ありえないほど幸福になる〈許し〉の法則(3)~「ギフト(才能)」を受け取る~

私は「 どのように人を愛したい人なのか 」

私たちは、つい何かと競争してしまいますが、「許す」ことや、「許される」ことも、勝ち負けのように感じてしまいがちです。そんな時は、自分が「どのように人を愛したい人なのか」を思い出してみましょう。そこにはあなたらしい愛し方という「ギフト(才能)」が使われるのを待っています。

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こんにちは。みずがきひろみです。

物事がうまくいかない時、私たちはどこかで、人か、自分か、モノか、その全部を愛することをやめちゃっています。誰かに腹を立てているか、自分の不甲斐なさに怒っちゃっているか、自分がいる環境に愛想をつかしているか、なのです。もう一度、流れに乗るためには、受け取れなかった愛を、「ありがとう」と言って受け取るか、愛せなかったことを「ごめんなさい」と謝って、愛するか、の二択になります。

●「ごめんなさい」と謝るのは「負けた」気がする?

前回(ありえないほど幸福になる〈許し〉の法則(2)~怒りの下には願いがある~)で、罪悪感があると愛を受け取れないというお話をしました。そして、愛を受け取れないと、「受け取らなかった」という罪悪感を塗り重ねます。なので、もう一度人生の流れに乗るためには、受け取れなかった愛を「ありがとう」と言って受け取りなおす必要があります。

ところが、愛を受け取れなかった時というのは、「上手に愛してくれなかったじゃないか!」と怒っていて、自分も、相手を愛していないんですね。怒っている時は、人を愛したくても愛しているって思えないですから。だから、「怒っちゃってごめんなさい」と言えるといいのですが、これが悔しいのです。なんだか「負けた」気がしちゃうんですね。

●〈許される〉と思わなければ、謝れない?

パートナーの浮気のご相談をいただくと、パートナーに浮気の証拠をつきつけると、「携帯を見るなんて、君をもう信頼できない」、「お前がそうやって意地悪を言うから家に帰って来たくない」などと逆ギレされた、というお話をよく聞きます。最初の段階で、素直に「ごめんなさい」と謝ってもらえることの方が少ないのではないでしょうか。

そして、浮気をされた側は、「相手がちっとも悪いと思っていない」と感じます。実際、悪びれずに朝帰りが続いたり、帰ってこなかったりすれば、そう思いますよね。反省しているような態度ではありませんから。「カウンセラーさんは、罪悪感があるっておっしゃいますけれど、ウチの人に限っては、そうは見えませんけれど」と、皆さま、おっしゃいます。

でも、ここが罪悪感の手強いところで、「許される」と思わなければ、なかなか謝れないのです。「ごめんなさい」と非を認めたら、弾劾裁判にかけられると思うと、自分に非があると思えば思うほど謝りにくくなります。どうせ許されないなら、ちゃぶ台をひっくり返して出て行った方がマシ、と思うのです。

なので、「怒っちゃってごめんなさい」も、「失敗しちゃってごめんなさい」も、「愛せなくてごめんなさい」も、自分の罪悪感をこえて、相手の気持ちを大切に思う気持ちがなければ、なかなか言えません。

●人を〈許せる〉ほど「大きな愛」が自分の中にあることを知る

それくらい自分の中の「申し訳ない」気持ちや「うしろめたさ」を認めるのは難しいし、それを言葉にして「ごめんなさい」と謝るのは勇気のいることです。

それを知っていて、先に相手を信頼して、〈許す〉こと、〈許される〉ことを選ぶには、自分の心の奥にある、自分も人も大切に思う気持ちを引っ張り出す必要があります。これを私たちは、「大きな愛」と呼んでいます。

表面的な自分は、理不尽な仕打ちに怒っているかもしれませんが、心の奥底では、誰も対立したいわけではないと知っていて、わかり合い、思い合いたいと信頼していて、その心が許し、許されたいと願っています。その証拠に、怒り続けることの方が辛いからです。

●あなたはどのように人を愛したい人なのでしょう?

〈許す〉ためには、自分の「大きな愛」を引っ張り出す必要があると言われても、「どうやって?」って思います。

前回(ありえないほど幸福になる〈許し〉の法則(2)~怒りの下には願いがある~)では、怒りの下にある「願い」を掘り起こしましょう、というお話をしました。

もう一つ、効果的なのは、自分が「どのように人を愛したい人なのか」を思い出すことです。

面倒見がよくて、ついつい人の世話を焼いてしまう人がいます。笑いのツボを心得ていて、場が緊張すると、すぐに面白いことを見つけてみんなを和ませてくれる人がいます。純粋な感受性で、ふっと心を軽くしてくれる人もいれば、ただ横にいてくれるだけで安心できる人もいます。観察力があって、ふとした拍子に「見ていたよ」と、存在を認めてくれる人がいます。

「あなたがここにいてくれて嬉しいよ」というメッセージを伝える伝え方は、百万通りもあるかもしれません。その伝え方は、あなたの「愛し方」です。誰しも「その人らしい」愛し方があって、それがその人の「ギフト(才能)」なのです。それは、「優しさ」かもしれないし、「明るさ」かもしれないし、「思いやり」かもしれません。

あなたが「どのように人を愛したい人なのか」思い出せると、それを使って「どう許そうか」と考えることもできます。〈許す〉こと、〈許される〉ことが、勝ち負けではなくて、「愛し方」の表現になるといいですよね。

>>>『ありえないほど幸福になる〈許し〉の法則(4)〜恵まれていてごめんなさい〜』へ続く

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