自分の存在感

相談者名
ROSE
こんにちわ。社会人4年目の26歳女ローズと申します。
相談したいのは、集団の中にいる時も、その集団の中にいる個人個人の人と1対1でいる時もどうすれば自分として(自分はこれでいいと実感できる)存在できるのかということです。

例えば、
会社で上司と外出することになったら、どんな自分でいれば(どんな受け応え&発言したらいい関係が築けるのか)大丈夫なのか。話が終わった後はこれでよかったのかなと終わるとホットします。

集団ではイマイチ自分のポジションがわかりません。

又、会社では特に課長に新入社員の子の仕事どう?等、人について聞かれた時が一番苦手です。悪く言っていけないけど、無理によくも言えない。自分も新入社員の子から見て上の立場であり、上司には”主導権をもて”と言われるが、主導権を握るって聞くと上から人をねじ伏せて何でも言うことを聞かせる&人の自由を奪うというイメージです。実際はそういうのとは違う意味なのかもしれませんが、どういう行動をするのがふさわしいのか・・。
初対面だと、信頼されてる&期待されてる感じがして重いです。信頼感がなくなって、話しかけられなくなるとほっとしてしまいます。
あと私は人と物の貸し借りをするのが嫌です。いつ返ってくるのか不安だけど、返却期限を約束するのも嫌らしいと思うので。
そして人よりも貯金癖があると思います。いざという時のためにとっておかないとと思います。欲しいものでも簡単には購入しません。ちょっと後輩に買って~と言われると、自分のものは自分で買ってと思います。
自分をもってかれないように気をつけなきゃという感覚で人と接しています。
信用&信頼していないのに、信頼しているフリをしているから疲れるのか。
誰かと付き合って結婚するとしても自分の生活に旦那さんのお金を使うことも信じられないし、信頼して付き合っていけるのか不安です。
相手と何かあっても自分が悪かったのかなと思い、相手と自分の家族にねじ伏せられてしまうと思うと、誰とも付き合えません。

どうすれば自分も相手も皆も居心地よい場所が作れるのでしょうか?

カウンセラー
鶴園みあ
ローズさん、はじめまして。
お返事をさせていただきます、カウンセラーの鶴園みあと申します。
このたびは、ご相談をお寄せいただき、本当にありがとうございます。

メッセージを拝見していて、ローズさんは、本当に優しい人なんだなと感動しました。
とっても繊細で優しくて、周りに気遣いのできる、素敵な女性です。
その繊細さと優しさゆえに、周りの期待や信頼に応えたい、周りの人を傷つけたくない、裏切りたくない、力でねじ伏せたくない、という思いが強いようです。
そして、いつも、周りが自分に何を求めているのか、何を期待しているのかを慮って、ご自分の取るべき言動を決めてこられたようですね。

でも、あまりにも周りの期待や信頼に敏感に反応しすぎて、プレッシャーを感じてしまい、人といるといつも落ち着かず、気疲れしてしまいませんか。
そして、その気疲れのせいで、人間関係が億劫になり、「あまり人と近づきたくないなあ」と感じられている部分もあるようですね。

また、ローズさんは、周りの人の期待に応えることを優先するあまり、ご自分の考えやお気持ちを全く後回しにされていませんか。
それはつまり、ご自分の取るべき言動を決定する際の「基準」を、ご自分以外の人間に置く、つまり、「私がどう動くかは、他人次第」ということですから、なんだか、ご自分の人生が周りに翻弄されているようで、心もとない、不安定な感じがすると思うんですね。
しかも、それが、上司の方などと1対1なら、「基準」がその方お一人だけですから、まだよいのですが、集団の中にいると、この「基準」は人数分あることになるので、どの「基準」に合わせたらいいのか、ご自分のポジションが分からなくなっても無理もありませんよね。

メッセージからは、そんなローズさんの、「いったい、どう動けば?」という困惑、混乱、「これ以上、人に振りまわされたくない」というウンザリ感、嫌気、疲弊、「自分らしく自由に生きたい」という強い願望が感じられます。
本当に、今まで周りの人のことばかり気になさって、とても窮屈で、生きづらかったですよね。

そんなしんどい状況にあっても、ローズさんは、「どうすれば自分も相手も皆も居心地よい場所が作れるのでしょうか?」と、ご自分だけでなく、周りの人も幸せにしたいと、まだ望まれているんです。本当に優しい方です。

でも、今のローズさんのやり方だと、「自分も相手も皆も居心地よい」状態には、ならないんです。
というのも、「周りの期待に応えなきゃ」とご自分を殺して周りに合わせているときのローズさんって、どんな表情をしているか、ご存知でしょうか?
ちょっと不自然な愛想笑いだったり、気を遣っているような表情だったり、申し訳なさそうな顔だったり、しんどそうな表情だったり、周りの顔色をうかがっておびえた表情を浮かべていたり、少なくとも、心の底からの笑顔ではないではないと思うんですね。

そんなローズさんの様子を見て、周りの人はどう感じるでしょうか?
「私たちに気を遣っているなあ」「私がローズさんをしんどくさせてるのかなあ?」「どうして、あんなにビクビクしているのだろう?」「もしかして、私のこと怖がってる?意地悪な人だと思ってる?」「私のこと、嫌いなのかな」など、申し訳なく感じたり、自分たちが暴君になったように感じたり、なにかローズさんとの間に心の距離を感じたりするのではないでしょうか。

せっかくローズさんが周りの人のために頑張っても、周りの人は素直に喜ぶことができず、むしろ、ローズさんと同じように、居心地が悪くなるかもしれないんですね。

それって、ちょっともったいないですよね。
ローズさんのその優しさや愛を、周りの人がちゃんと受け取れないのですから。

周りの人に、ローズさんの優しさや愛をちゃんと受け取ってもらって、居心地よくなってもらうには、ローズさんがご自分を殺していてはダメなんです。
「自分も相手も皆も」居心地のよい状態を作るには、まず、ローズさんが自由になる必要があります。
そして、そのためには、ローズさんの言動を決める「基準」を、他の誰でもなく、ローズさん自身に置く必要があるんです。
つまり、周りの人の期待よりもまず、ローズさんがどうしたいのか、どう考えているのか、どう感じているのかを大切にするということなんです。
それによって、ローズさんは自分らしく自由に生きられますし、ご自分の人生を他人に翻弄されているような不安定感もなくなりますし、「基準」が多すぎて自分のポジションが分からなくなるということもなくなります。

一般的に、幼いころにお父さんやお母さんのしつけが厳しくて、ちょっとでもご両親の期待に添えなかったときに、見捨てられるのではと思うくらいにきつく叱られたり、失望されたりした経験があると、「期待に応えられないと、私は価値がないんだ」という誤解が生まれ、大きくなってからも、周りの人の期待に応えようとばかりしてしまうことがあります。
また、お手本になるべき身近な大人(たとえば、お父さんやお母さん)が、いつも周りに気を遣って、ご自分を後回しにする人だったりすると、幼いころからそれを見て育ったために、自分も同じようにふるまってしまうということもあります。
ローズさんも、なんらかのご事情があって、ご自分を後回しにするようになられたのかもしれませんね。

でも、あなたは、誰かの期待に応えるから価値があるのではなく、あなた自身でいることそのものに価値があるのです。
長年のあいだに培われてきた「周りの期待に応えられない私には価値がない」という誤解は、そう簡単に解けないかもしれませんが、どうか、このことを頭の隅に置いていただいて、いったん、周りの期待や信頼に応えるのをやめることを、ご自分に許してあげていただきたいんですね。
そろそろ、自分の人生を生きることを、ご自分に許してあげてくださいね。

・・・というアドバイスを聞かれて、「でも、自分の考えや意見をそのまま出して、上司や周りの人と対立したら・・・。そのせいで、みんなの気分を害してしまったら・・・。」という恐れが、ローズさんの中にふつふつと湧いてきているかもしれませんね。
無理もありません。誰でも、それが怖かったりするんですよね。
ただ、ローズさんの場合、この恐れがとても強いように思われます。
ローズさんがご自分を後回しにするのをやめるには、この恐れを取り除く必要があるのかもしれませんね。

もしかしたら、ローズさんは、ご自分が何か考えを持たれているとき、あるいは、それを口になさったとき、他の誰かから、異なる意見が出されたら、「私の考えが否定された、攻撃された」と感じて、とても傷つくのではないかなと思うのですが、いかがでしょうか。
あるいは、「相手が私の考えを否定した」と感じる代わりに、ローズさん自身が「あの人が違う意見を言っているのだから、私のこの考えは間違っているんだ」とご自分の考えを否定したり、攻撃したりして、そのまま相手に反論せずに、従ってしまうのではありませんか。
もしも、そうだとしたら、「私だって、とても傷つくのだから、他の人だって、きっと傷つくに違いない」と思って、ご自分の意見を他の人に言うのが怖くなってしまうんですね。
また、「私だって、人から意見を言われたら、反論できずに我慢して従ってしまうんだから、他の人だって、そうしてしまうに違いない」とか「私だって、上から何か言われたら、反論できずに“ねじ伏せられる”んだから、この人たちだって、私が何か言ったら、それに“ねじ伏せられてしまう”に違いない」と思って、特に、後輩や新入社員さんたちなどに、ご自分の考えを言えなくなると思いませんか。

ローズさんの「私が自分の考えを出したら、周りの気分を害するかもしれない、周りを傷つけるかもしれない」という恐れを解消するには、ローズさん自身が、誰かから対立意見が出されたときに、「私の考えを否定された」と感じて傷つかなくなること、そして、ご自分の意見をご自分で全否定して、やみくもに我慢して相手に従ってしまわないようになること、が必要なのかもしれませんね。

そもそも、私たちは、千差万別の生い立ち、生活環境、立場を生きていますから、ものごとの捉え方、考え方もバラバラで当然なんですね。だから、当然、意見も対立します。
でも、それは、多くの場合、どれが100パーセント正しくて、どれが100パーセント間違っているということはなく、どれもある部分では優れていて、ある部分では不具合がある、というものなんです。
だから、あなたの考えや意見も、良いところ、素晴らしいところがあって、仮に、誰かが、それと異なる意見を出したとしても、それは、あなたの考えや意見を全否定するものではなく、「こういう考えもあるよ」という異なる個性の提示にすぎないんですね。
そして、もちろん、相手の意見にも、うなずけるところ、素晴らしいところがあるでしょうから、互いの意見をすり合わせて、両方の良さを兼ね備えた、第三の案を生みだせばいい、ただそれだけのことなんですね。
だから、「私の考えが否定された」と傷つく必要も、「私の考えが間違っているんだ」とご自分で全否定する必要も、やみくもに我慢して服従する必要もないんです。

ですから、最初はとても怖くて、勇気が要ると思いますが、少しずつ、「私は、こう思うんですよね」「こんなのは、どうでしょうか」と、ご自分の意見や考えというものを出していけるようになるといいですね。

まずは何よりもご自分の考えや気持ちを大切に、自分らしさを出してみる、そして、もしも、周りの人と対立することがあれば、無条件に服従するのでもなく、逆に力でねじ伏せるのでもなく、互いの考えをつきあわせ、「確かに、この人の考えにも一理あるな」と感じる部分は柔軟に取り入れ、互いに納得できるような新しいやり方を編み出していく、そんな生き方ができたとしたら、ローズさんも自分らしく自由でいられますし、周りもまた、そんなローズさんの優しさに包まれて、幸せになれると思いませんか。

そして、そんなローズさんの生きざまを見て、後輩や新入社員さんたちは、「こういう生き方もありなんだな」「そうか、そういうふうにするといいのか」とお手本にして、後に続くかもしれません。
「こういう生き方もありなんだよ」「こういう働き方をするといいんだよ」ということを、ご自分の生きざまで示していく、率先して実践していく、お手本になる、それこそがリーダーシップであり、「主導権を握る」ということなのではないでしょうか。

ローズさんは、繊細で、優しくて、周りの幸せや平和をいつでも願っている、そんな人ですから、「自分も、周りも、誰一人として犠牲になることなく、自由で幸せになれる生き方」のリーダーシップを取るにふさわしい人です。そんなローズさんが主導権を握ったとしても、誰かをねじ伏せたり、傷つけたりするようなことは、絶対にありません。

だから、安心して、ご自分を信頼して、ご自分というものを表現することにチャレンジしてみてくださいね。

このたびは、ご相談いただき、本当にありがとうございました。

鶴園みあ

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。