愛を与える喜びを感じるようになろう
こんにちは 平です。
恋は“期待”から始まるといわれます。
だれかを好きになったとき、人は「私の王子様を見つけた」、「ぼくのマドンナが現れた」と思い、その彼(彼女)を“素晴らしい人”だと認識します。
俗にいう「あばたもえくぼ」の状況です。
ものすごく“素晴らしい人”だと認識することで、もっともっと彼に恋をすることができるわけです。
このとき、私たちは彼(彼女)のことを客観的に判断しておらず、きわめて主観的に、
もっといえば、自分に都合がよいように相手を王子様やマドンナに仕立て上げています。
自分の理想をパートナーに映し出し、押しつけているともいえるかもしれません。
つまり、恋愛初期の時代、あなたは“自分が作り上げた理想のパートナー”と恋をしているともいうことができるでしょう。
もちろん、現実のパートナーは、あなたが映し出している理想化されたパートナーとはだいぶ違います。
実際のおつきあいの中で、彼(彼女)は『ハーレクインロマンス』の登場人物のようなことを言ったり、したりしてくれることはありません。
王子様が「デート? めんどくせぇ。きょうは家でゴロゴロしてる」と言ったり、マドンナが「うぜぇ、うぜぇ、超うぜぇ! 課長の山田、死ね、死ね、死ね!」などと言うこともあるわけです。
といっても、恋愛初期の時代は多くの人が好意的にその状況を受け容れます。
王子様やマドンナがここまでの言動をするのには、「よほど大変なことがあったのに違いない」、などと。
しかしながら、同じようなことが日常的に起こるようになり、ようやく気づきはじめるのです。
「この人は、私が思っていたのとは違うのではないか‥‥?」
あなたの素晴らしい気づきは、ほとんどの場合、正解です。
ティーンエイジャーや20代前半の場合、この恋はたいていこの時点で終わり、そして、あなたは “失望”や“期待はずれ”という感情を手に入れます。
ただ、それでは、ほんとうの意味で彼(彼女)を理解し、おつきあいしたという状態は作れていません。
一方的に自分の理想を作り上げ、なぜ、その通りでないのかとパートナーに文句を言って恋が終わるのですからね。
若い時代は、自分に自信がないことから、恋愛にも不十分な自分を励まし、認め、育ててくれるような相手を求めがちです。
すると、昔、両親が自分の面倒を見てくれたようなことを男女関係にも期待してしまいます。
「だって、私はこんなに不十分だから、面倒を見てくれる人がいないと困るでしょ?」、と。
ここにあるのは、「みんなは素晴らしい。私だけ欠陥品」という思い込みです。
だから、自分の欠けた部分を埋め合わせてくれる、素晴らしくも立派な人が必要であるわけです。
しかし、成長して、自分自身の自立の度合いを強めていくと、人は自分以外の人に面倒を見てもらうことは求めなくなっていきます。
だって、もうなんでに自分でできますから。
すると、今度は自分が人に与えていこうと考えるようになります。そして、自分を必要としてくれる人を求めるようになるわけです。
愛をもらうことから、こんどは愛を与えることに喜びを感じるようになっていくのですね。
そこまでたどりついたなら、パートナーに対する文句も激減していることでしょう。
そう、ここまでくると、あなたがパートナーに言っていた文句の数は、“不出来な自分”に対するストレスの量と比例していたということがわかりますね。
では、来週の『恋愛心理学』もお楽しみに!!