家族を大事にしてきませんでした

相談者名
カオル
私は家族を大事にしてきませんでした。
相手がどう思うか考えずに自分を意見を押し通し、思いやりのない言葉や態度ばかりしてきました。
相手が傷つくかどうかなんて考えずに、冷たい態度ばかり取っています。
調子が悪いとか言われたり、実際に親戚が重い病気になった時でさえ、心配で心が苦しいとか思わずに、どこかで他人事のような感覚でいました。
みんな家族に何かあれば、他人との付き合いより家族を一番に考えて行動しているのに私はそうゆうことをしてきませんでした。

他人に対しては良い顔をしています。仕事を手伝ったり、何かを教えたりイライラせずに対応することが出来ます。
でも家族に何かおしえて欲しいみたいな感じになると「なんで自分でやらないんだよ!」と思い、あからさまに嫌な態度をしてしまいます。
常にそうゆうばかりの態度ではありませんが、酷い対応の時のほうが明らかに多いです。

どうせ他人なんて何かあれば離れていくだろうに、バカのように血のつながりのある家族より他人に良い顔をしています。本当にツライ時に誰も助けてくれなかったのにです。

仲良い家族(親や親戚同士、兄弟姉妹)を見たり、テレビで弟妹を思って兄や姉が思いやりを持って接する姿を見ると、自分があまりに身勝手で冷酷で思いやりの欠片もないんだと痛感します。

他の家族はどうなんでしょうか・・私のこの無情な性格は何なんでしょうか

カウンセラー
三好成子
カオル様、こんにちは。
今回カオル様のご相談にお答えさせていただきます三好成子と申します。

どうぞよろしくお願いいたします。

今回のご相談の文章を読ませていただいての第一印象は
カオル様の持つものすごく大きな愛でした。
愛したいのに、愛し方がわからないというご相談のように感じました。

『家族を大事にしてきませんでした』
とおっしゃると言うことは
『家族を大事にしたかった』という気持ちのあらわれだと思うのです。

あまりにも愛したい気持ちが強いと、
少々の優しさや思いやり、気づかいをしていても
「これではダメだ、まだまだ足りない」と、思ってしまう事が多いようです。

心理学では
あなたが一番悩んでいる、問題だと思っている事に才能がある
と言われます。

また、
才能があるにもかかわらず
その才能には気づかない事のほうが多いのです。

例えば
『優しさ』という才能を持っている人が
自分を『優しい人だ』とは思えないのです。

なぜなら
当たり前だからです。
人から見たらすごく優しいのに、そこに、
優しさという才能のある人は、当たり前過ぎて
優しいとは「もっと優しくしないと」優しくした
とは思えないのです。

そして
『傷つける態度ばかり…』という言葉の向こうに
誰も傷つけたくないのに…
という思いがあるように感じます。

人は、あまりにも怖かったり、辛かったり、心配し過ぎると
感情を切ってしまうということで
自分の心が壊れてしまうのを防ごうとします。

なので、カオル様は
愛情豊かで、情熱的な方なのだろうという感じがしました。

文中の
『みんな家族に何かあれば一番に行動…』というところですが
これはカオル様の身の回りで見聞きした出来事があるのでしょうか?

ここからは私の考え方ですが
家族という単位は
状況によって変化をしていくのだと思っています。

親がいて、自身が子供だった頃の家族であったり
自分が新しく作る家族であったり。

その度に優先順位も変化をしていくものなのだと思います。

すべての事に手や意識が回らず、
助けたいのに助けられなかった。
という経験も沢山するだろうと思います。
そんな風に、
してあげたかったのに出来なかった

とか
しなきゃいけないと思っているのにしてこなかった。
ということもあるでしょう。

だけど
出来ないには出来ないなりの何らかの理由があるのだと思います。
「でも…」と、ご自身を責めてしまいそうなときは
カウンセリング等を使って
『そうせざるを得ないような状況、心情はどこからきたのか?』を理解し
『それは仕方がなかったね』を自分に与えてあげると
不思議なことに
その『それは仕方がなかったね』を
自分以外の人にも思えるようになって来たりするのです。

人を許しやすくなります。

自分の許容量が増えると、人に対しても許容量が膨らんでいくので
カオル様の『我慢の量』も減っていくと思います。

カオル様もおっしゃるように
外では怒らないとっても良い人をやっているので
(本当のカオル様もとっても良い人なのですが、
自分で思う悪い面を出してはいけないと強く思っていらっしゃる様ですのでね)
甘えられる家族には
その分も強く当たってしまうのかも知れませんね。

それって、普通の事だと思います。
我が家の娘も
外ではとっても礼儀正しくて、可愛らしいお嬢さん(*^^*)なのですが、
私にはそれはそれは雑な扱いを…

それもまた家族の良いところです。
外では見せられない顔を見せることが出来るほど
親密感があるのでしょう。

でも、あまりに親密すぎて
癒着といわれる
自分の感情か人の感情かがわからなくなる状態に居ますと
ちょっとしたことが疎ましく、いらいらしてしまうようなのですが・・・

カウンセラーというお仕事をしていますと
色々なご家族のお話しをうかがいます。
このお仕事をするまでは、私自身も
「家族とはこうあるべき」
という観念がとっても強くありました。

その『こうあるべき』はどこから来たのかと考えた時がありました。
テレビ、雑誌等のメディアや
他人が外向けに作っている家族の顔
というものが影響していたように思います。

そうなのです
私たちは、作られた理想というものを追いかけ過ぎる傾向があるかも知れませんね。
『こうあるべき』
『○○してはいけない』

という観念です。
ですので今回のカオル様のご相談についても
この、自分が作っている『こうあるべき』や
『○○してはいけない』を少なくしていく事が
生きやすさにつながるのだと思いました。

例えば
『家族は助け合って仲良くすべき』
『家族に冷たくしてはいけない』は

『家族は助け合って仲良くしても良いし、しなくても良い』
『家族に冷たくしても大丈夫』

とか、そういうものです。
この感覚は、最初はとても気持ちが悪く感じると思います。
今までの概念を手放すというのは
すごく罪な事をしているようにも思ってしまいますからね。

でも、
カオル様が楽に生きて行けるように
そして、
カオル様の周りの方々に、もっともっと自由で楽な生き方を選んで頂けるように
カオル様がそういう概念を取り払って自由の見本になってみませんか?

どうやって?
と思われたのでしたら
私たちカウンセラーを頼っていただくのも一つの方法だと思います。

心がもっと楽に 自由でいられますように。

ご相談ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

「近ずぎてウザい・遠すぎてさみしい」 自身の経験から、人との心の距離感や対人関係の悩みには親子の距離感が大きく関係している事に着目。【母子癒着】といわれるくっつきすぎた心を見ていくことで、人との距離感を整えていくカウンセリングを得意とする。 誰にも言えない気持ちに寄り添ってくれると好評。