肌年齢なんていいますが、今日は、心の年齢についてのお話です。
お付き合いいただけたらと思います。
カウンセリングでお話させていただいていると、伺った年齢よりも、伝わってくる雰囲気が大人びてらっしゃったり、老けている印象だったり、逆に若かったり、幼い感じがしたりすることがあります。
声のトーンや話し方で、感じることもありますし、お話される内容から、そう感じることもあります。
ここには、私たちの肌年齢ならぬ、心の年齢があるような気がするのです。
肌年齢は、実年齢よりも、下だったり、上だったりしますよね。
肌年齢は、若い方がいいに決まっておりますが、心の年齢は、あまりにもズレがあると、生きづらさにつながることもあるように感じます。
心の年齢は、心の一部が置き去りになった場所なのではないかと、私は感じています。
例えば、女性の場合、母親との関係に問題があることは、本当によくあることです。
一番知っている、一番近くの大人の女性は、多くの場合、母親ですから、大人になった自分が、母親から多大なる影響を受けていることに気づいたり、葛藤に苦しむこともあります。
自身が幼い子どもだった頃は、母との関係は、ひとつ屋根の下におさまっていたけれど、もう大人同士になった今、関係性は、小さな子どもと親ではなくなっていきます。
大人同士の関係性でないと、うまくいかなくなるのですね。
これは、思春期の反抗期を経て、バリバリとくっついていた母子関係を剥がしていくことができていれば、うまく移行できます。
しかし、なんらかの理由で、「いい娘」を継続するしかなかった場合、大人同士の、水平な関係になっていくことができていないこともあるのですね。
母親との関係に問題を抱えている方の雰囲気は、思春期のお嬢さんのようだったり、反抗期の高校生のようだったりします。
もちろん、あくまで「印象」ですけれど。
これが、心の年齢なのだなと感じるのです。
思春期の頃の自分が、ちゃんと母親から、理解されていなかったり、母親に腹が立っていて、納得できなくて、反発したかったけどできなかった、させてもらえなかったことで、心が、その時代に置き去りになっているようです。
少女の私が、今もそこで、思春期の多感で繊細な不安定さや、若いまっすぐな情熱を持ったまま、立ちすくんで、何年も動けないでいるような感じでしょうか。
心の一部がこんなふうに、大人になった私から離れてしまっていると、大人の今の私が、窮屈になってしまいます。退屈に感じたり、不自由な感じがすることもあります。
少女の私を一番理解できるのは、誰でしょうか。
あの頃の私を一番知っているのは、誰ですか。
誰よりも近くにいた、「私」ですよね。
「私」は、少女が辛かったことも、悲しかった時のことも、怒っていたことも、不安だったことも、全部知っています。
一番の理解者に、今ならなれます。
少女の私が、大人になった私とちゃんと繋がって、一緒になっていくことで、大人の「自由」を手に入れるのです。
幼くて、自由が制限されていた時代は、もう終わり。
いえ、実はとっくに終わっていたのですが、心が追いついていませんでした。
心の年齢が、成熟した大人の年齢になり、少女の持つ瑞々しい感性が、それに加わることで、本当に素敵な女性になれるのです。
お役に立てれば嬉しいです。
おつきあいありがとうございました。