人を信じられない自分が寂しい

相談者名
ラベンダー
はじめまして。ラベンダーといいます。
いつもサイトを拝見しておりますが、とても勉強になります。
私は、いつのころからか、人を信頼するということがなくなってしまいました。仲のよい友人といても、家族といる時でさえも、「本当は私のことを嫌いなんじゃないかな」「本当は不愉快なんじゃないかな」という風に勘繰ってしまい、いつも不安になります。また、そんな状態なので、頼みごとや相談事が素直にできず、不満を抱えてしまうこともしばしばあります。向こうから頼みごとをされたりすると「私は頼らないようにしてるのに!」ととても腹が立ちますが、相手が困っていると思うと断れなくて結局引き受けてしまうことが多いです。
男性と付き合っていたことも、過去2回あります。ただ、2回ともHだけはすることができませんでした。相手のことはとても好きでしたし、触れたいとも強く思っていましたが、いざ事に及ぶとなると些細なことが気になってしまって(爪を切っておいてくれないとか、求めてくる時に前の彼女のことを引き合いに出すとか)どうしてもその人を信頼できず、拒んでしまっていました。そうすると男の人の気持ちを踏みにじってしまったという負い目からますます不安になって、ますます嫌われていないかが気になって、「信頼する」ということがどうしてもできませんでした。
原因ははっきりわかりませんが、子供の頃の思い出かもしれません。小学生の頃は両親がよく喧嘩をして(DVの類ではないのですが)、私は母を守ろうと懸命になっていた記憶があります。母の愚痴を聞いたり庇ったり、騎士のような気持ちでいました。
今はフリーですし、特に辛いことはありません。気持ちの安定という意味では、恋人のいない今のほうが気を使わなくて楽だと感じることもあります。ただ、両親はやはり「早くいい人を見つけて」と言っていて、私も両親に心配をかけたくはないと思っています。また両親の期待がなくても、人を信じられる温かい心の人間になりたいとは常々思います。この先誰も信じられないで一人で生きていくのは、とても寂しいことだと思うのです。結婚して家庭を築いても、自分でそれをよそよそしいものにしてしまうのではないかと心配です。子供ができても、私と同じ寂しさを背負わせたくありません。何とかしたいのですが、どこから踏み出せばよいのかわかりません。アドバイスを頂けたら幸いです。
カウンセラー
小川のりこ
ラベンダーさん、はじめまして。
小川のりこといいます。よろしくお願いいたします。

人を信頼出来ない。不安になってしまう。こんな状況は本当に苦しい
と思います。人に自分のことも話しできなくなってしまうこともあると思い
ますし、その後のこともいっぱい考えてしまいますよね。でもそうなると、
ラベンダーさんのしんどさを知ってくれる人がいないわけですから、しんどい
ときでも無理してしまったり、人に合わせてしまったり、気を使ったりする
こともたくさんあるのではないでしょうか。
そんな状態なのに、相手が困っているときは手を差し伸べようとするラベ
ンダーさんは、とても思いやりのある、愛情深い方のように思います。
だけど自分がしんどいとき、頼ってない自分なのに頼られると時には腹も
たつだろうし、これもまた相当しんどいことでもありますね。

>男性と付き合っていたことも、過去2回あります。ただ、2回ともH
>だけはすることができませんでした。相手のことはとても好きでしたし、
>触れたいとも強く思っていましたが、いざ事に及ぶとなると些細なこと
>が気になってしまって(爪を切っておいてくれないとか、求めてくる時
>に前の彼女のことを引き合いに出すとか)どうしてもその人を信頼でき
>ず、拒んでしまっていました。そうすると男の人の気持ちを踏みにじって
>しまったという負い目からますます不安になって、ますます嫌われていな
>いかが気になって、「信頼する」ということがどうしてもできませんでした。
男性との付き合いも同じなんですよね。ラベンダーさんがおっしゃって
いる「信頼する」というところ。特に男女関係ではこころの距離も近くなり
ますし、一緒にいる時間も他の人よりも長くなりますから、自然と
「信頼したいし、信じて欲しい。」気持ちはお互いに強くなりますよね。
だけど彼が前の彼女の話をすると女性も不安になるし、それに悔しい
気持ちもあると思いますから、当然腹立たしくなります。それを拒むこと
で嫌われてしまうような感覚があるとすれば、彼に合わすということを
しなきゃいけない気にもなりますよね。

子供のころの経験は私たちの今の生き方の元になります。
ご両親がよく喧嘩をしていたのだとすると、一般的な話を交えますが、
子供は弱い立場(主には母親ですが、父親の場合もあります)の方の
両親を守ってあげたいと思うもの。だけど守るということは子供ですから
上手にできません。そのかわりにこれ以上母親(父親)をつらい目にあわ
さないように、いっぱいいっぱい我慢をしちゃうことが多いんですよね。
だけど時には子供ですから自然と欲求はあって、(遊んで欲しいとかね)
それをお願いしても、喧嘩していらいらしてる両親はついつい子供にどなっ
ちゃいます。すると、

「・・・してほしいけど我慢しなきゃ。」って。
「我慢しなきゃ、怒られる。嫌われちゃう」って。
こうなると生き方としては、
「愛されるためには我慢しなきゃ。」
が基本になることも多くなります。だけどこれって相当しんどいことですよね。
我慢がいっぱいですから、不満も当然持ってしまいます。
「我慢して・・・しなきゃ、愛されない。」
ですから、決してこころからしたいことではないんですよね。

実は、小川もこの感情をいっぱい持っていました。
父がアルコール依存でしたから、両親の喧嘩や暴力が多くて怖くて、
怯えていたからいじめの対象にもあって、
「我慢しなきゃ愛されない」って感じてました。
だから私なりにですが、なんだかとても強く、ラベンダーさんの思いを分かってあげ
たい気持ちにもなってしまいます。

ただ、自分がそうだったから自画自賛になってしまいますが・・・。
こういう方は、人に対する思いやりはすごく強く、天性のものがあるんですね。
それはもちろん傷ついてきた部分が大きいからなんですが、
その分たくさん学ぶんです。
「優しさ」をね。
感情に繊細で、人の気持ちを理解する。人を受け入れてあげる気持ち。
温かいこころ。温和な人柄。包容力。そして人が本当はとても大事で好きな方。
ラベンダーさんもそういう方だと思います。
この苦しさを抜けるカギは、
「人にその苦しさを話すこと。」これが基本だと思います。
カウンセリングでは「感情の解放」といいます。こころのうちを自由に声に出して
誰かに聞いてもらうこと。人を信用出来ない部分があるからこそ、誰かを信じて
その思いを話すことは、とても大きな変化をもたらします。私もここから始めまし
た。
私は以前ここメンタルに相談に来るお客さんでしたからね。
誰かを信用して本音を話すのは相当勇気が要ります。だから無理しないで、
少しずつでいいんです。そしてそれを聴いてもらう相手として、カウンセラーを使っ

みてくださいね。ご相談ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

アルコール依存症の父からの虐待経験、学生時代のいじめから、恋愛依存、不倫や風俗を経て、自分を抑え付けるような結婚生活後、8年で離婚。その後自分に向き合い、今は穏やかに生きる。 過去のあらゆる経験をもとにして、恋愛関係、家族関係を得意とし、お客様と共に成長するスタイルを取る。