「え、同期のあの子、昇進するんだ。」
入社して以来、いつも一緒に冗談や愚痴を言い合ったり夢を語り合ったりしていた仲良しの同期が、どうやら次の人事で昇進するらしいと聞いたあなた、素直におめでとうと言う気持ちになれず、ちょっと心がざわざわすることがあるかもしれません。
頭では、おめでとうと心から喜んであげたいにもかかわらず、心がついていかない感覚。
自分も同じ仕事をしているのに、なぜ彼女だけが?もしや男性の上司ウケがいいのか?と思ってみたり、
自分もこんなに一生懸命やっているのに認められないなんて、と世の中の不公平感を憂いでみたり、
しまいには、あれこれと同期のダメな点を考えてしまい、こんな自分は性格が悪いな、とウンザリしてしまうかもしれません。
競争していたことに気付く
人の幸せ(この場合は同期の昇進)を喜べないとき、私たちは相手と自分を比べて、「負けた」という思いを持っていたりするようです。
比較して勝った負けたということは、競争していたということなのですが、「自分は競争なんてしていない!」と反発される方もいるかもしれません。
競争していたということは、勝ちたい、負かしたいという思いがあるということですから、仲の良い相手を出し抜こうとしていたような気分になるため、競争していたことを認めたくないと思うからかもしれません。
しかし競争というのは、スポーツのように、自分を磨くモチベーションにつなげることもできるため、一概に悪いことではありません。
職場でのポジション争いであっても、それによって自分が「もっと頑張ろう」と思えるのなら、今回は負けたけれど次は自分にチャンスがある、と思えて、努力する甲斐があるのではないでしょうか。
まずは自分が競争していたことに気づくこと、そして競争していたっていいと思うことが大切かもしれません。
競争とともに感じるもの
しかしスポーツのようにモチベーションが上がるわけでもなく、単に悔しい、という時も、もちろんあります。
とにかくその人の幸せを喜べなくて嫌な感じ、面白くない感じです。
それは嫉妬のような感情といえるかもしれません。
嫉妬を感じるとき、私たちは、なんだかドロドロとした、嫌な気分になります。
嫉妬を感じるときに嫌な思いがする理由は、自分がその競争に負けたと思うとともに、「ほら、競争に負けたっていうことは、私には価値が無いということよね。」と心の底で自分を責めているからなのかもしれません。
負けた自分は価値がない、だめなやつだ、と自分を責めてしまうことは辛いことです。
そうなると相手と自分との差を埋めたくなるのではないでしょうか。
そこで、相手の悪いところを見つけては、あの人はたいしたことがないと「ダメ出し」をしてみたり、相手が幸せになっているのは「運が良かっただけだ」とか、色々と難癖をつけたりします。
それによって、相手を「ダメだと思っている自分」と同じところまで落とそうとしているとも考えられます。
もっと頑張ってもいいし、別なところで輝いてもいい
さて、競争に負けた、というとき、先ほどのスポーツのように、もっと頑張ろうと思うのであれば、それもいいことでしょう。
しかし嫉妬のような嫌な気分を感じたら、どうすればいいのでしょうか?
嫉妬は相手を自分と同じところまで落とそうとしていると先ほど言いましたが、自分がそもそも低い位置にいると思わなければ、相手を落とす必要もありません。
そのためには、いま目の前で起きていること、例えば同期の昇進が、あなたにとって「本当に負けを意味するの?」と、自分に聞いてみるのもいいかもしれません。
あなたの幸せはそれで測れるのですか?
とも言い換えられるのではないでしょうか。
本当はもっと他に、あなたらしい素晴らしいところをたくさん持っているのに、それには目を向けないで、苦手なところで競争している、かもしれません。
あなたが生まれ持った才能や魅力、あるいは今までの人生で手に入れた自分の良いところをきちんと把握していますか?
そしてそれを伸ばしていくことや、自分がやりたいこと、得意なことを見つけることに興味を持っていますか?
自分らしさにこだわるようになってくると、自分の存在そのものに大きな価値があると信じられるようになると思います。
そして自分の価値を認め、自分に対して自信を持ったとき、人と競争する気持ちが減っていることに気付くのではないでしょうか。
そのためには普段から、自分の好きなこと、得意なこと、これからやっていきたいことにアンテナを張って、自分の人生の目的や方向性を考えてみることがいいかもしれません。
自分の良いところに目を向けられ、人と比較する必要がなくなってきた時、他人の幸せを心から喜べるようになっているのではないでしょうか。