昔いじめてしまった友人に

相談者名
さん
私は23歳の女です。
私は高校の時に同じ部活の友人をいじめていました。
内容は友人のロッカーにウザい、などといった卑猥な言葉を書きました。
私は小さい頃から自分の気に入らない人には影でそういった行動をよくしていました。
自分で気がついたらそういった行動をしているという感じでした。
私の行動はすぐに部活内で問題になりミーティングをしている際に、
いじめた友人が「やった人はだいたい分かっていると先生が言っていてその人の名前も聞いた」と言って私の方を見ました。
だから私がやった事は分かっていたんだと思います。
その後友人は部活を辞め、結局学校も辞めてしまいました。
そして7年経った今、私は教師を目指し勉強しています。
そこでいじめに関する問題を勉強し、「私は高校の頃とんでもない事をしたんだ」と思いました。私は1人の人生を狂わせてしまったのだと。
そこで友人の連絡先を探し、電話で「あの時やったのは私です。」そして謝ろうと電話したのですが勇気が出ず、久しぶり!などと言った後に他の友人の話など全く違う話をして切ってしまいました。友人は本心は分かりませんが怒っている素振りなどもなく、過去に何も無かったかのように明るく会話してくれました。しかし私が過去に友人にしてしまった事は消えません。人の人生を狂わせたのに自分は大学まで行ってこんな最低な人間が教師なんて目指そうとしているんです。最近は自分のしてしまった行為に強い罪悪感があり毎日友人の事を考えてしまいます。もう一度友人に電話をし、謝りたいけど勇気がない。その事を会社の上司に相談したら「あなたが電話したらその友人はまた過去の嫌な事を思い出してしまうかもしれない。それより人を傷付ける行為は絶対してはならないと分かったのだから今後同じ過ちを繰り返さすな」と言われました。本当にそれだけで良いのでしょうか。
友人にしっかり謝りたい反面、自分がやったと認た時の友人の反応を考えると怖いです。
人を人生を狂わせたのに平穏に暮らしている自分が嫌です。
まして過去にいじめをしていた人間が教師なんかを夢見ている自分も嫌でたまらないです。
私はどうするべきでしょうか
カウンセラー
三島桃子
さんさん、初めまして。今回担当させていただく三島桃子と申します。どうぞよろし
くお願いいたします。

さんさんは「自分が友人にしたことは相手をとても傷つけることだったんだ」と気付
いて、強い罪悪感を感じておられるようですね。

今は気持ちが混乱し、どうしたらいいのか考えがまとまらない状態かと思いますの
で、まずは状況の整理をしてみましょう。

***

まず、さんさんは小さいころから自分の気に入らない相手に対して陰でいじわるめい
たことをしていたようです。

それはどうしてだったのだと思いますか?

元気いっぱいで気分もいい!という子どもは、そういった行動をとることはまずあり
ません。大人でもそうなんですが、「今日はとっても気分がいいな、さーて気に入ら
ないあいつにいじわるしてやろう」ということは人間ないんですね。

ということは、おそらく、さんさんは子どもの頃から心のなかに何かもやもやした重
いものを抱えていたのだと思います。

子どもの頃から、ということは、家族関係の中での状況がもやもやの原因だった可能
性が高いですね。お母さんはどんな方でしょう?お父さんはどうですか?きょうだい
との関係はどうでしたか?振り返ってみると、実はしんどかった、苦しかった、寂し
かった、悲しかった、などということがあったのではないでしょうか。

お母さんが元気がなかった、病気がちだった
お父さんが怒りっぽかった、仕事が忙しくていつも家にいなかった
お父さんとお母さんの夫婦仲がよくなかった
きょうだいが重い病気だった
祖父母の介護でお母さんが大変そうだった
親戚の間でもめごとが絶えなかった
自分は親に愛されていないように感じていた

などなど、いろいろなことが考えられます。

子どもの頃から実は自分は苦しい気持ちを抱えていたんだ、ということがわかると、
なぜ陰でいじわるをしたりしたのかもわかると思います。一種の八つ当たり、うっぷ
ん晴らしなんです。「あーあ、今日も何となく冴えない気分。イライラするからムカ
つくあいつにいじわるしてやろう」という感じです。自分でも気付いていなかったと
思いますが、無意識の中でそういう心の動きがあったのだと思います。

私たちは、誰かに八つ当たりすると、一瞬気持ちがラクになるんです。それは本当に
すっきりすることではないのですが、自分がいる嫌な気分の世界に他の誰かをひきず
り込むことで、いわば「偽物の」安心感を感じるのです。

本物の安心感がないからこそ、偽物でもなんでもいいから「安心感のようなもの」が
欲しくなるのですね。これは、死ぬほどのどが渇いていたら泥水でも飲みたくなるの
と同じようなものです。

でももちろん、このような偽物の安心感をつかの間感じても、それはすぐに消えてし
まって、また再びのどが渇いてきます。そしてまた、つかの間の安心感を求めて誰か
にいじわるをしてしまう。

これが「いじめっ子の心理」です。

ここまで読んで、もしかしたら気分が悪くなってきたかもしれません。もしそうだっ
たら、深呼吸をして、肩の力を抜いてくださいね。

子どもの頃から抱えていた苦しさが実はあるとしたら、その辺りの事情を整理し、ご
自分の中の苦しさを癒していくことが、まずはできることだと思います。

この作業は一人では難しい部分がありますので、カウンセリングをご利用されるとい
いのではないかな、と思います。

ご自分の中の苦しさが癒されると、今よりもずっと落ち着いた気持ちでいろいろなこ
とを考えることができるようになります。高校時代の友人に対して、また、教師にな
ることについて、今とは違う感覚で見ることができますし、どうしたらいいのか、と
いうことも自然にわかってくると思います。

***

教師になることについては、「いじめっ子の心理がわかる先生」って、学校にいてほ
しいなと、私は思います。自分がかつていじめっ子だったからこそ、いじめっ子に伝
えられることがあると思います。また、かつての自分のような子に気付いてあげられ
ると思います。そんな子にどうしてあげたらいいのか、かつての自分だったら学校の
先生にどう関わってほしかったかがわかる先生。そんな先生に、さんさん自身、学校
時代に出会いたかったと思いませんか?

お友達への謝罪については、いろんなことが整理できない状態で「謝罪したい」とい
うのは、謝ることで少しでもほっとしたい、という自分サイドの欲求を相手にぶつけ
ることになってしまうので、あまりお勧めではありませんが、自分の気持ちの整理が
十分についてからであれば、してもいいのではないかと思います。

私自身のことなんですが、以前、弟に謝るためだけに東京に行ったことがありまし
た。

私の家族の中では、母と姉のストレスが私に、私のストレスが弟に向かう、というよ
うなことがかつてありました。もちろんその背景にはいろいろな事情があったんです
が、まあ単純化すると、そんな感じだったんです。

末っ子の弟は自分のストレスを持っていく相手がいませんし、外でうっぷんを晴らす
ような性格でもなかったので、自分の中にしんどいものを溜め込んでいたようです。
そのことに大人になってから気付きました。ずいぶんつらい思いをさせてしまった
な、と思いました。気付いてからしばらくあれこれ考え、自分の中でだんだんと物事
が整理されてきて、今なら心から素直に謝れる、と思った時、新幹線で弟のいる東京
に向かったのでした。

自分の中で十分整理ができていれば、相手の反応はさほど怖くありません。相手が怒
るならそれを受け止めよう、どんな反応であれ、ていねいに向き合おう、という気持
ちになれます。

とはいえ、私は相手が弟でしたから気心も知れていましたし、さんさんの場合とは違
う面もあると思います。さんさんの場合はやはり謝った結果どうなるか、かえってト
ラブルになるのでは、など心配になりますよね。

それでも、ご自分の気持ちがきちんと整理されていれば今とはかなり違う感覚になる
だろうと思います。その上で謝るか、そっとしておくか、考えてみてはいかがでしょ
うか。

***

かつての自分の行動を見直す機会があり、はっと気付くことがあった今回のことは、
さんさんの人生を変えるような出来事だと思います。気付く前と気付いた後、どちら
の方がさんさんの人生はより深く豊かなものになるでしょうか?

私は気付いた後だと思います。

だとしたら、これはさんさんに与えられたチャンスであり、希望です。

そしてまた、「はっと気付いた」さんさんには、教師に求められる感度のよさを感じ
ます。私としてはさんさんが今歩んでいる教師の道を応援したい気持ちです。

もちろん、何事も最後に決めるのはさんさんです。さんさんが、ご自分が納得できる
選択をできるような落ち着いた気持ちになれること、何よりそれを応援しています
ね!

ご相談ありがとうございました。

三島桃子

この記事を書いたカウンセラー

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