相談者名 | 綺夜 |
小さい頃から(おそらく始まりは小学4年生くらいから)、自分に自信がなく、自分はいらない存在だと感じてきました。もちろん、常にそのことばかり考えているわけではありませんが、気持ちが沈んだ時は必ずそこへ行きついていました。自殺を考えたことはありますが、痛いのが怖い・親に迷惑がかかる・苦しいのは嫌、という考えから実行に至ったことはありません。せいぜいが掌をカッターで少し切ってみたり、首に包丁を当てて(添えて)みたりした程度です。 対人関係もうまくいかないことが多く、嫌われないために何かをすることがほとんどでした。自分は嫌われていて当然だと思っている節があります。友達はいます。彼女らはとても心の広い人たちだと思います。 何をやっても、どこに所属しても長く続かず、最後は「自分がいても役に立たないか。それなら、いるだけ邪魔だ。」と感じてやめることが多いです。相手が「ありがとう」と言ってくれても、自分に対する感謝だと受け取ることはほとんどありません。むしろ、ありがとうと言ってもらえるほどのことはしていないので、言ってもらって申し訳ないとすら感じていた時期があります。 何度も親(特に母親)には話してきていますが、すでに匙を投げられています。「一人で勝手にやっていれば」と言われたことも多いです。一時は「いらないなら、どうして産んだの?!」などと暴言もはいていました。 今までに何度も「どうしてここまで自分は価値がないのだろうか?生きている意味がないのだろうか?」と思い悩んできました。その中で、もう認めてしまえばいいと思ったこともあります。生きている意味も価値もないのに、自分のエゴで生きている最低なやつだと。ただ、どうしてもそれができませんでした。 自分勝手だとは思いますが、「自分は生きていてもいいんだ」と思えるような理由が一つくらいほしいのです。考え方自体が間違っているのは承知の上です。 話が飛びすぎていてわかりにくいかもしれませんが、できれば回答をお願いいたします。 | |
カウンセラー | 三島桃子 |
綺夜さん、はじめまして。今回担当させていただく三島桃子と申します。どうぞよろ しくお願いいたします。 綺夜さんのご相談を読ませていただいて、胸が痛みました。私自身が、長い事このよ >小さい頃から(おそらく始まりは小学4年生くらいから)、自分に自信がなく、自分 とのことですが、おそらく何かの事情があってそんなふうに感じるようになったのだ でも、その事情に向かい合うこと自体が綺夜さんにとって少々つらいことかもしれま 例えば、お姑さんとの関係で苦しんでいるお母さんを助けてあげられない自分には価 また、親やきょうだいが病気で亡くなった時に、自分は何もできなかった、助けてあ あるいは、親が自分より他のきょうだいをかわいがっているように感じた時に、嫉妬 さらには、自分がきょうだいより恵まれている(健康面や能力などで)と思った時 そして、一旦「私なんかいらない存在なんだ」と思うようになると、「こんな私が許 >相手が「ありがとう」と言ってくれても、自分に対する感謝だと受け取ることはほ >その中で、もう認めてしまえばいいと思ったこともあります。生きている意味も価 この辺りの心理の裏にあるのも、「自分に罰を与える感覚」だと思います。 いいもの(感謝や愛など)は受け取ってはいけない、という罰。 自分にはそれだけの罪がある、と感じているのでしょう。 結論から言えば、綺夜さんは「無罪」です。「自分には生きている価値はない」とい 私たちが生きていることに、意味も価値も、もともとないのかもしれません。 でも、「偶然」を「奇跡」に置き換えることもできると思うのです。 地球上に奇跡的に生命が誕生し、長い時間の間にいろいろな奇跡が重なって、奇跡的 「意味」も、「価値」も、私たち人間が考え出すものです。 逆に、自分が「意味がない、価値がない」と思えば、それが自分にとっての真実に 今、綺夜さんが「自分には生きている価値も意味もない」と感じているとしたら、周 綺夜さんにできることは、自分の誤解を解くことではないかなと思います。 >自分勝手だとは思いますが、「自分は生きていてもいいんだ」と思えるような理由 そうですよね。人間誰でもそう感じると思いますよ。 私も、自分に生きる価値とか意味があるのかと言われると、よくわかりません。 かつては私も綺夜さんのように感じていましたが、今は「自分は生きていていい」と 綺夜さんのこと応援していますね。 三島桃子 |