母の言動を客観視したい

相談者名
らくになりたい
50代主婦です。
母との関係に改善の余地があるのか、どこを変えれば改善するのかを知りたくてお尋ねします。

両親と姉妹2人の4人家族で、ごく普通のサラリーマン一家で育ちました。
父が数年前に他界し、母一人になったため、夫と母の3人の同居暮らしが始まりました。子供時代には見えなかったもの、成人し独立してから気づかなかった、又は見ようとしなかった母の性格、素性をみて驚き、呆れ、今は次第に憎しみに変わっています。つらいです。

母は自分のことしか見えず、注意欠陥様の性質で人の話を最後まで聞けません。知識が浅く、理解できない場合に分かったふりをするので相手を混乱させます。世間の常識がわかっていません。判断の基準が自分にありません。頑固で見栄張りです。困ると何か別の物や人のせいにする癖が染みついています。

母は、戦争中に子供時代を過ごした農家の育ちで、勉強は不得手だったそうですが、資格を持ち70才頃まで働きました。職場ではそれなりに頼られてきたと思います。にこにこしているので人に好かれる傾向もあります。家事は総じては標準的にできていたし、父がお金の管理をし(母は何もわからず運用されていました)経済的に困窮することもなく、平和に育ったと感じています。

今から思うと表面的には父の愛情だけで私は育ったかもしれません。母は褒めることも、勉強を促すことも、挨拶以外の世間の常識を教えることもありませんでした。母が料理に力をいれたことには感謝していますが。

状況は認識できていて、やるべき事も分かってきている気がするのですが解決できません。毎日、聞いた振りをされ、ごまかされ、その上に知能が低い、と腹をたてています。私がごまかすことが嫌いなので、腹が立つのだとは思います。さらに母似で頑固なので解決しないのかもしれません。

人は長所・短所あり良いところだけを見る、重大な事ではないから気にしない、どうせこれから変われないから考えない、障害かもしれないからそのように扱う、インナーチャイルドを癒してあげる、自分が楽しくなるよう目を向ける、マーフィー、ブッダの考えなどを読んだり、試してみました。実は自分の問題なのでそれを解決する、ことは上手く理解できていません。

どのように変えれば、無駄な怒りを抑えて楽になれますか?よろしくお願いします。

カウンセラー
三好成子
《らくになりたい》さんへ。
ご相談ありがとうございます、三好成子と申します。

実は、このご相談を拝見したときに
「あれ?昔の私のメールが タイムカプセルにのって今届いたのかしら?」
と思うくらいそっくりな母を持ちます。

私と少し下ですが同年齢の《らくになりたい》さんです。
その世代の親というのは、多かれ少なかれ似たような性格になるのかな?と思います。

タイトルに書かれていらっしゃるように
『母の言動を客観視したい』というすばらしい気づきを得られていますので
すでに今までたくさんの知識を得ていらっしゃるのですね。
何とかしようと努力をされてきた様子が 伺えます。

何を何とかしようとされてきたのかと言いますとね

母を愛したい。
無条件に母親を愛し続けていきたい、今までのように、これからもずっと。
母がこの世を去るその時に後悔しないように。
ということなのかな?と思いました。

今回のご相談は、私の数年前とほとんど同じ心情のために、もしかすると
ものすごく私の私情が混ざるかも知れません。

それくらい、数年前の私なのです。

『母は褒めることも、勉強を促すことも挨拶以外の世間の常識を教えることもありませんでした。』
このあたりなどはほぼ私の母です。

そうなんです、私たちの年代の母親は
母親自体が『母は褒めることも、勉強を促すことも、
挨拶以外の世間の常識を教えることも』されてこなかったのだと思います。

思い出してみてくださいね。
私たちは、高度経済成長期に生まれたか育ったか。
そういう時代に彼女たちは子育てをしているんですね。

今のように情報があふれている時代とは違い、限られた状況の中
物質だけが巷に溢れ、物を得ることで家族を幸せに出来ると
『思い込まされてきた』世代なのです。

どう育てればいいのかわからない、サンプルもないまま
自分の親の育て方は参考にはならないことを薄々気づきながら
時代はどんどん変化をしていく中で試行錯誤だったのだと思います。

こんな時に都会と田舎の生活ギャップもすごかったと想像します。
もう、時代についていくだけで精一杯だったのかな?と思うのです。
その前の祖父祖母の時代はというと
生きていくだけで精一杯だったのかな?と思います。

そうなんです
心の教育と言いますか、今のように個人を大切にしていくという
そういう教育方針ではなかったのだと思います。

それはそれでよかったのです、母の時代は。
でも、どうでしょう?

親子の関係もどんどん変わって行ってますよね。
でも、母親の時代の親子関係というのは、上下関係であって、
親は常に子供より上でなければならないと思い込んでいる様子なのです。

私たちの子供の方にもその感覚があって
親は親らしく、威厳をもってなんでも知っていてほしいという
親への期待、完璧主義を持ってしまうこともあるようです。

親は親らしくなんでも出なくてはいけないというようなそういうものですね。
知らず知らずのうちに私たち子世代が作った親の理想像を当てはめているようなのです。

今までの母親は、母親でなくてはならないという縛りの中で
必死でその体裁を繕って、できないことも出来る振りをして
能力以上に頑張ってきたのだと思います。

まず、その部分を必要以上に認めてほしいのだと思うのです。
そこをちゃんと認めてあげないと、
ずっと「私は素晴らしいでしょ?」と言い続けていくように思います。

確かに頑張っていたのですが、私たちはそれを当たり前の様に受け取ってはいないでしょうか?
母だから、これくらいの事を出来て当たり前だったんだと。

でも、母も、もしかしたら
出来の悪い普通の女の子だったかも知れませんよね?

妻が家計を任されることが多かった時代に夫の管理のもとに困窮することもなくここまで来れたということは、
とても幸せで会たことには間違いはないのですが
自分は何もできないのではないか?
役立たずなのではないか?
という不安もあったのではないかと想像してしまいます。

そうなると
『知らない』ことへの恐怖、嫌悪感は相当強いと想像されます。
頑固さはお母さまにとっては恐怖感の表れかもしれませんね。

『毎日、聞いた振りをされ、ごまかされ、その上に知能が低いと腹をたてて』いらっしゃることについても
母は、もっと素晴らしいはずだ
ごまかしたりするような弱い人ではないはずだ
という 理想のもとに腹が立っているのだとしたら

《らくになりたい》さんにとってお母さまは自分の理想の人であって
理想のひとであり続けて欲しいのに、感謝させ続けてくれないという

愛したい気持ちからくる怒りなのだと思います。
その怒りは 愛です。
なので、怒ってもいいと思います。

ただ、そこそこの年齢の母親に対して、正面切って怒りをぶつけるということは
個人的にはあまり賛成しません、自分のことと置き換えてしまいますが。

もう幾年もない命というものを意識してしまう私がいますので・・・。
ここは弱気で申し訳ありません。
が、
心の中ででも、例えば自分の子供さんがいらっしゃれば子供さんに、またはご姉妹や、ご主人にでも
「お母さん(おばあちゃん)感じ悪いよね!相当我慢してるけど、もう余命も限られてるし、
後悔したくないから直接怒らないけど、めちゃくちゃ腹立つわ!」
くらいは言ってもいいのではないかと思います。

お母さん嫌い、を自分に許可してあげるというのが良いと思います。

無理に理解しなくてもまずはもう、本当に怒っている自分を認めてみるのもいいと思います。

あとは・・・
母親を無知で何も知らないと思うのは、
この今の時代の限られた条件のなかで知らない事が増えてきているという事であって
サバイバル状態の時に、たとえば電気が途絶えて今の文明生活が出来なくなった時に
めらめらと母親の培ってきた能力が発揮するのかも知れませんよね。

そういう目で見ると
私たちも、今の母親の年齢になった時に
訳のかからない文明機器がうようよ現れて、どう扱っていいかわからないけど
知らないと孤立しそう・・・なことが起きるかも知れませんよね。

その時のために、
知らないものは、どんなに馬鹿扱いされても
「わからない、教えて」と言えるような私たちになっておきましょうよ。
それはそれで嫌われるかも知れませんが、
その時は仕方ないと馬鹿になれる強さを養っていきましょうよ、ね。

そういう生き方の方が 愛されますよ♪と
お母さまが教えてくださっているのかも知れませんね。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

「近ずぎてウザい・遠すぎてさみしい」 自身の経験から、人との心の距離感や対人関係の悩みには親子の距離感が大きく関係している事に着目。【母子癒着】といわれるくっつきすぎた心を見ていくことで、人との距離感を整えていくカウンセリングを得意とする。 誰にも言えない気持ちに寄り添ってくれると好評。