相談者名 | わんたん |
昔からよくからかわれたり馬鹿にされたり、今でも悪口を言われることが 多いです。 自分の大人しい人見知りすう性格を変えたくて、 接客をしていることもあって良い人そう、仲良くなりたいと思ったお客さん(男女関係なく)に好意的な行動(恋愛感情ないしのです)をしてみても最初はいい反応が返ってくるのですが、 同僚に対してでもあまり感謝されてないと思う方が多かったです。 好意の返報性という言葉がありますが自分が好意を見せても相手からは 与えることに見返りを求めてはいけないといいますが、 相手から愛されたり気持ちが強すぎるのでしょうか? | |
カウンセラー | 小倉健太郎 |
わんたんさん、はじめまして。 担当をさせて頂きます、小倉健太郎と申します。 どうぞ、よろしくお願い致します。 からかわれたり、馬鹿にされたりすることや、せっかくの好意を受け取ってもらえず、逆に嫌われたりしてしまうなんて、そんな事をされてしまったら、何かしら自分の行動や行為に問題があるとか、自分の事を何かしら悪い人物のように感じてしまいますよね? さらに、わんたんさんには全く悪気が無く、むしろ、好意的な行動をしようと努力をされている訳ですから、そんなことが続けば、一体全体、何が良くて何が悪いのか分らなくなって、混乱してしまっても、仕方のない事だと思いました。 そんなに辛い思いをしても、それでも与えていこう、誰かを愛そうとして、悩んでいるわんたんさんは、本当に愛情溢れた、心の強い方なんだなと思いました。 そんな心の強いわんたんさんが、ご自身の才能や魅力に気が付き、それを上手に使うことによって、周囲の人にきちんと好意が伝わり、みんなから慕われ、仲良く出来るようになるには、どうしたらいいのかを考えて行きたいなと思いました。 それでは、どうぞよろしくお願い致します。 まず、初めにお聞きしたいのですが、わんたんさんが誰かをからかったり、馬鹿にすることがあるとしたら、それはどんな方に対してでしょうか? もしかしたら、わんたんさんは、人をからかったり、馬鹿にしたりなんてしない人なのかもしれません。 では、ちょっと想像して考えてみて下さい。 明らかに自分より立場の弱い人(お年寄りや子供など)と、自分より立場の強い人(先輩、上司など)とでしたら、どちらのほうが、からかったり、馬鹿にしたりしやすいと感じますか? いつも厳しい上司や、尊敬している先輩のちょっとしたミスなどは、ついついからかってしまいたくなりませんか?でもそれがお年寄りや子供だったら、大人気なくてからかったり、まして馬鹿にするなんて出来ないのではないでしょうか? では、別の質問です。 社会的弱者(障害を持っていたり、病気などで苦しんでいる人)と、健常者(いわゆる普通に健康な人)であれば、どちらのほうが、からかったり、馬鹿にしたりしやすいと感じますか? 何かが上手く出来ないとか、苦しんだりする事は、悩むことでないほど小さな事であれば、周囲の人が笑えるかもしれませんが、深刻な事であれば、そんな事は出来ませんよね? こんな場合ではいかがでしょう? 何かいい事があって喜んでいる人と、不幸があって落ち込んでいる人では、どちらのほうが、からかったり、馬鹿にしたりしやすいと感じますか? 不幸があった人なら慰めてあげることしか出来ませんが、幸せな人に対しては、やっかみも含めて、逆にからかいたくなること、身に覚えがありませんか? こうやって考えていくと、からかわれたり、馬鹿にされたりするのは、わんたんさんの事を本当に悪いと思っていたり、嫌いだからではなく、むしろ好意的に思われていたかもしれないなと思いました。 例えば、アメリカのメジャーリーグのある球団では、新人が入ってくると、歓迎の意味を込めて、まずは靴を隠すいたずらをするという つまり、わんたんさんは全くそうは感じなかったかもしれませんが、からかったり、馬鹿にするその行為は、実は、最初はその人からの”好意”だったかもしれないなと思ったのです。 であれば、わんたんさんが誰かに好意を差し出してるのに、だんだん受け取ってもらえななって、馬鹿にされたり、嫌われてしまったように、わんたんさんをからかった相手も、実は、わんたんさんに受け入れてもらえなくて、それが嫌で、結果的に悪口などに発展してしまった可能性があるかもしれないなと思いました。 この話がしたかったのは、わんたんさんをからかった人や、馬鹿にした人に対して、好意として受け取って欲しいという訳ではありません。 では、次は好意のやり方についてお話をさせて頂きたいと思います。 好意というものは、その人の一番の魅力を与えてくれるような好意が、一番嬉しいし、受け取りやすいと思うのですね。 例えば、歌が上手い人が苦手な絵を頑張って書いてくれるよりは、得意な歌を披露してくれたほうが、受け取りやすいし、より嬉しいのではないかと思うのです。 例えば、わんたんさんが重いものを運んでいて困ってる時に、誰かが手伝ってくれたとします。 そんな時、その人が体力のありそうな体格のいい人であれば、遠慮なく頼めるかもしれませんが、もし、か弱そうな、体力の無さそうな人だったとしたら、気持ちは嬉しくても、なんとなく感謝しづらく思いませんか? それと同じように、わんたんさんも、人に好意をするときは、わんたんさんの一番の魅力を知り、それを人に与えるようにすると、うまく行きやすいと思うのですが、いかがでしょう? そして、わんたんさんは、自分の魅力と言うのは、きちんとわかっていますか? もちろん、自分なりにあれだこれだという考えは持っているかもしれません。 しかし、その人の魅力は、最も人にかわかわれ、馬鹿にされている部分にこそ、一番の魅力が眠っていると思うのですね。 ちょっと思い出してみてください。 小学生の時、クラスで最初におっぱいが大きくなった女の子は、みんなからからかわれたり、馬鹿にされたりしませんでしたか? 人は案外、本当に魅力に感じる事は、恥ずかしくてついつい、からかったり、馬鹿にしてしまったりすると思うのです。 わんたんさんが、一番からかわれ、馬鹿にされたのは、どんな事でしょう? わたしは、そこにわんたんさんの本当の魅力と、人に与える好意のうち、本当に喜んでもらえるヒントが隠されているような気がしますよ。 わんたんさんが自分の魅力を今よりももっと開花させ、人からもっと喜んでもらえる好意を送れる様になる事をお祈りしていますね。 何かしらの参考になりましたら幸いです。 今回は、ご相談ありがとうございました。 |