相談者名 | カメ |
プライベイトでの付き合いもあまりなく、性格的に合わなかったり して仲良くなりたくない相手でも 自分に特に思い当たる落ち度がないのに悪口を言われたり、冷たくされたり 相手のことを嫌いだと思ってもいいのに、気にしなくてもいいのに 嫌いなら嫌いでいい、合わないなら合わないでいいと思えて それと心理学の本では悪口は聞いてもらった相手にも 悪口を言うような声の大きな人は表立って批判されないところが 悪口を言う人の方がみんなと打ち解けているようにも感じます。 | |
カウンセラー | 中原謙一 |
カメさん、始めまして 私は中原謙一と申します。 よろしくお願いいたします。 カメさんが感じていらっしゃることは、決しておかしいことでも、間違いでもありません。 カメさんがおっしゃっていることの典型的な例がいじめですよね。 実際に嫌いでなかったとしても、誰か声の大きな人がいじめを始めると、それに呼応するように一緒にいじめてしまう。 ではなぜ、人はそのような行動をとるのでしょう。 ここからは私の想像ですが、実際カメさんのように感じられている人は、実はたくさんいるのではないかと私は感じます。 すると、人は攻撃されないように防衛策を講じます。 もうひとつの方法が、「我関せず」というやりかたです。 ですので、実際には打ち解けているのではなく、自分を守るために打ち解けているような環境を作り出している、といったほうが正しいのかもしれません。 ここで何より大切なのが、カメさんはそのように人の悪口をいったり、人を誹謗、中傷したりしませんよね。 私は誰の悪口を言っていませんが、自分の悪口は言っています。 そして、このような人が批判されない理由は、批判することというのは、相手のためを思うからこそすることであって、批判されないというのはすでに周りから見限られているととらえればいいわけです。 そう考えると、カメさんの心の憂いは、実は周りの人に対する愛情表現の一つとも考えられるわけです。 まずはカメさん自身がすごく深い愛情を持っていることを自覚することが必要ですよね。 そしてなにより、自分自身がこの問題からどのように行動するのかということが、重要だと感じます。 カメさんは誰かを批判して、攻撃する人間になりたいですか? カメさんは今、自分がどうあるべきかの選択をするときが来ているみたいですね。 その人を嫌いになれないかどうかではなく、自分が好きになれるかどうか、というのがこの問題の本質だと感じます。 人間、生きていればさまざまな矛盾と遭遇します。 人がどのような行動をしていようが、カメさん自身がどう行動して見せるか、それがカメさんのテーマではないでしょうか。 カメさんは誰かを誹謗、中傷していないと心の安定が図れない弱い人間ではありませんよね。 周りが気になるのは仕方がありません。 自分の愛を否定せずに、自分の愛を信頼してみてくださいね。 最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。 カメさんの未来に幸多からんことをお祈り申し上げます。 ありがとうございました。 中原謙一 |