人生どうでも良い

相談者名
ソラ
わたしは人生どうでも良いと最近感じています。
昔は結婚して子供を産んで、親に孫の顔を見せて、夫婦仲良く年を取って・・という人生が幸せだと思っていました。

でも現在、もうすぐ41歳になるのですが、真逆の人生です。
仕事はしていますが、部下を持つとか自分が何かの役職につくこともなく、彼もいませんし、貯金もないし家もないし、悲惨です。
無いほうに目を向けているからそうゆうことになると言われそうな気もしますが、家のことや職場や公共の場で馬鹿みたいに人に迷惑掛けたり、自分のことばかりの人を見るとウンザリだし、そうゆうのに限って人にストレス与えてるくせに、大してツライ思いをせずにノウノウと生きています。
理不尽だし、不公平だし。幸せって何ですかね?それは人それぞれだとは思いますが、人間ってどこかで人にどう思われるか、どう判断されるか、うらやましいと思ってもらえるかとか、社会がどう見るかで自分がどの位置にいるかで幸せの度合いを計ってしまうような気がします。

どんなに自分では良いと思っても、社会はそう判断しません。

私の両親は幼少のときに離婚していますし、小さい時から親からの愛情もなく我慢してばかりのような気がします。

自分が望む人生もよく分からないし、ただ仕事してたまにおいしいものを食べて一人寂しく老後を向かえ孤独死するのが目に見えています。
今はまだ健康だから良いですが、40歳過ぎれば、女性としても見てくれることは少なくなるし、社会から見ても中年ですごく悲しくなります。

だから早く死にたいと思います。自分からは出来ませんが、なんでも良いから死にたいです。できれば誰か殺してくれないかとも思います。

心理学では心が強く望んだことは引き寄せるみたいなことを書いてありますが、強く望めば早く死ねるでしょうか。

カウンセラー
三枝みき
ソラさん、こんにちは。初めまして。
今回、ソラさんのご相談を担当させていただきます、三枝みきと申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

ソラさんは今、ご自身が思う幸せとは、真逆の人生を送っていらっしゃるのですね。
だから、人生がどうでもいいと感じてしまわれているのですね。

私にも覚えがあるのですが、「長いこと地道に頑張って来たけれど、なにひとつ思うようにならない」というような感覚は、本当に辛いですよね。
また「どうして私ばかり、こんな目に遭わなければいけないの?」と悔しさや怒りでいっぱいになってしまうことだって、ありますよね。
ですからソラさんの、何もかもがどうでもよくなって、早く人生が終わってしまえばいいのに、と思うようなお気持ちも、私なりにですがよくわかるような気がしています。

でもそれは、とても悲しいことですし、寂しいことだと私は思います。
少なくとも私はソラさんのご相談を読んでそう感じましたし、ソラさんにまだまだ全てを諦めては欲しくないと強く思いました。

何故ってね、ソラさんは本当はまだ何も諦めてはいないからです。
まだまだ、生きるための気力や情熱をたくさん持っていらっしゃるからです。

そんなはずはない、と思われるかもしれませんね。
私はもう早く死にたいんだ、人生を終わらせたいんだと、おっしゃりたいかもしれませんね。

でもね、ごめんなさい、こんなことを言うと嫌な気持ちを感じられるかもしれませんが、ソラさんの書かれている文章の中にははっきりと「怒り」が感じられます。
「怒り」という感情は、とても強い感情で大きなエネルギーを持っています。
そしてその怒りのエネルギーは「生命力」であり、「生きる」ための「情熱」であり、「心の力」でもあります。
ですから、ソラさんはまだ、本当は生きることを諦めていはいないと私は感じたのですね。

私が感じるソラさんの怒りは「死にたい」というより、今の人生を「リセット」したい、という意味だと思います。
それはつまり、もう一度生まれ直して、もう一度自分の望む人生を生き直したい、という強い思いなのではないでしょうか。

ただ、ソラさんご自身も書かれていらっしゃるように「自分の望む人生がよくわからない」のであれば、まずはそこからだと思います。
ご自身がどう生きたいのか、どうありたいのかをご自分がはっきり知ることが必要です。
車のナビゲーションシステムが目的地をセットすることで、初めてその最短距離を示してくれるように、私たちの人生も行く先、目的地にあたるもの、たとえばこうなりたい、こうありたいという未来の自分の姿(ビジョンと言います)をイメージできることが必要なのですね。

でも、その「ビジョン」を見る、描くということは、今のソラさんにはすこし難しいかも知れません。
何故ならソラさんは今、とても辛い状態でいらっしゃるようすだからです。

病気で高熱を出していたり、大怪我で動けない状態だったり、苦しい状況や体が辛いときなどはにはなかなか他のことへ意識を向けることは難しいですよね。
ソラさんの心は今、ご自身では意識しておられないかもしれませんが、本当はそういう状態でもあるようです。
思うような人生を生きられていない怒りの下には、本当はそんな、とても辛い気持ちがたくさんあるのではないでしょうか?

私たち人間は、寂しさや悲しさ、誰にも理解されない痛みなど、感じたくないような辛い感情がたくさんある時、心に蓋や重しをして、その感情を押さえこんでしまいます。
その蓋が「怒り」なのですね。

感じたくない辛い感情が大きければ大きいほど、それを押さえる「怒り」も大きくなる。
早く死にたい、でも自分ではできないから、誰か殺してくれないかなとさえ思ってしまう、というソラさんの訴えにはとても大きな怒りを私は感じました。

ですから私は、だとしたらソラさんのその怒りの下にある辛い感情はどれほど大きなものなのだろう、どれほど今、本当は辛いのだろうかと思ってしまったのです。
もしも、違っていたらごめんなさいね。

でも、もし私が感じたとおりであるなら、ソラさんのその怒りは今までどれほど、ソラさんが必死に頑張って生きて来られたかの証明でもあると私は思います。
それでも望むものが得られず、何一つ報われなかったと感じているのなら、望んだその気持ちが大きければ大きいほど、「怒り」と「絶望」は大きなものとなってしまうはずです。
少なくとも、私自身はかつてそういう経験がありましたから。

でもね、どんなに難しそうに思えても、そこから希望を見つけ、もう一度思い通りの人生を生きたいと望み、それに向かっていくことは出来ないことではありません。
だってせっかくここまで、こんなにこんなに必死に頑張って生きて来られたのに、このまま人生を終わらせてしまうのはもったいないと思いませんか?

ソラさんは本来、とても情熱的で、人を愛したいパワフルな女性なのだと私は感じています。
その才能を活かして、望み通りの人生を生きるためにも、私たちに手助けをさせて頂けませんか?

自立的に生きて来られた方は、最終的に袋小路にはまり込んでしまい、燃え尽きてしまうような状態になってしまうことがありますが、そこを抜け出すための唯一の手段は「誰かの助けを借りること」なんです。
ソラさんがこちらに、ご相談を寄せて下さったのは、ソラさんの心の深い部分が本当は私たちに助けを求めて下さったのではないかと思います。

ですからぜひ、私たちカウンセラーをうまく利用していただきたいと私は思うんです。
そのときは私たちが全力でサポートさせていただきますから。
一人で頑張らずに、誰かを頼ったり、甘えたりすることも時には大事なんですね。

そしてもし、そうしてみてもいいなと思われましたら、初回無料の電話カウンセリングもございますので、ぜひ利用してみてくださいね。

以上、長くなりましたが、この回答が少しでもソラさんのお役に立てれば幸いです。
本日はご相談、ありがとうございました。
ソラさんが少しでも楽になり、思い通りの人生を取り戻せますよう、心からお祈りしていますね。

三枝 みき

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました