楽しいこと、うれしいことから距離をとってしまう
自分には、価値などないと感じている感情が、無価値観です。
無価値観が強いと、楽しい、うれしいなどの、いわゆるポジティブな感情を感じないようにしてしまうことがあります。
価値がない自分は、価値がない状態にふさわしく、苦労して、しんどいのがちょうどよいと思い込んでしまうからです。
楽しいこと、うれしいことから距離をとってしまうので、幸せになりにくい状態になってしまいます。
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「自分に価値などない」と思っている感情が無価値観といわれるものです。
自分に価値がないのだとしたら、そんな自分に良いことや、楽しいことが起こりえるとは思えなくなります。
そうすると、誰かがやさしくしてくれても、「今だけでしょ」とか「何か裏があるに違いない」と考えてしまい、誰かのやさしさを感じることができません。
誰かを疑ってしまうようになるのです。
人だけではなく、楽しい、うれしい状況も「そんなはずはない」と疑ってしまいます。
疑っていると、楽しくもありませんし、もちろん幸せとは思えません。
また、友人と楽しい場所に出かけたとしても、価値がない自分には似つかわしくないように感じて、居心地が悪くなってしまいます。
そして、価値がない自分に似つかわしいようにと、わざわざ楽しんでいる友人から離れて、一人で過ごしてホッとしてしまったりします。
人間には、内面と外の世界を一致させようとする心の働きがあります。
「自分には価値がない」「価値がない自分には不幸がお似合い」と、思い込んでしまっている内面があると、楽しい、うれしいというような幸せな状態が、居心地悪くなってしまい、内面の不幸な状態に合わせるような言動を、無意識のうちにとってしまうようになるのです。
例えば、「君は素晴らしい人だよね」と、誰かにほめられたとしましょう。
ほめられればうれしいものですが、無価値観が強い人は、その言葉と自分の内面が一致しません。
途端に居心地が悪くなってしまい、「誰にでも言っているんでしょ!」と憎まれ口をたたいてしまったり、ほめてくれている相手を無視してしまったりして、悪い態度をとってしまうことがあります。
そうすると、悪い態度をとられた人は、嫌な気分になってしまいます。
「嫌なことを言う人だな」と思われるかもしれませんし、「ひどい態度だな」と思われるかもしれません。
そんな態度の人に、近づいて仲良くしたいとは思いませんから、ほめてくれた人ですら、その人のもとを去ってしまいます。
そして、無価値観が強い人は、「ほらね。私にはどうせ誰も近づいてはきてくれないのよ」と、内面と外の状況が一致して、ほっとしてしまうのです。
思考では、「幸せになりたい」と思っていても、自分は無価値だと思っていると、無価値な自分にふさわしいと思えるような状態を、無意識のうちに作り出してしまうのです。
これでは、幸せになりづらいですね。
無価値観が強いと、誰かに価値を伝えてほしいと思いつつ、価値を伝えられると、受け取れないという状態になってしまうのです。
また、誰かに価値を伝えてほしいという態度は、「私を認めてほしい」という依存的な態度になりやすく、それだけでも、人から重い人と扱われてしまうこともあります。
さらに、認めてほしいというので、認めたら、素直に受け取ってくれるどころか、拒絶して、嫌な態度をとられてしまう。
こうなってしまうと、誰もその人に近づかなくなってしまいます。
まずは、あなたを認めて、ほめてくれる人の言葉を信頼してみましょう。
自分に価値があるとは、すぐに思えなくても、誰かを信頼することから始めるのです。
見ず知らずの人でなくてもいいのです。
この人なら信頼できるという人を探して、その人が伝えてくれるあなたの価値を、信頼してみて下さい。
無価値観によって、無意識のうちに幸せになりにくい態度になっているのは、とてももったいないことです。
「私は幸せになっていい」と、自分に許可が出せるようになることが、最終目標ですが、それまでは、誰か一人でも信頼できる人を作ってみて下さいね。
(完)