日本の少子高齢化が進み、労働人口が減少していく中で、「女性、外国人、高齢者、障がい者を含め、多様な人材の能力を最大限に活かそう」という動きがあります。
「若者雇用促進法」「高年齢者雇用安定法」「障害者雇用促進法」などの法律もあり、老若男女・障害者・外国人が混在する職場も珍しくなくなってきました。
多様な人と一緒に働く上で、「多様性を認められるかどうか」は大きなポイントになります。
多様性とはデジタル大辞典によると
”いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと。”
とあります。
「多様性を認める」とは、「人それぞれの特徴や考え、価値観があり、その違いを認める」ということになります。
この「違いを認める」ということができないと、差別や偏見、ハラスメントに繋がったりするのですが、なかなかできなかったりします。
それは近代の日本の高度成長には役立った画一的な教育システムや社会的システムにおいて「みんなと同じようにできなくてはいけない」という価値観を、多くの人が持ってしまったことが背景の一つにあります。
「みんながこうだから、みんなと同じでなければ」と思ってしまうと、自分が人と違うことを否定してしまいます。
自分が人と違うことを否定していると、投影の法則(自分の心のフィルターを通して物事を見ること)によって、人に対しても「人それぞれ違いはあるものだ」と認めにくくなってしまうのです。
同じ家庭で生まれ育った兄弟でさえ、性格や考え方に違いがあるのですから、人それぞれ違いがあって当然なのですが、「みんなと同じでないといけない」という価値観が、違いのあるものを否定したり、拒否したりするのです。
SMAPの「世界に一つだけの花」という曲にあるように
”僕らは世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ”
のですから、みんな同じであるはずがないのです。
人間の心理として「みんなと同じ」というのは一種の安心感を感じる部分もあるので、「みんなと違う」ことに不安を感じてしまうのかもしれません。
しかし、私たち一人一人が「違いはあるもの」という認識があれば、「みんなと違う」ことに不安を感じることもないのです。
「人間」という単一のものとしてみると、「同じ人間なのに、ここが違うのはおかしい」と違いを認めにくいかもしれませんが、大きな分類として捉えると、違いを認めやすくなるかもしれません。
例えば「植物」という大きな分類で見たとき、「同じ植物なのにバラにはトゲがあって、チューリップにトゲがないのはおかしい!」とは思わないですよね。
「動物」だと「象の鼻は長いのに、豚の鼻が短いのはおかしい!」とも思わないのではないでしょうか。
「人間という大きな分類の中で、様々な種類の人がいる」
これが違いを認めるコツの一つです。
違いを認めることを難しくしている別の要因として、「わからないもの」に人は恐れや不安を感じてしまうことがあります。
わからないから、どう接していいかわからず、避けたり排除しようとしてしまうのです。
わからないものに対する不安や恐れは、「知る」ことで解消される部分も大きいので、「知る」ことから始めてみましょう。
先ほど「『同じ植物なのにバラにはトゲがあって、チューリップにトゲがないのはおかしい!』とは思わない」と書きましたが、それはバラがどういうものか、チューリップがどういうものか、知っているから「おかしい」と思わないのです。
豚がどういうものか知っているから、鼻が長くなくてもおかしいとは思わないのです。
つまり、相手がどんな人かを知ることが、多様性を認める第一歩なのです。
相手を知るにあたっては、無意識のうちに世間のイメージや先入観で見てしまうこともあるので、そこは気をつけたいポイントです。
また、「多様性を認める」ことと「多様性を受け入れる」ことは違います。
「違い」は認めても、「受け入れる」かどうかは別なのです。
職場において、すべての多様性を受け入れていては、まとまるものもまとまらず、仕事として、組織として成り立ちません。
多様性を認めつつ、会社にとっても働き手にとっても、最も最適な方法を導き出すことが大事であり、それが個人を活かした組織の成長発展にもつながるのです。
経済のグローバル化が加速し、変化の激しい時代おいて、多様性を認めることが必要になってきています。
「違い」は「個性」とも言えます。
比べるものでも良し悪しをつけるものでもない「尊い個性」であることを、私たち一人一人が認識することが、多様性を認め、活かす世の中を作るのではないでしょうか。