いづみさん、はじめまして。 中原謙一と申します。 よろしくお願いします。さて、いづみさんからのメールを読ませていただいて、いづみさんの持ってい る繊細さと純粋さにとても魅力を強く感じました。 なぜなら、いづみさんの持つ純粋さは自然なものだからだと思います。 多くの人は『本当は嫌なんだけれど、仕方がないから』と言うように、社会や 文化の中で決められた暗黙のルールを自分自身の中に取り入れすぎてしまい、 その結果自分の心にどんどん嘘を重ねてしまう事が多いのです。 社会や文化が作ってきた暗黙のルールのようなものと言うのは、何百年も前に あった社会の制度がそのまま引き継がれてきたものもあり、そのルールに添わ ないようにするのは、まるでルール違反や異端の扱いをされる事もあるかもし れませんし、中には周囲の人から誤解を受けてしまったりと、中々苦しむ事も 多いと思います。 そんな中で、いづみさんもまた苦しんだり、自分自身が分からないというよう な悩みを深めてしまった事もあったのではないでしょうか。 それでも、いづみさんは自分自身の心に嘘をつく事をせず、強く自分を持って 生きてこられた事を感じて、とてもその純粋さの魅力を感じたのです。 ところで、メールから感じたのは、いづみさんが一番怒りや抵抗をを感じてい るのは、社会や文化が作り出した『女性性=ジェンダーの思想』ではないかと 感じたのですが、違うでしょうか? このジェンダー思想ですが、日本が持っているジェンダー思想と他の国のジェ ンダー思想では違う事があるんです。 例えば、日本の場合、男の子は野球やサッカー、戦隊ヒーローごっこといった 遊びを好み、女の子は人形遊びや、おままごとを好むと思われがちですが、他 のある国の場合では、それが全く逆なんですよね。男の子がお人形遊びをし、 女の子が外で狩りごっこをして遊ぶという文化があるそうなのです。 そして、日本の場合男の子が泣くと『男の子は泣くんじゃない!』と言われて しまったり、女の子が少し活動的な言動をすると『おてんばで恥ずかしい!』 などといわれた時代もあったのですが、どこかの国ではその全く逆で『女の子 なんだから、はっきりと物を言って、意見を言わなくてはダメだ!』と躾られ る文化もあるというのも聞いたことがあります。 この例からも、ジェンダーと言うのは、その国々の社会の構造や規範によって 『作られた性差』ともいえるのかもしれません。 いづみさんが自分自身を分からなくさせてしまっている理由に、この『作られ た性差』によって、自分自身を判断してしまったり、悩みを深めてしまったり している可能性を感じたのですが、どうでしょうか。 そして、もしそうだとしたら、それは本当に勿体無い事です。 だって、社会や文化が勝手に作ってきたものなのですから、それに全員が当て はまらない事は本当は自然なのではないでしょうか。 例えば、身長や体重の平均値だって、全員の値を単純計算によって出した値で すから、全員の値がそこにぴったり一致なんてするわけがありませんからね。 いづみさんの魅力は、誰でもないオリジナルの魅力、いづみさんだけの魅力な のだと思います。魅力って、他の万人と全く同じではない所にもその魅力が際 立つ、というのもあると私は思いますからね。 ですから、例えばメールに書いて下さったような『お茶くみも、コピーも女性 の仕事だ!』なんて、古くさくてナンセンスな考え方に従えなくたって、自然 な事だと思うんです。 ニセモノの女性性(ジェンダー論)で本物の女性を定義できるわけがないので すから。 お茶を入れてあげるのはその時できる人がやればいいし、コピーだって手が空 いている時に空いている人がやればいいだけのことだと思うんですよね。 もし自分がお茶を飲みたい時は自分で入れるというのもありだと思います。そ して、自分ひとりで飲むよりは誰かと一緒に飲んだ方が美味しいなと思うのだ ったら、周りの人にも入れてあげるのも良いと思います。 そんな風に臨機応変に、いづみさんの『気持ち・気分』を最優先して決めても 私はまったく問題がないと思います。 だって、社会や文化が決めたからといって、それに従わなくてはならないとい う法律も決まりも実はないんですから。 もしも、古い文化発想を持ち出して、文句を言う人もいるかもしれませんが、 それは『きれいな女性のいづみさんにお茶を入れてもらったら嬉しい』と言う 本音が言えない恥ずかしがり屋さんが、本音を言わずに、なんとかして自分の 希望を叶えてもらおうとしているだけなのかもしれませんからね。 時として『ジェンダー思想』と言うのを、自分の言い訳や都合の良いように使 う人もいますからね。恥ずかしがり屋さんなのかもしれませんが、そういう人 は基本的に放っておいても構わないでしょう。イライラするのも肌に悪いです からね。 裏技としては、そういう人を適当にあしらって、放ってじらしておく『放置プ レイ』として、いづみさんが楽しんでしまってもいいかもしれませんよ! 素直じゃないのね!ってね。 さて、ここまでは、文化や社会が『作り出した性差=ジェンダー』のお話をし ましたが、今度は文化や社会の規範とは全く違った『人間の自然な性差=セク シャリティ』と言うものもお話させてくださいね。 前者が人工化合物だとすれば、このセクシャリティーと言うのは、混じりけの ない天然のものとイメージしていただけたら分かりやすいでしょうか。 このセクシャリティーと言うのは、女性が人間として本来持っている魅力とも 解釈できるのですが、簡単に言ってしまえば『エロい』というのもその1つだ と思います。 男性女性に限らず、人間全て『エロい』のは大好きです。 当然私も大好きです。 そこに正直になれなくて、自分自身の魅力を閉ざしてしまう人も多いのです。 そこで『エロい』と言われる事が嬉しい、そう感じられるいづみさんは自分の セクシャリティーにオープンである方だと感じました。 何より、これもまた、いづみさんの大きな魅力の1つだと思います。そして、 この魅力は男性女性、どちらにも通じる大きな魅力だと思います。どうぞ、自 信を持ってこれからもどんどん魅力的になってくださいね。 セクシャリティーや『エロさ』と言うのは、実は『こうである』という理論や 形に囚われないものでもあるのですよね。 ですから、時には王子風なファッションを楽しむのもよいでしょう。 時には自分の持つ自然なセクシャリティーの魅力をどんどん楽しんで、『エロ い』服装や化粧をどんどん楽しんでみるのもよいでしょう。 自由に、その時々でいづみさんの魅力を十二分に表現してみてくださいね。 自然体である事。これが活き活きとしたセクシャリティーに磨きをかけるコツ でもあります。いろんな部分があってどれもいづみさんが持つ魅力なのですか ら、それを1つに固定してしまっては、せっかくの魅力が勿体無いですからね。 ただ、『エロさ』という魅力は、厄介なことに、いづみさんの好みではない男 性がいづみさんのセクシャリティーに引き寄せられてしまう事もありますから、 その点は充分に気をつけてくださいね。 こんな風に、いづみさんは、形に囚われない沢山の魅力を持っているのです。 そして、いづみさんは造られた女性ではなく、まがいもなく真の人、真の女 性性を持った女性なのでしょうね。 ジェンダーなんて社会や文化が決めた『入れ物』にすぎません。 誰かが勝手に作った古臭い『入れ物』自分を無理やり当てはめようとしたり、 嫌悪するあまり、自分に規制をいっぱいしてしまったりもする必要もないほど 実はちっぽけなものだと思うんですよね。 いづみさんが自身が『自分自身がわからない』と混乱を感じている理由に、も しかしたら『ジェンダー論』という入れ物に自分を当てはめてみようとしたり 規制をかけてしまっている可能性もあるようにも感じます。 一番大切なのは、いづみさんにとって『どんな事が心地よいか』『どんな事が 楽しいか』『どんな事が好きなのか』『どんな時が嬉しいのか』と言う心の中 の本当の声だと思うんです。 どうぞ、自分ってこういう人間なんて決めつけてしまわず、これからもどんな 自分が出てくるか?自分自身を発見する事を楽しんで下さいね! きっといづみさんなら、豊かで楽しい人生が過ごせると思いますからね。 最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。 魅力いっぱいのいづみさんの幸せへのご参考になれば、幸いです。 ありがとうございました。 |