を整理したり、自分自身を助けるアプローチをすることで、この思いから抜けていける場合があります。

誰かのことを助けたい時。
私たちは、つい、自分を犠牲にしてしまいがちです。
我慢する、遠慮する、自分を後回しにして相手を優先する。

こうした「犠牲」のやり方では、誰かを救うことはできません。

なぜなら、相手のために犠牲をしてしまうと、
犠牲によって苦しむ姿を見て、相手を苦しめることになってしまうからです。

けれど、まず、先に自分が楽になっていくことで、
その心に余裕から、相手に何かできることがでてくるかもしれません。

また、自分が楽になっていくやり方や、その姿を見せることで、
相手は「こんな風に楽に変われるのなら、自分もやってみてもいいかもしれない」と
思えるかもしれません。

何より、自分が元気で、明るくなっていくことは、相手の喜びになります。
そのことが、その人に勇気を与え、変わっていこうとする思いにつながることもあると思うのです。

「自分を助ける」ことが、「相手を助ける」ことにつながることもあるのです。

そのためには、まず、自分の苦しみを誰かに話す、助けを求める、ということをしてみてください。
一人で抱えていては、なかなかできなことでも、誰かの助けを借りたり、誰かと一緒ならやりやすくなります。

今回、こうしてご相談をくださったことは、まさに、そうした第一歩だったのではないかと思います。

信頼できる友達や、カウンセラーでも結構です。

まず、ご自身を助けてあげていただきたいのです。

彼が一番できないことを、ご自身がやっていくことで、モデルになっていけるかもしれません。

もう一つ、お伝えしたいことがあります。

それは、「誰かを助けたい」という思いは才能であるということです。

「誰かの力になる」「誰かを助けたい、貢献したい」という思いを持つことは、才能です。

ところが、自分の心の整理や問題を癒していないと、それを才能としては発揮できにくくなります。

自分の心を整理して、癒していくということは、問題と才能を分けることにもつながります。

そうして初めて、「誰かの力になる」という才能を使えるようになっていけます。

Windyさん
あなたには、とても大きな慈愛と優しさがあります。
そうでなければ、こんなにも大きな愛で彼を支え続けることはできません。

そうしたあなたの魅力と才能を発揮していくためにも、ご自身のことを扱ってあげてください。

今回のお話が、少しでもお役に立てたなら、幸いに思います。

ありがとうございました。

 

この記事を書いたカウンセラー

About Author

名古屋を軸に東京・大阪・福岡でカウンセリング・講座講師を担当。男女関係の修復を中心に、仕事、自己価値UP等幅広いジャンルを扱う。 「親しみやすさ・安心感」と「心理分析の鋭さ・問題解決の提案力」を兼ね備えると評され、年間300件以上、10年以上で5千件超のカウンセリング実績持つ実践派。