自分が何者か、何がやりたいのか分かりません。

相談者名
METI
 27歳男性で、福祉施設で働いています。既往歴を申しますと、2~3年前にパニック障害を起こし、心療内科に通い始めました。心療内科に通って、強迫性障害が根底にあると分かりました。
私は、大きな夢を持っています。それは、小室哲哉さんのような売れっ子音楽家になることです。その為に、高価な機材を揃えました。ところが、昨年から水谷豊さんのような俳優になりたいと思い立って、仕事の傍ら某プロダクションの養成所に通い始めました。このように、私は色んな人に憧れ、色んな人になりたがる傾向があるんです。歌手の小林幸子さんのファンになり、お金をかけて遠くまでコンサートに出かけたり、ゴルフの石川遼さんに憧れて、同じゴルフセット一式(20万)買ってしまったり。テレビドラマの登場人物に憧れてその人間の人格になったりもします。友達に言われました。「2頭追う者は1頭も得ず」と。全くその通りでした。高校卒業して10年近くなりましたが、何も得るものは無く、何も満たされず過してきました。私はこれからもずっと、誰かに、あるいは物に依存しながら生きていかねばならないのかと不安で仕方ありません。お金の使い方も半端ではありませんし。こうして不安を抱えていると、強迫観念がまた再燃してきてしまうのです。今まで得た物は、しいて言えば、多額の借金と孤独だけです。もうどうしようもありません。私は依存性の人格障害なのでしょうか?今後については、自殺も視野に入れて考えています。遺書もできてます。あとは日付を書くだけです。ただ一つ気がかりなのは、借金です。借金という傷跡を家族に押し付けてしまうのが唯一の気がかりです。長文になって申し訳ありません。
カウンセラー
池尾昌紀
METIさん、こんにちは。
池尾昌紀と申します。ご相談ありがとうございます。
死ぬ程の苦しみ、という言葉がありますが、METIさんの苦し
みはまさにその言葉どおりではないでしょうか。
何度も何度も自分に問いかけ、自分を責め、苦しんで苦しみ抜いた
ところに今回、こうしてご相談くださったのだと思います。
こうした心のうちを打ち明けるのはとても勇気がいることです。
まずはこうしてご相談くださったご自身の勇気をどうぞ褒めてあげ
ていただきたいと思います。

何かが心の中に足りない、そういう思いを心の奥深くに持っている
と、人は自然にそれを何かで埋めようとします。
何で埋めようとするのかは人それぞれですが、例えばたくさんの人
とおつきあいをする、激しく仕事に打ち込む、などがあります。
お金を使う、というのもその中のひとつとして考えられるものです。
心の中に何かが足りないという思いは、実は、自分が愛されていな
いという思いからくることがあります。
強く強く愛されたいと思っているのに、一方では、自分は愛される
はずがない、と思っているために、何かで埋めようと努力しても、
一方の気持ちが「無理だ」と引き離してしまうので、埋めることが
できないのです。

また、METIさんは、いろいろな人に憧れることについても書
かれておられます。
何かに憧れる、というのは、今の自分が大変身して全く別に人にな
る、という願望ですが、それは、今の自分は価値がないという「無
価値観」からきていると言えるかもしれません。
こんな自分は価値がない、愛されるはずがないから、変身したい、
と思う訳です。
けれど、そこにはもうひとつ、「決して自分は変われるはずがな
い」という思いがあります。
そのため、憧れて何かをはじめてみても、最初はいいのですが、
段々と気持ちが冷めてしまう。
無理もないのです。心のどこかで「あきらめ」てしまっているので
すから。

どちらも共通しているのは、無価値観とあきらめの気持ちです。
それはいったいどこからくるのでしょう。
そうした無価値観やあきらめの気持ちは、幼少期に原因があるとも
言われます。
例えば、両親が共働きでとても忙しく、かまってもらうことがな
かった、とか
親が厳格な人でとても厳しく、いつもぴりぴりしていて甘えること
ができなかったとか
ケースは人それぞれですが、このような小さい頃に「愛されなかっ
た」という経験をしていた場合、
子どもは「自分に価値がないから愛されないのだ」と自らを罰して
しまいます。
子どもにとっては親がすべての時代です。
絶対的な愛の存在である親から愛がもらえないと感じたとき、それ
は他の誰でもない自分のせいだと思ってしまいます。親を愛するが故に。
けれども、こうした「愛されない思い」は誤解であることが本当に
多いのです。
先の例でいえば、子どもに不自由な生活をさせたくないという思い
から収入を得ようとしていたかもしれない。
厳格さの後ろには、きちんと育てなければ社会に出た時に通用しな
いという思いから、泣く泣く厳しく接していたかもしれない。
これはあくまでも単純な例ですが、こうしたことがいくつも重なっ
て、いってみればしかたのない理由で、親御さんは子どもに接して
いたのかもしれないのです。
もし、それが誤解だとしたら。親御さんは、あなたを本当に心から
愛していたけど、それを表現できる状態ではなかっただけだったと
したら。
心の中に空いていた空洞は戻ってきます。
「わたしは実は愛されていたのだ」と。

METIさんがこうしたケースにあてはまるかどうかは、実際にお話を
伺ってみないとわかりません。
もし機会があれば、是非、詳しく思っておられる心のうちをお話い
ただきたいです。
なぜなら、文面では書ききれなかった、たくさんの思いを感じてお
られると思うからです。
しかしながら、ひとつ確実に言えることがあります。
それは、METIさんは「家族を愛している」ということです。

それは最後の言葉にすべて集約されています。
「借金という傷跡を家族に押し付けてしまうのが唯一の気がかりで
す」と。

死を覚悟してなお、こうした家族への思いを持っておられること。
これは本当にすごいことです。
繰り返しますが、これは本当にすごい、そして素晴らしいことだと
思います。
もしかしたらMETIさんにとっては、そうした心配をすること
は当然のことかもしれません。
でも、その思いを持っている事が、今のあなたが生きている証と言
えるのではないかと思うのです。
家族への愛が自分を生きさせている。
それは、誰かのためにどんな苦労もいとわない生き方と同じだと僕
は思います。
あなたは家族を助けるため、苦しませたくないために努力されてい
るのではないでしょうか。

METIさんはきっととても繊細で純粋な方なのだと思います。
誰かに憧れてしまうのは、実は、そうしたあなたのもつ本当の才能
が影響しているとも言えるのではないでしょうか。

ご相談ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

名古屋を軸に東京・大阪・福岡でカウンセリング・講座講師を担当。男女関係の修復を中心に、仕事、自己価値UP等幅広いジャンルを扱う。 「親しみやすさ・安心感」と「心理分析の鋭さ・問題解決の提案力」を兼ね備えると評され、年間300件以上、10年以上で5千件超のカウンセリング実績持つ実践派。