相談者名 | かなで |
30歳女です。どうしてもわからないことがあります。 世の中の人達はこんなに醜くて過酷な世の中に、なぜ可愛いはずの子供を産んだりできるのですか?どんな理由もエゴにしか思えません。学校も企業も社会制度も腐っているし、子供が自然体で幸せに生きていける希望や優しさがこの世界にあるとは思えません。 精神的に弱かったり社会に適応できなれば簡単に甘いと非難されますが、私には適応できる方がおかしい世の中に見えるのです。死にたいというだけで非難されるのはなぜですか?命が大切で自殺はダメだなんて誰が決めたのですか?勝手に産むのは自由なのに安楽死は禁止など、死ぬ自由がないのはなぜでしょうか? 皆仕事第一で健康や家族は二の次。それで一体何を得るのですか。男性は、女性が働くなら男と同じ条件であることを求めてきます。男が毎月変わらず一定の体調でいられるのは社会に半分存在している女が代わりにその苦しみを受け持っているからなのに、その不自由さや違いを理解せず自分達と同じように働かせ、体調管理しろと言う割に管理する暇も与えず、ストレスまみれにして病気や不妊にし、なのに少子化だとプレッシャーをかけます。それでも日本は女性が子育てしながら働きやすい社会にしようと必死で、嫌悪感を覚えます。不妊が増えているということは、この世界はもう人間が普通に生きられる場所ではないという警告に思えてなりません。 最近は人として未熟でちゃんと育てられるのかと思う女性の妊娠も目につきます。産めばなんとかなると…なんとかならなかった家に育った私には楽観的すぎて理解できない言葉です。もし我が子に死にたいと言われた時、自信と責任を持って諭してあげられる親が一体どれだけいるでしょうか。 そんなに腹が立つのなら自分が死ねばすむ話だと長年思っていますが、自殺の成功率は1割と聞いて以来諦めています。その後主人と出会い結婚し今は幸せですが、この怒りが毎日私の心を覆っていて苦しくてたまりません。自分の幸せだけを考えればいいと言われますが無理で、赤ちゃんを見るたびかわいそうだと思うし、電車などで妊婦や母親を見るとイライラします。あまりにも世間との価値観が違います。私はこのぶつける先のない怒りをどうすればいいのでしょうか。 | |
カウンセラー | 大塚亘 |
かなでさん、はじめまして。 今回担当させていただきます、大塚亘と申します。 いただいた文章を拝見して、かなでさんの今のイライラしているお気持ちや、大きな怒りをお持ちであることが、私なりにですが、とても理解できた気がしています。 私がこれから述べることは、文章を拝見したうえで私が感じたことであり、あくまでも私の意見であるということと、もし、かなでさんの感覚と違うところがあったら、私の理解不足や勘違いであると思っていただければと思います。 かなでさんは、「愛」の反対の意味の言葉は何だと思いますか? 「愛憎」という言葉がある通り、「愛」の反対の言葉は「憎しみ」のようにも思えます。 一般論ですが、お付き合いをしていたカップルが別れた時に、振られた方が、「あんなひどいヤツ、こっちから願い下げだ!」という感じで、怒りや恨み、憎しみを持つことがありますよね。 では、なぜ怒りや憎しみを持つのでしょうか。それは、振られた相手のことが、まだ好きであるからに他ならないですよね。 つまり、「愛」と「憎しみ」は紙一重で、「相手に対する気持ちを持っている」という意味では、「愛」と「憎しみ」は、とても似ていると私は思います。 「愛」も「憎しみ」も、「相手に対する気持ちを持っている」という意味で同じであるなら、「相手に対する気持ちを持っていない」という状態が、「愛」の反対と言えるかもしれません。 私は、「愛」の反対は、「無関心」だと思っています。「無関心」は、「相手に対する気持ちを何も持っていない」ということですよね。 もし、「愛」の反対が「無関心」だとすると、かなでさんが、怒りや嫌悪感を感じ、イライラを覚える日本の女性や妊婦さん、母親に対して、「愛」に似たお気持ちを持っているということになります。 さらにいえば、腐っている学校や企業や社会制度、健康や家族は二の次で仕事第一の人間、男と同じように働くことを求め、女性の不自由さや違いを理解しようとしない男性に対して、「愛」に似たお気持ちを持っているということになります。 かなでさんのご相談のタイトルは「人類滅亡してほしいと本気で思ってしまいます」ですが、むしろ、かなでさんは、「人類を救いたい」と思っているのかもしれません。 まず私がお伝えしたいのは、もし私の意見にも一理あるとしたら、いったい、かなでさんは、どれだけ人を愛したいと思っているのかということです。 ご相談の中に、「自分の幸せだけを考えればいいと言われますが無理」とありましたが、これがまさに、かなでさんが、とても大きな愛をお持ちだということの証拠だと私は思います。 ここからは私の想像になりますが、もし、今までの人生で、かなでさんが誰かから十分には愛されなかった、という怒りを持っているとしたら、大きな愛をお持ちのかなでさんは、自動的に、私のような愛されなかった思いを、他の人に味あわせたくないと思うはずです。 仮に、かなでさんが大きな愛の人ではなかったとしたら、人として未熟でちゃんと育てられるのかと思う女性の子供に対して、こう思うはずです。 「そんな母親のもとに生まれてくるお前(赤ちゃん)が悪い。せいぜい苦労しなよ!」 とか、 「なんとも思わない、存在すら気にならない(無関心)」 ということになるはずです。でも、かなでさんの思いは、全く正反対ですよね。日本の男性や妊婦さんや母親に対しては怒りをお持ちですが、赤ちゃんに対しては怒りを持っていませんよね。 次に、これも私の想像ですが、かなでさんの心の中に、「人を上手く愛することができない」という自己否定、自己攻撃はありませんか。 人間は、自分ができていない、ダメだ、と自分を責めている度合だけ、自分や相手に対して怒りを覚えます。 たとえば、アメリカのプロ野球、いわゆる大リーグに、イチローという選手がいますよね。 仮に、私大塚が、誰かに、「大塚は野球が下手くそだ!」と言われたとしても、私は、野球ができない自分を責めていないので、別に何とも思わないわけです。 「はい、野球をしたことがないので、下手くそです」で終わりです。野球ができない自分を否定することもありませんし、「野球が下手くそだ!」と言った相手に対しても、怒りを全く感じません。 でも、野球一筋のイチローが、成績不振でマスコミに叩かれたとしたら、多分イチローは、イヤな思いをするはずです。それは、成績不振の自分自身を責めているからですね。 イチローは、歴史に残る数々の大リーグ記録を打ち立ててきた素晴らしい選手ですね。 そして、イチローが打者として素晴らしい才能を持っていたように、かなでさんは人を愛するという分野の才能が優れていたため、上手く人を愛せないご自身を、もしかしたら責めているのかもしれません。 でも、少なくとも、ご主人と赤ちゃんを愛することは、既にできているのではないでしょうか。 もし上手く愛せなくてご自身を責めているとしたら、まずは、上手く愛せているところをみて、かなでさんご自身を、自分で承認してあげてほしいのです。 また、ご主人とは幸せとのことなので、もし可能であれば、ご主人に、かなでさんが普段の生活で、既に出来ていることがたくさんあるはずですから、その出来ていることをほめてもらってください。そして、ご主人にほめられたら、ご主人に「ありがとう」と言ってみてください。 「ありがとう」という感謝の言葉は、ご主人の「愛」を受け取っているということになります。愛することに優れた方は、愛を受け取る器も大きいです。なぜなら、深い愛が自分自身の中にあることを、無意識に知っているからですね。 ご主人を愛し、ご主人から愛されることを積み重ねていってほしいと思います。そして、かなでさんが大きな愛の人であるということ、ご主人に愛されているように、かなでさんが愛される価値のある素晴らしい人間であるという認識を、少しずつ少しずつ増やしていってほしいと思います。 もし、怒りをぶつけたくなったら、カウンセラーにもたくさん怒りをぶつけてみてくださいね。 読んでくださり、ありがとうございました。 大塚亘 |