愛すること、許すことは、「理解する」ということ
こんにちは 平です。
私たちは心を癒すための心理療法をよく用いますが、そのときのものの見方の基本となっているのが“許し”という考え方です。
前回は、“許し”が必要だけれども、「許せない」という問題があなたにはあり、
許すためにはあなたが「いま以上に大きな愛になることを、自分に許し続けること」が必要ですというところまでお話ししました。
つまり、許しの本質は、誰かほかの人を許すことではなく、大きな愛になることを「自分自身に許す」ということだったわけですね。
こんなご相談をいただいたことがあります。
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うちの父は働かず、お酒を飲んでばかりいて、母にいつも迷惑をかけています。
あるとき、私が町を歩いていたら、叔父とバッタリ会い、いきなりお説教をされました。「おまえ、ちゃんと働かないとダメだぞ」、と。
なんの話かと思って聞いてみたところ、去年の暮れ、うちの父がその叔父のところを訪れ、借金を申し込んだというのです。
父はこう言ったそうです。「息子が会社の金を使い込んだことがわかり、400万円ほど弁済しなければならなくなった。
わが家では200万円しか用意できないので、200万円貸してもらえないか」。それで、叔父は「仕方なく貸した」と言うのです。
もちろん、そんな事実はありません。
そもそも、父はいつも「うちの近所の人は悪い人ばかり。親戚もろくでもない人ばかり」などといつも人の悪口を言っていました。
こんな親父、とてもじゃないけど許せません。
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彼が父親を許せないというのも当然の話でしょう。しかし、許せずにいるかぎり、彼の心の中には怒りの感情がうずまき、その感情が彼を苦しめます。
そこで、私はまずこんな話をしました。
「話はまったく違うんですけどね、あなたのおかあさんは体が弱くて、昔から床に伏せていていることが多かったと思ってください。
で、授業参観や運動会にも一度も来てくれることができなかったんですね。
で、そのおかあさんから、“ごめんね、おまえになにもしてやれなくて”と言われたとしたら、あなたは“ほんとだな。おまえは最低の母親だ”と言いますか?」
さらに、私は続けました。
「おかあさんは息子にしてやりたくてもできないんですよね。それと同じように、あなたのおとうさんは、息子が期待するような良き
父親でありたいと思いながらもそれができないのです。その生き方は、けっしてラクなものではありません。
自分の息子をダシに金を借りなければいけない人生なんて、ラクなわけないですよね‥‥」
それを理解しつつも、彼の心の中には、当たり前ですが、
「ふつうの親と同じように、自分を愛する存在であってほしい」という思いがあり、その期待を手放すことがなかなかできなかったわけです。
それで、私はこう言いました。
「“あんな親父に期待するな”と言うつもりはありません。
ただ、まわりの人々のことを敵のように思い、人々に愛されているとは言い難く、
そして、ひとりぼっちで生きているおとうさんのことを、理解し、愛してあげる唯一の人になってもらいたいんです」。
客観的に見れば、それはとても難しい話です。
彼の中には、これまでに父親のしてきたいろいろな記憶が蘇ってきて、「許せない」、「なんで、あんなヤツを‥‥」という思いが渦巻きます。
その彼に、今度はこんな質問をしてみました。
「おとうさんは、たぶん、今後もなにも変わらないでしょうし、いままで通りのことをするでしょう。
そんなおとうさんを、もし、あなたが助けることができるのであれば、助けたいですか?」
彼は、うつむいたまま、小さくうなずき、「なんでだろう。こんな目に遭ってきたのに」と言い、泣きはじめました。
そして、こう言いました。「父はきっと、自分は誰も助けられない、自分なんかに愛されても誰も喜ばないと思っているんだと思います」
その言葉が出たとき、彼の心からは怒りが消えていました。
愛すること、許すことは、「理解する」ということなのかもしれません。
そして、「許しは人のためならず」。
許すことによって、彼の心は平安になり、彼自身がより大きな愛となり、ひとまわり大きな人格となったのです。
彼は自分の中に大きな器を作り、まわりの人々からの人望を手にすることでしょう。
そうなれたとしたら、それはすべて、あのおとうさんからのプレゼントであるわけです。
では、次回の恋愛心理学もお楽しみに!!