愛情飢餓感と無価値観に悩んで…。

相談者名
めいこ
こんにちわ、はじめまして。自分は16の高校生です。
良かったら悩み相談お願い致します。
私は人と親しくなるにつれ(友人など)欲求がましくなり、無意識に「仲良いんだから~するのは当たり前」「私だけと仲良くしてよ」と、自分自身が苦しくなります。でもこんな自己中な奴と思われたくなくて・嫌われたくないので、表には決して出せないのです…。そして仲の良い友人に自分よりもっと親しい友人が居ると知ると、(顔には決して出さないのですが)無価値観と嫉妬と羨ましい気持ちでグチャグチャになり、「じゃあ何で私と一緒にいるの?本当はそっちの子と居る方がいいんでしょ!!」とイライラしてきて平常心じゃ居られなくなります。それで自分から離れていくのです。(自分のことを一番に想ってくれていないと知るので)「仲良くなると」とか「親しい友人」と言っても、自分が勝手に思い込んでいるだけなんですね。ちょっと2人で買い物行ったり、自分が必要とされたり、悩み相談されたりしたら…すぐ「親しい友人」としてしまうのです。相手との距離感が判らないのです。それで自分の欲求をおしつける…なんて、迷惑以外に無いと思うのです。「相手が自分を求めてくれている」と感じると、嬉しくて、自分が価値がある存在に思えて安心します。その繰り返しなんですね…。期待して、求めて、本当に相手を愛することが出来ないんです。ただ、自分だけを見てくれる「居場所」が欲しいだけなんですね。 それと不安になったとき…「何故不安なのだろう?」と考えて理由が判るとすごく安心するのですが、でも心の底で「自分は変わったんだ」と思い込んでしまうのです。(自分はもう変われたんだから、もう不安は訪れないだろう!という気持ちに)実際は感情を受け止めただけで、変わったわけでは全く無いのに…それでまた不安が訪れると、「あのとき思い込んだからなんだ!あのとき思い込まなければ…」と、自己嫌悪に陥ります。何故、あのとき自分が得意になったのかが、判らないのです。もう、自分が嫌になります;;心の底で「変わりたい!もうこんな自分が嫌だ」と、急き立ててくる何かがあるのです。もっともっと自分の感情を突きつめていくべきなのでしょうか?
自分を愛してあげることができ、人も心から想える人間になりたいです—-。
カウンセラー
伊藤昌代
めいこさん、こんにちは。はじめまして、伊藤と申します。
ご相談ありがとうございます。
よろしくお願いしますね。

メール拝見しました。私も学生時代に、とても似た悩みをもっていましたので、当時のことを思い出しながら読ませて頂きました。悩んでいる頃というのは、些細なことで一喜一憂、振り回されているような感じが強く、とてもしんどかったです(心理学を学ぼうと思った大きな理由の一つでした。)が、学んできたことや、その間の出会いや経験を通して、自分を変えていくことが出来、今では、自分のことも、皆のことも「好きだな」って思える私がいます。そして、“人を想う”ということは、際限なく出来ることなので、より想える人になりたいと思い、目指しているところです。

さて、

> 私は人と親しくなるにつれ(友人など)欲求がましくなり、無意識に「仲良いんだから~するのは当たり前」「私だけと仲良くしてよ」

と思ってしまうとの事ですが、それは、めいこさんが人間だということですよ。親しくなるに連れて、「もっと仲良くなりたい」「仲良くしてよ」と思うのは自然なことです。
けれど、

> と、自分自身が苦しくなります。でもこんな自己中な奴と思われたくなくて・嫌われたくないので、表には決して出せないのです…。

と、めいこさんの中で、‘欲求をもつこと=自己中、嫌われること’となっているのが、今のしんどさを作っているようなので、これは、苦しい状態を変えていくために、ものの見方を広げていくのもよいかもしれませんね。

今の苦しみは、めいこさんの幸せが‘誰か次第’になっているという事と、感情をどう受けとめたらよいのか分からないという事のようです。

広げていくポイントとしては、
・貰い物ではなくて、自分で幸せや心地よさを作っていくこと
・本当に望み、望み続けること
・ありのままを表現すること
について、めいこさん自身を見つめなおしたり、工夫していくことが役に立つのではないかと思います。

自分の幸せを作っていく上で、めいこさんに知って、受け取ってもらいたいことがあります。
それは、
“特別扱いされなくても、私の望む形でなかったとしても、私は愛されている”
ということです。

お友達付き合いがあるということは、例えめいこさんの想いとは違ったとしても、彼らなりに好意をもってくれているということですよね。それは、全く価値のないものかな?
無価値感、嫉妬、羨ましい気持ちは、見たくなくても出てくるかもしれません。今、これらは、めいこさんにとって大きく苦しいけれども、見ようと思えば、めいこさんに注がれた気持ちというのも感じることは出来ますし感じて欲しいと思うのですね。

めいこさんだって、仲良くなったのには、相手に惹かれた何かがあったはず。それが欲求であれば、消えてしまうかもしれませんが、あなたが相手に見たものは、“自分を満たしてくれるだろう”ということだけだったのでしょうか。それだけだったとしても、相手の何を見て、そう思ったのでしょうか。めいこさんがあの時見つけた彼らの価値は、もう愛してあげる意味のないものかな?
もしかしたら意味のないものもあるかもしれない。
けれども、もし、何か引っ掛かるような時は、‘めいこさん発’で彼らに気持ちを注いでみてもいいのかもしれませんよ。

人によって、付き合う友達の数というのは違いがあります。多い少ないで、良い悪いはありません。
めいこさんが、お友達が他の人と親しげにしているのを見て傷ついてしまうのは、めいこさんは、その人といると十分に楽しいにも関わらず、お友達は私だけでは足らずに他所にも行ってしまうと感じるからですよね。
でも、お友達は、めいこさんとも他の人といても、…というか、多くの人と付き合うのが楽しいだけなんです。

人間は欲求を持っているものです。けれど、それが「自己中だ」「嫌われてしまう」からと、‘禁止’になってしまうと、見えないように気づかれないようにせずにはいれないでしょうね。すると周囲に対して緊張感が生まれ、欲求をもつ自分は受け入れられない、分かってもらえないと思い、落ち着けない感じがするかもしれません…。
めいこさんは、

> ただ、自分だけを見てくれる「居場所」が欲しいだけなんです

と書いてくれましたが、それは実現可能です!
では、お友達やこれから出会う人達が、めいこさんの居場所となってくれたら、次どうしたいですか?
それは、やすらぎや楽しさ、癒しなどの要素をもった、めいこさんがワクワクするものですね。
もし、出てこなければ、いい本や映画、音楽を聞いたりして、是非作ってみてくださいね。

‘めいこさん発’で彼らに気持ちを注ぐというのは、欲求をぶつけることではなくて、こういった、「あなたとこういうことがしたいの(なりたいの)よ」という気持ちを一番に優先にして、相手と接するということです。
そうして、色々な対人関係を経験していく中で、きっと居場所は手に入りますよ。(^^)

望む時に大切なことは、“本当にほしいものを望む”ということです。自分の欲求を叶えることとは違う場合もあります。
例えば、めいこさんがお友達に対して「私とだけ仲良くして」と思うのは、そうなれば、その人が、めいこさんの居場所になるから、でしたよね。
ならば、お友達に対しては、
「あなたといるとホッとできる、ホッとさせてくれるのが好きだから、もっと仲良くなりたい。○○したい。△△になりたい。」
と、相手の気持ちを求めるのではなくて、自分が望み、思うことです。
そして、それを表現していくことです。

めいこさんは、

> 「仲良くなると」とか「親しい友人」と言っても、自分が勝手に思い込んでいるだけなんですね。ちょっと2人で買い物行ったり、自分が必要とされたり、悩み相談されたりしたら…すぐ「親しい友人」としてしまうのです。相手との距離感が判らないのです。

と書いてくださいましたよね。これは、めいこさんは、本当はちょっとしたことで、深い親密感や愛情などを感じられる人だということを表していると思います。
感じられるということは、めいこさんの中に親密感や愛情がしっかりあるということですから、悪いことではないんです。

ただ、今のままでは苦しいんですよね。
それは、めいこさんの距離感が、‘親しい=ガムテープでぴったり’、‘そうでもない=とても遠い’となっていることから来ているようです。

ぴったりの距離というのは、赤ん坊と親の距離と似ていて、自分では何も出来ない赤ちゃんは全面的に面倒を見られるので、いつも一緒なんです。
けれども大きくなるにつれて、“いつも一緒”というのは、例えばトイレに行く時など窮屈なことも出てきますよね。また、交際範囲が広がり、様々な多くの人との関係性を持つようになるとはじめから全面的に仲良く出来る人を求めるのは、皆個性がありますから難しいかもしれません。めいこさんが、こうしたい、ああなりたいと思ってすることを、望まなかったり受け取らない人とも接していく機会があるかもしれません。

そんな時には、それぞれの人に合った“適度な距離”をとって、相手と向き合うこと、一部ではなく全部を見ることで、その人と分かり合えるということはあります。

例えば、仲良くしたい人に映画の誘いを断られたとしても、それは、相手が映画が嫌いだったかもしれませんし、誘った日に用事が合ったからかもしれません。もしくは体調が悪いのかも…。そんな時、私たちに必要なことは、もう二度と誘わないと決意することではなくて、別の提案をしてみることであったり、前もって約束することや、「どうかしたの?」って聞いてあげることだと思います。

相手の態度や反応を受け入れながら、めいこさんがして欲しいと思うたくさんのことを、言葉で伝えたり、態度であったり、贈り物であったりと色々な形や気持ちを与えてみることは、めいこさんらしい表現することの一つになりますよ。
こういう与えることのキャッチボールが出来始めると、そこも、めいこさんの居場所とする事が出来ます。そして、‘愛される’ことよりも、ワクワク楽しいものですよ。与えることが上手くいっているのだから、無価値感も暴れません(^^)

最後に、不安になったときのことですが、

> 実際は感情を受け止めただけで、変わったわけでは全く無いのに…それでまた不安が訪れると

と書いてくれましたね。
まずは、不安感が出てきた時に「何で?」と自分を振り返ることがが出来るようになってきたのは、めいこさんの成熟が進んでいるのだと思います。

そして、理由を見出した時に、同じことをに出会ったなら、めいこさんは理由をどのように扱ってきたのでしょうか? もし、
「あぁ、こんなことを思うから(気にするから・考えるから)だわ。やめやめ!」とか
「私は○○だから、こう思うのは当然だわ(誰かが悪いのよ)」などと判断していたならば、それは、感情を受け止めたことにはなっていないかもしれません。感情を抑圧することになったり、感じた自分自身を大切にしていないことになってしまいます。

> 心の底で「変わりたい!もうこんな自分が嫌だ」と、急き立ててくる何かがあるのです。もっともっと自分の感情を突きつめていくべきなのでしょうか?

すぐには変われないのかもしれないけれど、めいこさんは、どう変わりたいのでしょうか?変わってどうしたいのでしょうか??

見つめて見るとすれば、こういうことについて整理整頓してみるとよいと思います。
そして、行動を起していきましょう。

しなれないチャレンジをするとき、初めから上手くやろうとは思わないでくださいね。恐れが出てくる時は、その感情を感じた後、必ず、自分の内面に向いている意識を相手の方へ戻すということ。元々、相手の方に見ていた価値を見つづけて、関係性を築いていくことを選んでいきましょうね。初めからあきらめないでね。
めいこさんの、自分の感情を客観的に見つめることが出来る部分は、自分の欲求と上手に付き合うことで、他者に対しては“誠実さ”につながるものです。
時には失敗することもあるかもしれませんが、その時はいくらでもサポートさせていただきます。そして、リカバリーは出来ますので、まずは、本当に望んでいきましょうね。

ご相談ありがとうございました。

伊藤昌代

この記事を書いたカウンセラー

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