自分との付き合い方

相談者名
みおり
初めまして。
30代後半なった今も同じことで悩んでいるような気がしています。
いつもどんなことで悩んでも結局は一つのことを乗り越えていないからではないからではないかなぁ、と思うのです。
それが何かは漠然としていて分からないのですが。
・・・・分からないというよりもそのドアの前まで行きはするけど開けたことがないというか。
(時間軸も中身もあちこちに飛ぶかもしれません。申し訳ありません。)
自分なりに考えてみると“自分”との付き合い方が分からないということになるのかもしれません。
人間関係で、ある程度の距離を置いている間はいいのですが時間が経ったりすると
ほぼかならずと言っていいほど気まずくなったり疎遠になったりするのです。
「協調性がないのでは?」とか「そもそも協調性って何?」とか「私の根性が悪すぎるから?」と考えてしまうことが多く、人ときちんとお付き合いができればいいなぁと思う反面「またやってしまうかも」と臆病風に吹かれてじっとしていたりします。
原因は小中学生のころにいじめられたこと、初潮を迎えた時の母の言葉「安売りをするんじゃありません」、思春期の頃は「自分のことをちゃんとできないのに男の子とお付き合いするなんて!」と何故か思い込んでいたこと、そして恋人がいるように思われるばかりで実際は現在までお付き合いをしたことがないこと、パワーが強すぎるから引かないとと言われて理不尽だなぁと思った事・・・・・大きいもの小さいもの数々あるように思います。
何度も何度も同じ場所で壁にぶつかってしまってつくづく成長がないと思ってしまいます。

支離滅裂な内容で申し訳ありません。
読んでいただいてありがとうございました。

カウンセラー
根本裕幸(退会)
みおりさん、こんばんわ。根本裕幸です。
お返事お待たせしました。
ご相談ありがとうございます。

親の一言や、自分でなんと無しに感じてた言葉によって自分を縛ってしまうことってありますよね。
ある時期まではその言葉も有効なケースが多いんですが、ついつい気が付けば、縛られたまま、自分を縛り付けたまま時が流れてしまうことも少なく無いようです。

そうして自分を縛ってしまうと、どうしてもその時々の自分の考えの中から飛び出すことができなくなってしまうこともあるでしょう。

> ・・・・分からないというよりもそのドアの前まで行きはするけど開けたことがないというか。

もしかしたら、そのドアを開けて、外の世界に飛び出してみることなのかもしれませんね。

> 人間関係で、ある程度の距離を置いている間はいいのですが時間が経ったりすると
> ほぼかならずと言っていいほど気まずくなったり疎遠になったりするのです。

人に対して知らず知らずのうちに壁を作ってしまうことはありませんでしょうか?
その壁の外では大丈夫だけれど、距離が近づいてくるにつれて壁の中に人を入れることが怖くなってしまうのかもしれません。

また、時間が経っても、壁の中に人を入れてあげないと、相手の方はイライラしてしまうことになるかもしれませんね。
「いつまで経っても心の内を見せてくれない」という印象を与えてしまったり、「仲良くなりそうになるとさっと引いてしまう」という風に捉えられたりしてしまうこともあるのかな、と思います。

どちらも親密感に対する恐れが隠れているような気がするんですよね。
幼い頃から家族との距離感が開いていたり、孤独感や分離感をいつも抱いていたようなところってありませんでしょうか。

> 何度も何度も同じ場所で壁にぶつかってしまってつくづく成長がないと思ってしまいます。

そういうときは一人ではその壁を乗り越えられないところなのかもしれませんね。
こうして誰かに頼ってみる、相談してみる、聞いてみる、というのはなかなか勇気の要ることだったかもしれません。

まずは、みのりさんが人に対して期待してしまうこと、求めてしまうところがあるかどうか、チェックして見られてもいいかもしれません。
自分を分かって欲しい気持ち、認めて欲しい気持ち、大切にして欲しい気持ち、色々な欲求がそこには隠れているのかもしれません。
その気持ちにまずは素直になってみると、少しずつ壁がほぐれて柔らかさが出てくるかもしれません。

また、時間をかけてもじっくりそこにチャンレジされるならば、面談などの方法も検討してみられるといいのではないでしょうか。

ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

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