今回はつい人の輪から離れたくなる、その理由となる心の痛みについていくつか事例をあげてみたいと思います。
最もわかりやすい「愛してもらえなかったという痛み」から、「いじめによる痛み」「誰かを助けられなかった痛み」、そして「無力感を抱えながら一人で生きてきたという痛み」という事例について解説させていただいています。
さて、私達が何かしら人の輪に入らない(人と関わらない)理由を持っているということは、「自己」対「他人」という認識を強く持ち始めたということ、また、そこで何かしらあなたが傷ついた経験があることを暗に示しています。
つまり、そもそも人の輪から離れることを選んだ私がいるわけではなく、何かしらの理由があって、人の輪から分離するようになっていると考えるほうが自然なんですね。
では、どのようなハートブレイクの影響があると、人の輪から離れたいと思うようになっているのでしょうか。今回はいくつかキーワードに分けて、いくつか例を示していきたいと思います。
愛してもらえなかったという痛み
誰かに愛してもらえなかったという経験からくる心の痛みです。それは幼少期からの家族関係でのことから、失恋・離別といった経験も含みます。
こういった経験をすると、どこかで人に愛されない価値の無い私という自己イメージを持つことがありますね。その結果、人に「愛されないこと・必要とされないこと」に対して敏感になる場合も多く、それゆえに人と関わることに怖れを感じて関わりを持たないようにしているパターンです。
コレは比較的イメージしていただきやすいことかもしれませんね。
いじめによる痛み
特にカウンセリングの中で出てくるのが、学生時代などで受けたいじめの痛み。
人から無視されたり、あからさまに非難され平然と悪口を言われるような経験をすると、当然その心は深く傷つきますし、酷い無力感、無価値感を感じ、心がバラバラになってしまいます。
その時、まだ誰かに助けられる経験をしていると傷も少し癒えるのですが、その当時、助けを求めた大人に取り合ってもらえなかったといった経験を重ねていると、そもそも人と関わること自体に大きな恐怖や怒りを感じても不思議ではないんですね。
また、いじめを受けた自分が悪いという感覚が強く、迷惑をかけまいと親や家族にその辛さを言えずにいる方も少なくなく、ひたすらに「忍耐して」今まで生きていらっしゃった方も少なくありません。
そんな方にとって人と関わることは、今までの忍耐を手放すことに等しく、どこかで自分が生き方を失うような、否定されたような感覚がしても不思議ではないのですね。
このようないじめによる傷を抱えたままでいると、人と接することを避けがちになりますから、結果的に対人関係の距離感・感覚を学ぶ機会を逸することも少なくなく、結果、ずっと人の輪から離れることになる方も少なくないのです。
人を傷つけてしまった、助けられなかった、何もできなかったという痛み
これは実際に「今まで人と関わってきた」けれど、人を傷つけてしまった、助けられなかった、何もできなかったという罪の意識を持って自分を罰しているパターンです。
人は愛されないことより愛せないほうが強い痛みを持つ傾向があり、どこか罪悪感を持つことがあります。罪悪感は罪の意識であり、自分は毒である、嘘つきである、愛がない人間であるといった自己概念を作り上げる材料になります。
その結果、罪悪感を抱えた自分が人の輪に入るということは、どこかで「人に責められ・裁かれるのではないか」「自分は愛のない人間だということがバレるのではないか」「また人を傷つけるのではないか」といった感覚を覚える理由になり、結果人の輪から離れる、近づかないということにつながっていきます。
これはまるで天使が堕天使になったようなイメージで、本来は愛のある方であっても、どこか人の輪に関わることが怖いのではなく、ふさわしくないと感じてしまうパターンとも言えそうですね。
無力感を抱えながら一人で生きてきたという痛み
これは幼少期から家族の中で感じてきた感情の影響で人の輪から外れたくなる、という一例です。
例えば、家族との関係から分離し、自らの身の安全を守るため家族に対し無関心を装う子供さんがいます。
また、自分の愛情や関心の取り分を他人にまわして家族を安心させようとする子供さんもいます。
すると、親や家族から「あの子は放っておいても大丈夫だ」といった評価を受けることがあるのですが、コレがとても苦痛に感じてきたタイプの方は、大人になってから人の輪から分離したくなる傾向を持つことがあります。
「私はどうでもいい人(子)なのだ」という感覚を感じたくないのです。
この感覚は強力に分離感などネガティブな感情を刺激しますから、あまりに強く感じていると酷い自己否定とつながることもしばしば起こることなのです。
このパターンを持つと、そもそも人との関わりの中で「あなたは大丈夫」という評価が素直にポジティヴなものだとは受け取れないことも多いのです。むしろ、「どうでもいい人」「放っておかれてる」という被害者意識で人の意見を捉える側面があり、人と関わるとどうしても葛藤してしまうという問題を抱えている方もいます。
また、家族の中で無関心を装ったり、自分の愛や注目の取り分を他に回していた方は、どこか家族の支援を求めることをしない傾向を持つことがあります。すると、慢性的に自らの力不足感や不安、無力感を抱えながらも、生きるために一人で努力していく方が多いのです。
結果、人をアテにしない生き方が当たり前になることが多く、傷つかないように心のなかで鎧を着込み、人によっては、どこか人に敵意を持つほどに警戒心を持つ方もいらっしゃいます。
特に家族の中で傷ついた経験を持てば持つほど、人が信用できなくなっていくのですね。よって、どこか人の輪の中に入っても何の意味も感じないといった思いを持たれる方がいても不思議ではないのですね。
もちろんここに書いた事例は一例ですが、このような心の痛み、ハートブレイクが、今、私が人の輪から離れたくなってしまう理由になってることがありますね。
次回はこの痛みやパターンからの解放について書き進めていきたいと思います。