神経科の先生を好きになってしまった。

相談者名
らん
こんにちは。私は、もともと自分自身の方向性が見つからなかったことや、「No」と言えない性格等に悩み、そのような状況から脱したいと考え、1年以上前から神経科に通っております。そして先生に話を聞いて頂いたり、自分の身の回りで起こる事を冷静に観察するようなことによって、少しずつ自分の方向性も見えはじめ、自分でも通院当初の目的は果たしたと感じておりますし、先生もそのことは認めていらっしゃいます。
普通ならこれでめでたく治寮終了となる筈なのですが、問題が1つ発生しました。
それは、私が先生に強い好意を抱いてしまい、先生に逢いたくて仕方がなくなってしまったことです。
このような感情は、依存とか転移とかそういう類のもので、よくあることらしく、それならば、私は精神的にまだ不安定なのかもしれないと考え通院していました。しかし何か具合が悪いような症状があるわけでもなく、薬も必要ないし、眠れるし、食べれるし、動けるし、人間関係も良好で、もともと体が丈夫ではないので徹夜でバリバリ仕事しますというわけには行きませんが、それなりに私のできる範囲で仕事もしています。お金の余裕がないのと、身近な親族が亡くなって悲しい気持ちになること以外は特に問題ないと思うのですが、先生に「また来週おいで」と笑顔で言われると「はい」と答えてしまいます。
そのうち先生は私の事が好きなのではないかしら?と考えるようになりました。理由は色々あるのですが、以前、私が在所に引越そうかと考えて、在所の神経科を紹介してくれますか?と訊いてみたら、別に他の神経科に通う必要ないし、紹介しませんと言われてしまいました。他の神経科に通う必要ないのなら、なぜ先生の所には毎週通わせているのでしょうか、疑問です。
診察中に、何か誘ってくるわけでもないですし、私を誉めるようなこともしませんし、特別扱いをするようなこともなく、悲しいこととかがあったら聞いてくれたりしますが、後は一緒に楽しく、音楽の話をしたり、お互いの昔話をしたり、世間のニュースを話したり、友人と一緒の普通の会話です。患者に好意を持たせるように診察をして、治療を円滑に運ぼうとしているのかもしれませんが、よくわかりません。
ただ、私は先生が好きなので長ーい待ち時間を待って先生との診察を毎週楽しみにしています。逢いたいだけで通院している感じです。仮に通院するのを止めてしまったとしたら、恋人に逢えないような寂しさを味わうでしょう。
いっそのこと告白してしまおうかとも考えます。私の感情が依存か何かで、本当に何か通院の必要があるのなら、先生はそのことも含めて治療してくれる筈です。
でも、もしも先生が私の事を好きだったらどうするのでしょう。患者に恋愛感情を持つとゆうことは医師の倫理として反することだと思うので、先生の立場を考えるとむやみに告白などしてよいのだろうかと躊躇してしまいます。
なんだか自信過剰な節もあり、こんな自分にも笑ってしまうのですが、どうしても先生の愛情を感じてしまう私なのです。ふざけた相談かもしれませんが、私は真剣に悩んでおります、どうぞご回答くださいますよう、よろしくお願い致します。
カウンセラー
源河はるみ
らんさん、ご相談ありがとうございます。
はじめまして、源河と申します。

今までの通院や、治療を通して頑張って前進されてきたんですね。
さて、どうやらその締めくくりにさしかかっているようです。

> 普通ならこれでめでたく治寮終了となる筈なのですが、問題が1つ発生しました。

多く、今まで積み上げてきたその成果の締めくくりとして、
培ったものを”使う”機会がやってきます。
この問題が、その機会のようですね。

さて、らんさんは、どのような方向性を見つけ出したんでしょう?

> それは、私が先生に強い好意を抱いてしまい、先生に逢いたくて仕方がなくなってしまったことです。

誰かのことを好きになる、というのはとても大切な気持ちですよね。
まずは、以前はそれどころでなかったのに、誰かのことを”好きになる”という自発的な気持ちを持てるようになったこと、自分で誉めてあげてくださいね。

> しかし何か具合が悪いような症状があるわけでもなく、薬も必要ないし、眠れるし、食べれるし、動けるし、人間関係も良好で、もともと体が丈夫ではないので徹夜でバリバリ仕事しますというわけには行きませんが、それなりに私のできる範囲で仕事もしています。

そう、悪いわけではないんです。
むしろ、よくなっているでしょう。
でも気付いてくださいね。
今、らんさんは、自分自身が自分の足で”歩いていけるのか、歩いていけないのか?”を、
決めることができずにいる状態なんです。

おっしゃるように、主治医に対して好意をもってしまう、ということは起こりえます。
”好きになる”ということについて、少し見つめてみましょうね。

私たちは、誰かのことを好きになるのと、嫌いになるのとでは、
どちらが気分がいいと思いますか?
そうです、多くは”好き”の方が、いいですよね。
好きこのんで、だれかれ構わず嫌っている方が気分がいい、なんて人はあまりいません。
そして、あまり気分のよくない自分と、気分のいい自分とでは、どちらが好きでしょう?
そうです、気分のいい自分です。

私たちは、自分に自信がないと、自らの力でそのどちらかを選べるとは思えません。
「また、どうにもならなくなったら?」と思うと、不安になってしまうんですね。
そこで登場するのが、そんな自分をなんとかしてくれた先生です。

らんさんは、自らの力で前進してきたのに、そこに自信をもてない状態だと思うんですね。
”先生がいてくれたから”もちろんそうかもしれませんが、
そこにはらんさんの前進しようとする意志がありましたよね。
今のらんさんは、その気持ちをもつだけで、気分のいい自分に持ち直すことができるんですよ。
自分の行こうとする方向に向って、歩いていくことができるんです。
でも、不安が顔を出しそうになると、心が自動的に、
”良い状態の私”=”先生といっしょにいられる自分”という風に、
結び付けてしまうんですね。

> 診察中に、何か誘ってくるわけでもないですし、私を誉めるようなこともしませんし、特別扱いをするようなこともなく、悲しいこととかがあったら聞いてくれたりしますが、後は一緒に楽しく、音楽の話をしたり、お互いの昔話をしたり、世間のニュースを話したり、友人と一緒の普通の会話です。患者に好意を持たせるように診察をして、治療を円滑に運ぼうとしているのかもしれませんが、よくわかりません。

客観的に見ると、この先生は医師としての対応をしているに過ぎないでしょう。
一番いいのは、その先生を好きになってしまったということを、そのまま伝えてみることです。
告白というものではなく、ただその事実を伝えるような感じで。
そうすると、らんさんの心の中のその気持ちのもっと深くを知ることができますし、
先生の真意も確認することができますよね。

> いっそのこと告白してしまおうかとも考えます。私の感情が依存か何かで、本当に何か通院の必要があるのなら、先生はそのことも含めて治療してくれる筈です。

そうですね。
でも、らんさんの心はらんさんのもの、自分自身でその心の声を聞いていくこともできますよ。

> でも、もしも先生が私の事を好きだったらどうするのでしょう。患者に恋愛感情を持つとゆうことは医師の倫理として反することだと思うので、先生の立場を考えるとむやみに告白などしてよいのだろうかと躊躇してしまいます。

このこともふまえて、あくまでらんさんの心の中で起こっていることとして、
その事実を伝えるにとどめた方がいいかもしれませんね。

> なんだか自信過剰な節もあり、こんな自分にも笑ってしまうのですが、どうしても先生の愛情を感じてしまう私なのです。ふざけた相談かもしれませんが、私は真剣に悩んでおります、どうぞご回答くださいますよう、よろしくお願い致します。

ふざけてなんかいませんよ。
ただ、その愛情が、らんさんにとって人生をよりよい方向に運んでくれるのか、否かなのかは、
見極めた方がよさそうです。
勇気をもってください。今のらんさんなら、見極めた上で自分が歩いていきたい方へ、気持ちを決めることができますよ。

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