仕事で同僚が褒められているのを見ると、どんな気分になるでしょうか。
良かったと心から喜べるとき、純粋にうらやましく感じるとき、特に何も感じないとき、なんだか複雑な感情が湧き上がってくるとき、怒りを感じるとき、様々かもしれませんね。
仕事を頑張っていると自分では思っているのに、思ったような評価を得られないとき、自分よりも頑張っていないのではないかと思う同僚が褒められていて、でも自分は褒められないとき、頑張っている分、苦しい気持ちにもなったりもします。
そんな時は、怒りが湧いてきたり、やるせない気持ちになったり、落ち込んでやる気まで失ってしまったり、様々な感情が起きることもあるでしょう。
ネガティブな感情を感じるとき、嫌な気分がするし、それ故、ネガティブな感情を抱く自分を良い風にも思えなくなることもあります。
自分が頑張っていれば、それだけ自分が評価されないことに悲しさや切なさを感じます。
認められたいのに、それが手に入らないと、苦しみを味わいます。
つまり、そこに、それだけ頑張ってきた自分がいるということです。
それをまずは認めてあげてほしいなと思います。
頑張っている自分も、出来ている自分も、ディスカウントすることなく、そのまま額面通りに受けとめる。
それが最初に必要なステップかもしれません。
こんなとき、何が起きてるのでしょうか。
実は、自分の成長を認識できていないことが多いんですね。
自分が思う自分と、周りから見られている自分が違うのです。
例えてみると、子供が靴下を脱げるようになると、周りの大人は「よくできたね」と褒めてくれるようになります。
褒めてもらえると嬉しいですよね。
でも、そこで子供が靴下を履けるようになったことを、大人はいつまでも喜んではくれないし、そしたら次は「洋服のボタンを留めてみよう」とか、「上着を着てみよう」とか、新たな挑戦が求められて、子供はむずがったり、時には癇癪を起こしながらも、様々な新たなことを身につけていきます。
できることが増えていきます。
ステージの変化なんですね。
あなたは、もう一歩階段を上がるところまできているのです。
つまり、あなたが思っているよりも、あなたは既に、より高いところに到達していて、上司から見ると、「もっとできる」とか、「ここを任せたい」とか、「期待している」ということなのかもしれません。
周囲から見ると、明らかなあなたの変化や成長が見えるので、その分、あなたに対する要求が以前よりも大きくなっているということです。
でも、ここで自分の変化や成長を認識していなければ、とてもしんどい思いを感じるかもしれません。
まるで、「自分ばっかり損している」というように。
特にここでこのような思いを抱えがちになってしまうのが、真面目で一生懸命で、責任感が強い方かもしれません。
ここで立ち止まって、振り返ってみて、自分ができていること、できるようなったことを、一旦、棚卸をしてみるといいのかもしれません。
それでも尚、評価されないと感じるときは、自分の成果を自分の外側の世界に表現できているかを確認してみる必要があるかもしれません。
真面目で一生懸命で、責任感が強い方こそ、自分を認めることが苦手だったり、どこか職人気質なところがあって、成果を周囲にアピールしたりするのが好きではなかったり、苦手だったりします。
でも、それだと、あなたがたくさんやってきたことの成果が、周囲の人に正しく伝わりづらかったり、それほどたいしたことをやっていないと誤解されてしまうことも時にはあるんですよね。
頑張ってきたからこそ、傷つく。まずはそんな頑張ってきた自分を肯定してみませんか。
悔しさや羨ましさが生まれるって、それだけの頑張りがあったり、思いがそこにあるからこそ生まれるものなのですよね。