自分の感情や行動は自ら選択する
他人にふりまわされる人は、「私が間違っているのでは」「私が悪いのでは」と思いやすいために人に合わせる傾向や、「誰かのせい」「何かのせい」と相手が変わることを望む傾向があります。それは、「私は相手に悪い影響を与えるに違いない」とか「自分ではどうすることもできない」といった誤解のためです。他人にふりまわされないために、アカウンタビリティ(責任の概念)の考え方を取り入れて、自分の感情や行動を選択してみませんか。
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同じ出来事に遭遇しても、他人にふりまわされる人とふりまわされない人がいます。その違いはどんなところにあるのでしょうか。
■他人にふりまわされる状態~私が間違っているから・私が悪いから~
「普通○○するもの」「常識的には○○すべき」「○○するのが正しい」と自分に言い聞かせることが多いとしたら、自分の意見や感覚に自信を失っていませんか。
「嫌われるのがこわい」と思っていると、相手の顔色をうかがい、無理してでも人に合わせようとするでしょう。「拒絶されるのがこわい」と思っていると、自分から働きかけることができずに、わがままなどに付き合うことも多くなるでしょう。いい人を演じて、疲れてしまうこともあるでしょう。
「私が間違っているのでは」「私が悪いのでは」と思いやすいとしたら、自分の軸を疑い、他人軸や世間軸に沿って行動することになるでしょう。
「自分の言動が相手に影響を与えている」という理解は大事なものです。ここで問題となるのは、「私は相手に悪い影響を与えるに違いない」という誤解です。
自分からの「悪い影響」は確信しているのに、「いい影響」は一切認めないとしたら、バランスが取りにくいでしょう。
もし自分からの悪影響ばかり気になって、他人にふりまわされているとしたら、自分からの好影響を評価してみるといいでしょう。
たとえ「嫌われたくないから」していたことであっても、そこには少しは善意や優しさが含まれていたのではないでしょうか。
自信がない人は、謙虚さを併せ持っています。過大評価するくらいでちょうどいいのかもしれません。
■他人にふりまわされる状態~○○のせい~
何かがあった時に、「誰かのせい」「何かのせい」と外のもののせいにしているのなら、他人にふりまわされやすい傾向があるかもしれません。
とはいえ、ショックな出来事があったら、そう思いたくなることだってあるでしょう。
「私は悪くないのに、なんでこんな目にあうのだろう」「私にばかり、どうしてこんなことが起こるのだろう」とか、ショックの直後は思うかもしれません。
ひとつの見方として、「私をこんな思いにさせたのはXXさんのせい」と怒る・恨むことで、心の状態を保とうとしているのでしょう。
本当に感じていることは、「お願いだからあなたが変わって、私の嫌な気持ちを取り除いて」「私は悪くないと思わせて」という切実な願いだったりします。
しかし、逆を言えば、「あなたが変わらないと私の気分は変わらない」「あなたが私を認めるべきだ」と、相手の言動に自分が左右されているわけですから、それは他人にふりまわされていることになります。
「相手のせいで傷つくので、自分ではどうすることもできない。(それくらい私は無力だ。)」と自分自身をちっぽけに思うのは、苦しいことではないでしょうか。
自分で自分の気分を整えること、自分が自分を認めること、本来もっているはずの力を使ってみてはいかがでしょう。もっと言えば、自分が先に相手を認めることだってできるでしょう。力がないのではなく、力を使う方法を知らなかっただけなのかもしれません。
■他人にふりまわされない考え方
アカウンタビリティという考え方があります。一般的には「説明責任」の意味ですが、心理学では「責任の概念」として扱います。
言い換えると、「私達に起こることのすべては私達の責任(=選択の結果)」として考えてみましょうという提案です。
もう少しマイルドな言い方をすると、「自分の周りに起きている出来事には、自分も何かかかわっているかもしれない」と考えてみませんか、という提案です。
この提案を「自己責任で、自分が悪い」と言われていると捉えると、抵抗感が出るでしょう。この考え方は、自分をいじめようとして聞けば、いくらでも自分を責める材料になります。
しかし、アカウンタビリティの考え方は、「自己責任だから、自分が悪い」「選んだ自分が悪い」と自分を責めるためにあるのではありません。「もっとこうできたらいい」と見つけるための考え方です。
「もしかしたら自分にも責任があるのかも?」と思えたら、「自分の責任で変えていくことだってできる」と捉えていただきたいのです。
この考え方を取り入れると、自分の人生に主体性・主導権を取り戻すことができます。
アカウンタビリティの考え方で、
○自分が変われば、問題を解決できる可能性
○自分の態度が変われば、状況を変えられる可能性
が得られるでしょう。
起きていることに「自分がどうかかわったのか」を理解し、その状況を変えるために「自分ができることは何か」と考える人は、他人にふりまわされません。
他人や出来事に対して「私が○○している」「私が選んでいる」と思うならば、自分の行動・自分の選択で感じる世界を変えていくことができるでしょう。
(完)