好きになれない人

相談者名
ぴょん
もう一つのBBSにも書き込みをして、同じような内容になりますが、、、どうしても好きになれない人というのがいます。それは誰にでもあると思うのですが、私はそういう人に対する対処法(?)が全く分からないのです。
友人などに聞いても、それなりにやり過ごしているようですが、私はその方法がわからないのです。どういう風に接したらいいのか分からないのです。
できれば面倒は起こしたくないし、穏やかにやっていけたらいいんですが、それができないんです。
だから、自分の中に嫌な感情がどんどん積もっていって、悶々としています。

今私の中で問題になっている人は、バイト先の人ですが、他の方たちには好かれています。だから私も同じように、仲がいいように見えるようにしよう、とは思うんですが、、、

その人が他の人から好かれてるからそのことに嫉妬してるというのは、全くないわけではありませんが、余り大きなことではありません。私が嫌なのはその人の人となりというか、仕事の仕方とか、そういう部分です。認められないというか。

はっきり言って軽蔑してる部分はありますね。だからそういう人が好かれてるからよけい腹が立つんでしょうね。私の好きな人たちが、私の嫌いな人を好きだって言うのが悔しいのかな、、、

でもそういう腹の立ってる自分がすごく嫌なんです。できることならその人のことだって嫌いにならずにいられたらよかったと思います。

その人との関係を、どういう風にしていけばいいのか分かりません。
その人と会わなければ一番手っ取り早い(仕事では今後あまり会わなくなるので可能)のですが、関係を全て切ろうとすると、他の方たちとの関係もなくなっていしまいます。
仕事の後、ご飯を食べに行こうか、といわれても、必ずその人も一緒です。それでいらいらしてしまい、素の自分を見せたい人にまで、悶々とした自分を見せてしまうんです。
そうなると、その人との関係どころか他の人たちとの関係も上手くいくはずがありませんよね。

何とか穏やかにやっていきたいと思うんですが、いらいらしている自分をどうすればいいのか分かりません。上手くやる、というよりは、心穏やかにいたいという感じです。
いらいらしている自分がすごく醜く思えます。そんな自分であることから抜け出したいんです。

その人だけでなく、私は集団に入ると必ず一人はどうしても好きになれない人がいます。嫌というより許せない、というくらい激しく嫌ってしまう人がいます。そうすると、他の人たちがどんなに好きでも、その集団にいることが苦痛になってしまいます。そのために、私はものすごく多くの素敵な事を逃してしまっていると思います。

合わない人って言うのは誰にでもいると思います。でも、そういう人とも付き合っていかなければならないですよね。本当に自分の好きな人とだけやっていく、というのは無理ですよね。そんな中で、「自分でも嫌いな自分」になってしまわずに、いろんな人といい関係を持っていきたいんです。自分勝手で贅沢な望みですが、アドバイスしていただければうれしいです。

カウンセラー
源河はるみ
こんにちは、ぴょんさん。
はじまして、源河です。> どうしても好きになれない人というのがいます。それは誰にでもあると思うのですが、私はそういう人に対する対処法(?)が全く分からないのです。

よく、生理的に受け付けられない、理由があるわけでもないのに、
どうしても好きになれない、という人が誰でもいるということを聞きますよね。
これは、なにも不思議なことではありませんし、
そのことで悩んでいるぴょんさんは、とっても自分に正直で素直な方だという気がします。
それに、このことをなんとなくやり過ごすのではなく、
ちゃんと向き合おうとすることは、勇気がいるし、大切なことでもあります。

みんなから見れば、そうでもない人かもしれないのに、
自分だけが、イヤな気持ちになってしまう・・・
実は、この”自分だけが”というところに、ポイントはあります。

> だから、自分の中に嫌な感情がどんどん積もっていって、悶々としています。

イヤ~な気分ですよね。
それに、その感情を感じているのは”自分だけ”なんですよね。
そのイヤな気持ちをわかってくれる人がいなくて、なんだか寂しくありませんか?

> 私が嫌なのはその人の人となりというか、仕事の仕方とか、そういう部分です。認められないというか。

> はっきり言って軽蔑してる部分はありますね。だからそういう人が好かれてるからよけい腹が立つんでしょうね。私の好きな人たちが、私の嫌いな人を好きだって言うのが悔しいのかな、、、

自分が認められないものを持っているのに、まわりの人たちは認めているように感じてしまう・・・
それが、その人の人となりや仕事の仕方、というわけですね。
どんな方なんでしょう?
どんな仕事の仕方をする方なんですか?

> でもそういう腹の立ってる自分がすごく嫌なんです。できることならその人のことだって嫌いにならずにいられたらよかったと思います。

ぴょんさんの本当の気持ちは、この部分ですね。
できることなら、嫌いにはなりたくない。
できることなら「好きになりたい」、そして穏やかでいたい、という気持ち。

> そうなると、その人との関係どころか他の人たちとの関係も上手くいくはずがありませんよね。

おっしゃるとおりです。
これを乗り越える事は、勇気は要りますが簡単なことなんです。
そのイヤな感情を感じているのは、”自分”なんですよね。
私たちは、人を変えることはできませんが、「自分の感情を変えること」はできるんです。
そして、そうするには、ぴょんさんがその人のことを、
”どう感じていて、どうして、そう感じるのか?”を理解していくことが、
とっても大切です。
どんなことを感じるにしても、そこには必ず理由があるんですね。
その理由を見つけ出すと、あとはその理由を変えていくことで、
気にならなくなっていくんですね。

> いらいらしている自分がすごく醜く思えます。そんな自分であることから抜け出したいんです。

抜け出しましょう。

> その人だけでなく、私は集団に入ると必ず一人はどうしても好きになれない人がいます。嫌というより許せない、というくらい激しく嫌ってしまう人がいます。そうすると、他の人たちがどんなに好きでも、その集団にいることが苦痛になってしまいます。そのために、私はものすごく多くの素敵な事を逃してしまっていると思います。

その集団の中にいる自分、たくさんの人たちの中のひとりとしての自分、
ぴょんさんは、そんな自分のことをどう思っていますか?

私たちは誰でも、自分の中に好きな部分と、どうしても好きになれない部分があります。
そして多くは、好きな部分を表に出して、嫌いな部分は隠してしまいます。
でも、そうして隠したとしても心から消えることはありませんよね。
そうして自己嫌悪している部分が、もしも、まわりの大切な人たちにバレてしまったら、
ぴょんさんは、どうなると思いますか?
ほんとんどの場合、「みんなに嫌われて村八分にされてしまう・・・」と思います。

極端な例を出しますね。
ヒットラーのような極悪非道極まりない人を好きになる人は、あまりいません。
でも、想像してください。
もしも、自分の心の中にもそんな極悪非道な部分があったとしたら・・・
怖いですよね。
そして「絶対自分は、あんな人にはなりたくない」と思うものです。
そして、そんな人を許す事などとうてい無理な気もしますよね。

実は「絶対自分はああはならない」と思っていればいるほど、
そう見えてしまう人を、私たちは嫌おうとするんです。
そして、心の中で攻撃してしまいます。
これが、その悶々をつくりだしています。
どうして攻撃してしまうのかというと、心のどこかに、
「もしも、あんな風になってしまったらどうしよう・・・?」という不安や恐れが、
あるから、そうならないように自分を守っているからなんですね。
攻撃は最大の防御です。

でも、どんな人の中にも、そのイヤな部分だけではなくて、
いい部分もありますよね。

イヤな感じを受ける人の中にある、いい部分、好きになれる部分に目を向けていく事で、
抜けていく事はできますよ。

また、お返事お待ちしていますね。

相談者名
ぴょん
源河さん、こんにちは。お返事ありがとうございます。
お返事を読んで、改めて自分が「その人」に対してどう感じているかを考えてみました。> そのことで悩んでいるぴょんさんは、とっても自分に正直で素直な方だという気がします。
> それに、このことをなんとなくやり過ごすのではなく、
> ちゃんと向き合おうとすることは、勇気がいるし、大切なことでもあります。

そうですか?そう言っていただけると、何か少し気持ちを強く持てそうな気がしてきまして。周りの人はそんなことを悩んでいるように見えなくて、何でだろうといつも思っていましたから。

> みんなから見れば、そうでもない人かもしれないのに、
> 自分だけが、イヤな気持ちになってしまう・・・
> 実は、この”自分だけが”というところに、ポイントはあります。

> それに、その感情を感じているのは”自分だけ”なんですよね。
> そのイヤな気持ちをわかってくれる人がいなくて、なんだか寂しくありませんか?

そうなです。本当に、そこが一番つらいんです。誰にも言えないし相談できないんです。そんなことを言えば私が嫌われてしまいますから、、、。だから「嫌だ」っていう思いをずっと隠したまま、その人とだけでなく、周りの人たちとも取り繕った自分で付き合って行かないといけないのかと思っています。でも仲の良いふりをするのもしんどくって。

他の人たちとは素の自分で付き合いたいんです。でも今の自分は取り繕った、隠し事をした自分なんです。

> 自分が認められないものを持っているのに、まわりの人たちは認めているように感じてしまう・・・
> どんな方なんでしょう?
> どんな仕事の仕方をする方なんですか?

改めて聞かれると説明するのは難しいです。生理的にって言うところもあると思います。初めて会ったときから「仲良くなるタイプではなさそうだなあ」って感じたんです。
それで、だんだんとその人を知るにつれ、私がもともと「こういう人にはなりたくない」って思っていたような人だったんです。

>実は「絶対自分はああはならない」と思っていればいるほど、
> そう見えてしまう人を、私たちは嫌おうとするんです

そういうところがかなりあるようです。
嫌な部分って、探し始めればいくらでも見つけられるから、どんどん増えていってしまうんですけど、特に受け入れられないところというと、、、

一番認められないのが、生き方っていうと大げさですけど、いい年してフリーターで親に食べさせてもらって、今のバイトをやめた後のことも一切きめてない、プー太郎をする、って言ってる、そんなところが、私は理解できないんです。
というより、以前からそういうタイプの人ははっきり言って軽蔑していました。そんな人に「仕事とは」みたいに言われても、、、素直に聞けません。

自分と他人とを比べても何にもならないとは分かってるし、比べたらだめだ、と自分に言い聞かせているんですが、やっぱり「私は将来の為に遊びたいのも遊ばずにバイトしてるのに、所詮この人と同じにしか見られてないのか」と思って、いくらがんばってもこんなもんかなんて思ってしまいます。
フリーターでもちゃんとやってる人がいるのは知ってます。フリーターだから嫌というのではありません。そんな適当な所が理解できないんです。

小さなことを言えば他にもありますが、、、

仕事で言えば、何でもぱっぱっとやっている感じでもありません。やはり適当なところが多々見られます。上の人がいないときは余計に。でも上の人たちはそうは思ってないようで、、、

でも、その人は私より少しだけ長くいるんです。だから仕事においては私はその人より下であって当然です。
でもどうしても、その人のことを認められないんです。仕事だけで、ほかの事を何も知らなければ先輩として素直に認めていたかもしれません。でも、他の色々な部分を知ってしまったら、もう、認められなくなってしまいました。先輩としてではなくて、一人の人として。

> ぴょんさんの本当の気持ちは、この部分ですね。
> できることなら、嫌いにはなりたくない。
> できることなら「好きになりたい」、そして穏やかでいたい、という気持ち。

はい、そうなんです。「穏やかでいたい」「むかつかずにいたい」それが一番です。みーんなを大好きでいられたら、どんなに楽しいでしょうね。そんなことってあるんでしょうか。

> そのイヤな感情を感じているのは、”自分”なんですよね。
> 私たちは、人を変えることはできませんが、「自分の感情を変えること」はできるんです。
> そして、そうするには、ぴょんさんがその人のことを、
> ”どう感じていて、どうして、そう感じるのか?”を理解していくことが、
> とっても大切です。

こんなことを言うのは嫌なやつだ、と自分でも思いますが、自分より劣っている人だと感じています。それは、先に書いたように、生き方とか、仕事の適当さとかから。
他人の生き方を好き、嫌い、なんて言っても仕方ないかも知れません。でも、あんな生き方をしたいって思える人もいて、そんな人は大好きで、少しでもたくさん話したい、もっと知りたいって思います。その逆なんでしょうけど、、、

そして、私はその人にものすごく嫉妬しているんだと思います。
私はどうしても認められない、でも私の好きな人たち(上の方たち)はその人を好いていて、信頼している。それが悔しいんです。
私のほうが信頼されてるって思いたいんでしょうね。

また、先ほど将来の為にバイトをしていると書いたことと関連してますが、私は「自分はこうしたい、こんな風になりたい」っていう思いがすごく強いので、それに反することをしている人を、異常に嫌悪してしまうんじゃないかと思うんです。

自信過剰なのかな、とも思います。そんな自分が嫌になります。

> その集団の中にいる自分、たくさんの人たちの中のひとりとしての自分、
> ぴょんさんは、そんな自分のことをどう思っていますか?

正直に、もっと私を見てほしいと思います。目立ちたいというのではありません。むしろ、目立ちたくはない方です。何て表現したらいいのか、、、
自分の価値を感じたいのかもしれません。周りの人に必要とされたいって言うか、、

> そうして自己嫌悪している部分が、もしも、まわりの大切な人たちにバレてしまったら、
> ぴょんさんは、どうなると思いますか?
> ほんとんどの場合、「みんなに嫌われて村八分にされてしまう・・・」と思います。

はい、そう思います。
だから必死に仲のいいふりをしてるんですけど、疲れてしまいました。
その人もいると思うと、他の好きな人たちと一緒にいるのも苦痛になってきます。

> イヤな感じを受ける人の中にある、いい部分、好きになれる部分に目を向けていく事で、
> 抜けていく事はできますよ。

どうすればいいんでしょう?その人のいいところについても考えて見ましたが、難しいですね。全くないはずはないんですけど。

私は、好きな人は大好きだし、一度嫌だと思ってしまうとものすごく激しく嫌ってしまうんです。ちょっと嫌だなあ、って言うレベルではないんです。そんな極端な所も問題かと思います。

いいところを見つけられたとして、嫌いになった人を好きになるなんてできるんでしょうか?他の人ならともかく、こんな極端な私にできるとは思えないんです。

こんな私ですが、もっと成長したいとはとても思っています。
ぜひ、お力を貸してください。

またお返事お待ちしています。

カウンセラー
源河はるみ
こんばんは、ぴょんさん。
お返事ありがとうございました。> お返事を読んで、改めて自分が「その人」に対してどう感じているかを考えてみました。

嫌いな人のことを考えるのは、それだけでもイヤな感じがしますよね。
向き合ってくださって、ありがとう。

> そうですか?そう言っていただけると、何か少し気持ちを強く持てそうな気がしてきまして。周りの人はそんなことを悩んでいるように見えなくて、何でだろうといつも思っていましたから。

たくさんたくさん、しゃべってはいても、心のうちを表に出す人は、
思っているより少ないものです。
ぴょんさんのように悩んでいる方は、たくさんいらっしゃいますよ。

> 他の人たちとは素の自分で付き合いたいんです。でも今の自分は取り繕った、隠し事をした自分なんです。

こんな感じがします。
もしかしたら、意識はしなかったかもしれないけれど、
ず~っと、心のどこかにそのしんどさを隠してきませんでしたか?
「私が我慢すれば、いいんだから・・・」
「私ががんばれば、それでいいんだ・・・」
「みんなに嫌われないようにするには、自分が辛抱すれば済むんだ・・・」
っていう風に。

もしも、心の中にこんな気持ちが隠れていたとしたら、
それは自分をすり減らすばかりで、よけいに辛くなってしまいますね。
嫌いな人と好きな人が一緒にいるとき、この辛さがひょっこり顔を出してくるのかもしれません。

> 改めて聞かれると説明するのは難しいです。生理的にって言うところもあると思います。初めて会ったときから「仲良くなるタイプではなさそうだなあ」って感じたんです。
> それで、だんだんとその人を知るにつれ、私がもともと「こういう人にはなりたくない」って思っていたような人だったんです。

実はかく言う私も、そんな人との出会いはありました。
でも、なぜか今では仲のいい友達です。
どうしてかというと、たとえ嫌いな人でも、なにかを感じさせてくれて、
どうして自分がそう感じるのかを知ったとき、ず~っと感じてきた、我慢してきた、
辛さから、解放されたからなんですね。

> 一番認められないのが、生き方っていうと大げさですけど、いい年してフリーターで親に食べさせてもらって、今のバイトをやめた後のことも一切きめてない、プー太郎をする、って言ってる、そんなところが、私は理解できないんです。
> というより、以前からそういうタイプの人ははっきり言って軽蔑していました。そんな人に「仕事とは」みたいに言われても、、、素直に聞けません。

自分の「こうしたい」ということを持っているぴょんさん。
それは、とっても素敵なことですよね。
でも、想像してくださいね。
必死に夢を追いかけて、やることはきちんとこなして、前だけを向いている人がいます。
自分に厳しく、欲を制して、頑張り続けている・・・
その人は、その昔心に決めたんです。
「今のままの自分じゃだめなんだ・・・だから頑張って行くしかないんだ・・・」って。
もしも、その昔こうしようと決めた理由に、
”自分はだめなヤツ”という思いが密かに隠れていたとしたら、
まるで自分とは逆のように見える、気楽で適当に生きている人を見ると、
無性に腹が立ったりします。
それは、現実的には頑張って成長していたとしても、”自分はだめなヤツ”という思い込みが、
心の中に、まるで押入れに何年もしまい込まれたままの不用品のように、
閉じ込められたままで、いまだに”だめ”だと信じてしまっているからなんですね。

そして「だめなヤツ」=「気楽になっちゃだめ」と、さらに我慢を強いられるような感じになってしまって、
それを感じさせる人を、心が拒絶して遠くにやってしまわなくてはならないような気持ちになるんです。
それが、「嫌い」だと感じさせます。

> 自分と他人とを比べても何にもならないとは分かってるし、比べたらだめだ、と自分に言い聞かせているんですが、やっぱり「私は将来の為に遊びたいのも遊ばずにバイトしてるのに、所詮この人と同じにしか見られてないのか」と思って、いくらがんばってもこんなもんかなんて思ってしまいます。

ぴょんさんの中に、へとへとになってしまっている部分はないですか?
なんだか空回りしてしまっているような気がします。

> 仕事で言えば、何でもぱっぱっとやっている感じでもありません。やはり適当なところが多々見られます。上の人がいないときは余計に。でも上の人たちはそうは思ってないようで、、、

人は、リラックスできていないと、本領発揮するのは難しいんですね。
いい意味での緊張は必要ですが、その才能を押さえ込んでしまうような感情が、
心の中に居座っていたとしたら、軋轢は増すばかりで、自ら首をしめるような緊張にも、
なってしまいかねません。

> でも、他の色々な部分を知ってしまったら、もう、認められなくなってしまいました。先輩としてではなくて、一人の人として。

判断することを、一旦やめてみましょう。
「いいかげん」という言葉がありますが、それは、
「ちょうど良い加減を知っている」という意味でもありますよね。
その人は、もしかすると、ぴょんさんに、
自分にとっての”いい加減”を知ることの大切さを見せてくれているのかもしれません。

> はい、そうなんです。「穏やかでいたい」「むかつかずにいたい」それが一番です。みーんなを大好きでいられたら、どんなに楽しいでしょうね。そんなことってあるんでしょうか。

ありますよ。
むかつくことを無視ししても意味がありませんよね。
でも、むかついたり、嫌ったりするのは、その相手を拒絶しているからに他なりません。
心の中でね。
実は、嫌いになる理由は「自分が相手を受け入れないための理由」なんです。
それは、その人というよりも、その人が持っている要素を自分が持つ事を拒んでいるときなんですね。

> こんなことを言うのは嫌なやつだ、と自分でも思いますが、自分より劣っている人だと感じています。それは、先に書いたように、生き方とか、仕事の適当さとかから。
> 他人の生き方を好き、嫌い、なんて言っても仕方ないかも知れません。でも、あんな生き方をしたいって思える人もいて、そんな人は大好きで、少しでもたくさん話したい、もっと知りたいって思います。その逆なんでしょうけど、、、

なにかを手に入れるために、犠牲を払うと必ず敗者が生まれますよね。
でも、自分の好きな生き方や仕事の仕方をしていくのに、犠牲は無用です。
ぴょんさんの心の中には、劣等感を抱いていて、どこか置き去りにしてきたような気持ちがあるようです。
どうしてかというと、自分の心の中に劣等感を持っていないときには、
自分以外に劣っている人を見つけることは出来ないからなんですね。
でも、この劣等感、実は誰もが持っているものです。

> そして、私はその人にものすごく嫉妬しているんだと思います。
> 私はどうしても認められない、でも私の好きな人たち(上の方たち)はその人を好いていて、信頼している。それが悔しいんです。
> 私のほうが信頼されてるって思いたいんでしょうね。

嫉妬することは、いいことですよ。
ぴょんさんも、本当に信頼される人になることが出来る可能性を秘めているからです。
ただ、「自分はああはなれない」と思っていると嫉妬するだけに終わってしまいますが。

「絶対ああはなりたくない」と「絶対ああなれない」は、背中合わせなんです。
でも、どちらも拒絶していることには変わりはありません。

> また、先ほど将来の為にバイトをしていると書いたことと関連してますが、私は「自分はこうしたい、こんな風になりたい」っていう思いがすごく強いので、それに反することをしている人を、異常に嫌悪してしまうんじゃないかと思うんです。

そうですね。
これは、心の持つ最大の魔法です。
嫌悪しているその人と、心を開いて接していくと「こんな風になりたい」と思っている自分に近づく事ができるんですね。
おかしいでしょ?

> 自信過剰なのかな、とも思います。そんな自分が嫌になります。

その自信は大切にしてくださいね。
でも、もっと大切なのは「こうなりたい」と描く未来に行くための道は、
自分だけでは、切り開いていく事は難しいと知ることです。
時には、自分の好まない形での助けも受け取らなければ、前に進めないこともあるからです。

> 正直に、もっと私を見てほしいと思います。目立ちたいというのではありません。むしろ、目立ちたくはない方です。何て表現したらいいのか、、、
> 自分の価値を感じたいのかもしれません。周りの人に必要とされたいって言うか、、

誰かを必要としてみましょう。
頼ることの大切さを感じることができると、それは人となりとなって、
ぴょんさんが「頼れる人」に見られることにつながります。
人に価値を見ていないと、誰かが自分に価値を見てくれても、
「そんなことないよ」で片付けてしまって、感じる事が難しくなってしまいます。

> だから必死に仲のいいふりをしてるんですけど、疲れてしまいました。
> その人もいると思うと、他の好きな人たちと一緒にいるのも苦痛になってきます。

きっと、その人が、ぴょんさんの中にある「頼りたい」部分の役を取ってしまっているように感じるんですね。
「あなたがいると、私が頼れないじゃない」っていう感じです。

> 私は、好きな人は大好きだし、一度嫌だと思ってしまうとものすごく激しく嫌ってしまうんです。ちょっと嫌だなあ、って言うレベルではないんです。そんな極端な所も問題かと思います。
>
> いいところを見つけられたとして、嫌いになった人を好きになるなんてできるんでしょうか?他の人ならともかく、こんな極端な私にできるとは思えないんです。

まずは、頑張っている自分を自分で認めてあげましょう。
そして、自分の中で嫌悪しているところがあったら、それも自分で認めてあげましょう。
自分の嫌いなところは、なかなか好きになるのは難しいですよね。
そこで提案です。
その人に勇気を持って聞いてみましょう。
「どうして、そんなに気楽そうなんですか?」って。

仲良しグループの中に、ひとりだけ親友がいるとしますね。
そして、自分がいないときに、その親友も含めたみんなが、自分の悪口を言っていたとします。
そのとき、一番腹が立つ相手は誰だと思いますか?
そうです、その親友になんです。
それは「あなただったら自分の味方をしてくれると信じていたのに」って思うからですよね。

その嫌っているひとは、もしかしたら、ぴょんさんのことを一番理解してくれる人でもあるのかもしれません。
それを心のアンテナが察知しているのかもしれませんね。
ぜひ、試してみてください。

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