かつて、私はインドに住んでいたことがあります。
インドでは、いろんな経験をしました。日本のインド料理レストランでは置いていないような不思議なインド料理やお菓子に挑戦してみたり、インド各地にたくさんの世界遺産を見に行ったり、とても大きな象に乗ってみたり、北部の山の中にあるチベット亡命政府へ一人旅をしてみたり、人生初の入院生活を送ってみたり・・・。
住んでいる時は大変な毎日を送っていましたが、振り返ってみると大変だった日々よりも、楽しい記憶がたくさんよみがえってきます。
インドに住んでいたと言うと、「インドに行くと、価値観が変わるって言うけど、どうだった?」とよく聞かれます。
ここからは私見も入るのですが、インドにはカースト制度があって、生まれたカーストの職業に就くことが大半です。例えば、工事作業者の家に生まれた人は工事作業者になるようで、女性も子供も工事現場で石を運んだり、作業をしているところをよく見かけました。
また、物乞いの家に生まれた人は物乞いをして生きているようでした。毎日のように、帰り道でたくさんの子供の物乞いにお金を乞われたことを思い出します。
物乞いの中には腕や足がない大人もよく見かけました。真偽のほどはよく分からないのですが、手足を切断した方がお金を恵んでもらえるからそうしている、と聞いたこともあります。
日々の中に、日本では見かけないような、そういったたくさんの人々がいて、私の価値観に影響を及ぼしたことは多分にあるだろうと思います。
価値観に影響を及ぼしたことと言えば、小さなことですが、仕事をしている中にもありました。
インドで仕事の研修を、大学院の新卒のインド人の同僚たちと一緒に受けていた時、一人の講師がやってきました。その講師は人柄は優しく良い人なのですが、説明がとても下手で、私たちは研修の中のプロジェクトをどう進めれば良いのか分からず、途方に暮れるほどでした。講師自身も内容や進め方についてよく理解していないことは明白でしたし、分からないことが多いまま自分たちでプロジェクトを進めるのはとても大変な作業でした。
実際に、その講師は、一生懸命教えてくれようとしていることは伝わってくるのですが、間違ったことを教えたり、私の同僚たちと揉めてもいましたし、教室の空気が険悪になることもありました。私も、他のクラスではもっとちゃんとした講師が教えているのに、この人が講師でちょっと嫌だなと思っていました。
数日かけてプロジェクトをなんとか終わらせ、研修が終わることになった時、同僚たちは皆とても楽しそうに講師と話し始め、一緒にわいわいとはしゃぎだしました。その様子を見ているだけで、皆がその講師を好きな気持ちは伝わってきましたし、自分たちの仲間の一人として、その講師を認識しているようでした。
私ともう一人いた日本人の同僚は顔を見合わせました。日本だったら、「あの人、嫌だね」という話になって、きっとこんな仲良く終わることはないかもしれないし、微妙な空気感のまま終わったのではないか・・・なのにインド人の同僚たちときたら、その講師と揉めたり、険悪な空気が流れたこともなかったかのような振る舞いでした。そのことに、私とその同僚は驚いたのでした。
聞いてみると、その講師はコンサルタントとして転職してきて、入社数日後にいきなり講師の仕事を任されたようで、彼には彼の事情があったようでした。
彼のできなかったこと、良くなかったことはそれとして、皆は彼のことを好きでいる。
逆に、私は、彼のできなかったことと良くなかったことだけで彼を判断して、彼にバツを付けていました。
なかなか難しいことではあるけれど、起きた一つの出来事だけで誰かを判断するよりも、お互いの気分も良いし、人間関係としても良いし、その方が良いよなと思えた出来事でした。
これは、心理学でいうところの「許し」にも繋がっていると、カウンセラーになった私は思います。
できないことも多々ありますが、それからは、一面で人を判断しないように心掛けています。
これからも、様々な考えや価値観を自分の中に取り入れて、より視野を広げられたら、と思っています。