ひとりでがんばっているさん、こんにちは。初めまして。 大谷と申します。よろしくお願いします。ご相談を拝見して、ひとりでがんばっているさんは、本当に随分とお一人で頑張ってこられたのだなぁ、と思いました。 お兄さんがご病気で小さい頃ご親戚に預けられたこと、最初預けられたご親戚とのできごと、血縁関係のないご家庭に預けられたこと、そしてお兄さんが亡くなられてからのご両親との関係、小さい頃から、ひとりでがんばっているさんの心の中には、いっぱい、いっぱい傷ついた感情が詰まっているのだと思います。よく頑張ってこられましたね。 でも、今はひとりでがんばっているさんも、人に頼りたいと思われているのですね。 ご相談の中にあった、困った状況になると出てくる“誰を頼っても結局無駄だ”という気持ちは、ひとりでがんばっているさんはもう既にわかっておられるかと思うのですが、人に頼ることへの怖れから出てくる気持ちです。過去の経験から、人に頼ったら自分がまた傷つくのではないかという自分を防衛する気持ちなのですね。 では、なぜ人に頼ると傷ついてしまうのかというと、ご相談を拝見してひとりでがんばっているさんには、どうも次のような心の癖、心のパターンがあるように見受けられます。これは、良い悪いではなく、右利きとか左利きというのと同じような単なるパターンと思ってくださいね。 一つは、「自分が悪い」と思いたい癖です。 子供の頃、ひとりでがんばっているさんは、本当はご両親の愛情を一杯感じて甘えたかったのだと思います。それがほとんどの子供に共通する素直な気持ちです。 でもお兄さんのことがあって、甘えることができなかったのですね。 そうすると、ひとりでがんばっているさんは、我慢するしかありません。 無意識かもしれませんが、心のどこかでご両親のことを神様のように絶対正しい人と思う気持ちがあり、自分のことを大切に扱ってくれないのは、自分に何か悪いところがあるのではないか、という気持ちをお持ちだったようです。 これが、心の癖のようになって、ご両親との関係性以外でもそうなってしまうのです。逆に「私は絶対悪くない」という気持ちをいつも持たれるとしても、同じように心の中で「私は悪い」という意識があります。 この場合は、悪い自分を意識している度合いだけ、それ以上に悪い自分を感じないための心の防衛作用です。 人が傷つくのは、心のどこかで自分を責めているときです。 一見自分の外から攻撃されているように見えますが、自分自身で自分を攻撃しない限り傷つかないものです。なぜならば、傷つくのは自分の心だからです。 例えば、「自分は太っている」という事を気にしている人に「太ってるね」と言うとその人は怒りますよね。傷つきますよね。 しかし、痩せている人に「太ってるね」と言っても怒り出すことはしません。「えっ、なんでそう思うの?」と返事があるのが関の山です。 子供の頃にひとりでがんばっているさんの心が傷ついたのは、ひとりでがんばっているさんが、どこか自分が悪いと自分自身を責めた結果なのです。 では、「自分が悪い」と思いたい癖をどうすれば手放せるかというと、人には色々な事情があることを理解して、自分の心の痛みに入らずに、人のことを見てあげる癖をつけようと思われることです。 人間は神様ではありませんので、様々な事情によりその日の状況も異なれば、気分も異なります。 例えば、普段は朗らかで明るい感じの人でも、腹痛のときには朗らかにできないですよね。余裕がないときは、誰しもそうなってしまいます。人の心の中は「この人お腹が痛いのだなぁ」ということがわかるように、「今日は心に余裕ないんだなぁ」ということは簡単にはわかりません。いつもと変わらないように見える事もとても多いのです。 しかし、その人に意識を向けたときには、何となくかもしれませんが、それがわかるものです。 もし頼った人がそのような状態で、普段と異なる態度を取られることがあっても、それはひとりでがんばっているさんの問題ではありませんよね。寧ろその相手の人の事情なのです。 このことは、ひとりでがんばっているさんもご両親の当時の気持ちを理解しておられるので、よくおわかりになっているのではないでしょうか。自分の問題と、他人の問題を切り分けることを心がけてみてください。 最初は難しいかもしれませんが、自分の痛みに入りかけたら、深刻にならずに、「また癖が出た」と心の癖を軽く扱ってあげてください。 二つ目は、「○か×か」で判断する癖です。 ○か×かで物事や状況を判断してしまう、言い換えると、良い悪いで判断をしてしまうと、実は「良くも悪くもない」という状況を受け入れられなくなってしまいます。 人間の行動や考えは、必ずしも良い悪いの2つの世界で成り立っている訳ではありません。 「こうするしかできなかった」ことや「こうしたかったけどできなかった」という事が実はものすごく多いのですね。 もし良し悪しで判断してしまうと「こう出来ない自分(人)は駄目」という考え方に固着して、また自分を責めたり、他の人を責めたりします。 むしろ、大事にするべき事は「こうしたかった」気持ちの方なのです。それを汲み取ってあげることです。 先にも書きましたが、人間は神様ではありませんので、やりたくても心に余裕がないときには出来ないものなのです。努力が足りなかったと思われる場合もあるかもしれませんが、それは、努力が十分にできない状況があったのです。 この○か×以外の世界を認めることで、「人ってこういうものなのだなぁ」という理解が進むと同時に、自分や人に対して優しくなることができます。そうすると、ひとりでがんばっているさんに心の余裕ができて、人の状況が見えやすくなります。 さて、もう一つ、人に頼ろうとするときに出てくる問題が、とめどもなく依存してしまうのではないか、という怖れです。 人間が生まれたときの状態は、依存から始まります。誰かに依存しなければご飯を食べることさえできません。 しかし、成長するにつれて、躾が始まり、どんどん自立へと進み始めます。そうして、「依存は駄目だ」と依存を嫌って自立します。自立した人間は、依存の状態を嫌っていますから、再び依存に逆戻りすることがとても怖いのですね。 確かに、とめどなくではありませんが、再び依存を受け入れるときに少し依存が強くなることがあります。 振り子を想像して欲しいのですが、真ん中が中立点だとして、右側が自立だとすると、依存は中立点を超えた左側にあります。今、自立の側に振り子があるとしましょう。 ここで振り子を手放すと、その振り子は中立点にピタッと止まらずにそこを通過して依存側に一旦は振り子が行くことが想像できますね。自立の人が依存を受け入れるときもこれと同じ感じで、中立点での依存の仕方がわからないので、一旦は依存側に少し振れます。 しかし、そこで依存の仕方がわかり始めると、中立の感覚がつかめてきて、振り子が最後に中立点に止まるように、依存と自立のバランスが取れた状態になります。 ここで考えていただきたいのは、自立を手放さないと依存と自立のバランスが取れた状態にはなれないことです。 ひとりでがんばっているさんが辛い状況から脱出して、楽しく幸せな人生を送れるように、少し勇気が要りますが、「今の辛い状況を変えるぞ」と決意する必要があります。 「何が何でも変える、変わる」と決意さえすれば、少し時間が必要かもしれませんが、状況は自動的に進展していきます。 一番大切なことは、実はこの決意なのですね。ぜひ、ご自分の選択として、決意してみてください。きっと人に頼れるひとりでがんばっているさんに変わることができると思います。 最後に、亡くなる直前にはお兄さんを無視するようになったこと、小学校で色々問題を起こしたことを責めている自分を是非「そうするしか、仕方がなかった。だって子供だったし、甘えたかったのだから」と許してあげてください。過去に引きずられず、今をどう生きていくかが、ひとりでがんばっているさんの幸せへのパスポートです。 回答がお役に立てれば幸甚です。 ありがとうございました。 |