相談者名 | 鈴木 |
ご担当者様 お世話になっております。 私は現在、28歳になります既婚女性です。 私になにが欠けているのか、カウンセリングして教えてください。 悩んでいます。 鈴木 | |
カウンセラー | 向井康浩 |
鈴木さん、はじめまして。 今回御相談を伺います、向井康浩と言います。 私共のサイトに興味をお持ちくださって、とても嬉しいです。 ウチにご相談に見えられる方には、いろんな境遇の方がいます。 お友達関係を含めて対人関係を維持できないご相談も実は、よくいただく内容のひとつです。 さて、鈴木さん。もしかするとこんな思い込みがあったりしませんか?例えば、お勤めされてるとしたら・・・ ・28歳なら仕事のことも大体わかってきた。 なのに、私にはそれができない、それ相応のものが自分にはない、って風に。 世間体とか、年齢相応とか、28歳の大人ならこうあるべきとか、こういう風に、ああいう風に見られるから、それにふさわしい行動をとらねばならないとか。 人の目から見て自分がどう映るかとか、他人からの評価がどう映るかが、鈴木さんの中で生きていくための基準やものさしみたいになって、そこに必要以上に、御自身を合わせよう合わせようとされてるか・・・あるいは、鈴木さんが御自分の中にある、なんらかの固定観念にしばられてるのかもしれませんね。そんな御生活は・・・息苦しくないですか? 恐れ入りますが、果たして、年齢相応とか世間体って、いったい誰が作ったものなんでしょうか?これは、すごくあいまいで、特にこれといった基準がない、また時代によって変化もする、絶対的ではない相対的なもののように感じますが、鈴木さんはどう思われますか? 例えば、戦国時代を生きた織田信長は「人生わずか五十年。下天の内を比ぶれば、夢まぼろしのごとくなり・・・。」って唄をうたいました。いくさのほかに、天災や飢饉などもあって、この時代は五十年生きるのも大変な時代でした。ところが今はいかがですか?五十才の方と聞けば、お元気な方が多いですし、今では働き盛りでまだまだ人生これから、って時代ですよね。 おいたちや生活環境は、人によって様々で、星の数ほどあると思うのです。それと同じくらい、人の個性も様々です。まず、人と自分を比べておられませんか?それはおやめになりませんか?意味のない競争をして「こんな私は誰からも愛されない。」を自ら際立たせて証明してるみたいです。 また、「自分は完璧でなくてはならない。何でもそうだ。」って完壁主義があるのかもしれませんね。鈴木さん、周りの方をちょっと見回してみてください。何でも完璧にできる人って・・・どれだけいらっしゃるでしょうか?今の鈴木さんの周りの状況は詳しくはわかりませんが、僕が知ってる限りでは、あまりお目にかかったことは・・・ないですね。 人は、時には失敗することもあるし、またそこから学ぶこともたくさんあります。それは、いくつになっても続くものではないでしょうか?不完全なところもあって自然だと思いますけど、鈴木さんはいかがお感じですか? 鈴木さんには、一緒に過ごす御主人がおられますよね。では、どうして御主人は鈴木さんと一緒になりたいと思われたんでしょうか? 御主人に映る鈴木さんは、一生をかけて愛するに値する、とても魅力的な方と感じたんです。だから「私には何かが欠けてる」なんて思わなくていいんですよ。鈴木さん自身が、御自分の魅力や価値を受け取っておられないとしたら、それはとても悲しいことじゃないでしょうか?それは、なかなかお友達ができなかったこととも無縁ではないと思うのです。 例えば自分をさらけ出すのが怖いとか、自分の中でどうしても受け入れきれない部分がある、それを見せたら自分は嫌われる、とか。少なくともそれが痛みとなって、そんなイヤなところがある自分はキラい、誰からも愛されたり、受け入れられるはずがない、って・・・。 無価値感が生み出す自己嫌悪と結びついたのかもしれませんね。 ここからは、あくまでもいくつかあるケースの中の例として読んでくださいね。例えば、苦しい時に・つらい時に誰かに頼りたい、甘えたかった時に突き放された。突き放された時に言われたこととして、ごきょうだいの一番上なんだからおねえちゃんらしくしなさい(男性だとおにいちゃんらしくしなさい)とか、一番上の方でなくても、名士のお家の方なら、あるいはお家で事業所やご商売をされてる場合、みんなに見られてることを意識してね、とか。 向井家のように公務員を亡父に持った家であれば・・・例えば選挙管理委員会に父が配属の時、選挙期間中は、立候補の運動員やボランティアの方が掲示板やポスターを貼らせてくださいとお願いに来られたら、ウチの父は選挙管理委員会にいて公平の立場なので、どの陣営の方が見えられても失礼のない様に、理解してもらって丁重にお断りして、気持ちよくお帰りいただいてね、て風に・・・。 自分がどうありたいか、よりも他人がどう思うかが判断基準でした。それは、見た目ばかり気にして中身が伴わないや、なんて。それを見せたら自分は嫌われる、そんな自分は嫌い、誰からも愛されたり、受け入れられるはずがない、って無価値感が生み出す自己嫌悪が結びついたとしたら・・・自分をさらけ出すのが怖いとか、自分の受け入れ切れない部分は見せたくないと、お感じになられたのも無理はありません。 こういった部分も、鈴木さんだけが抱えておられることではないんですよ。 自己攻撃する自分の嫌いなところは見せなくてすむかもしれません。それを通して得られる他人のあざけりや非難中傷や不快感・自己嫌悪は、感じずにすむでしょう。しかし、同時に鈴木さんの持てる価値や魅力、つまり長所も隠します。人との関係を通して得られる楽しい感覚や親密感、つながりをも遠ざけてしまいます。 職場での対人関係に反映されたものは、御主人に対しても反映されたもので、これが対人関係のパターンになってます。そんな中で、御主人と言う強い味方がおられるのは心強いことですし、御主人のご好意を受け取れるようにもなってほしいです。 僕から見た鈴木さんのテーマは「親密感への怖れ」と申し上げてもいいかな・・・どんなおいたちを過ごしてこられたのかはよくわかりませんが・・・心理的なブロックやカベがあるみたいだから、とりのぞいていくようなケアやサポートが必要かと思います。一番の原因は「抑圧された依存心(甘えたい・頼りたい)」じゃないかな。それを自らに受け入れることを認めることも必要かと思います。 その作業は、おひとりでは大変だと思うので、いろんな方の力をかりたほうがいいでしょうし、その選択肢のひとつにカウンセラーの力を借りることも検討してみてください。この「依存心を受け入れること」が、鈴木さんが持てる価値や魅力を実感できて、肩ひじはらない自然な対人関係を築く道かと思います。 そして上記で述べたように、もしあるとすればですが、完壁主義や世間体・年齢相応などの固定観念にとらわれなくなったり、また何らかの基準に自分を無理やりあわせる、などの不自然な犠牲した生き方からも、解放されます。ご主人との関係もなめらかになるでしょうし、鈴木さんの御実家の方も安心されるでしょう。御自身を掘り下げる、みつめる作業をなさってください。 それをなさりながら、個人で楽しめたり、利害関係がない趣味やサークル・クラブなどの集まりがあれば、参加されてもいいでしょうね。普段から何か興味をお持ちのものはありますか?共通の話題が見つかってリラックスしやすいし、お友達や仲間作りにはもってこいじゃないかな?(もし、どこかに参加されてて、イマイチ付き合いが浅いなって言うなら、さらに交流を深めてみませんか?) *御自身を掘り下げるのを抜きにして、仲間作りのほうを優先したり、交流を深めたりするのは、あまりおすすめできません。 >このまま孤独な人生でしょうか? いえいえ、そうではありませんよ。まず身近な周りの人をもう一度よく見ることから始めてもらえませんか? あなたはひとりじゃありませんよ、って。 ご参考になれば幸いです。僕も鈴木さんの新しい門出を応援しています。 |