カウンセリングサービスの成宮千織です。
今日は我が家の恥ずかしいお話なのですが、良ければ最後までお付き合いください。
私の家族は私と夫と息子の3人です。
息子はこの春から就職で家から離れることになりました。
もともと出来のいい夫婦ではなかったのですが、言いたいことも言える状態ではなくなり、5年間という長い家庭内別居の期間がありました。
一番ひどい時は同じ屋根の下で暮らしていながら1年半話すこともですが、お互いの姿を見ることもありませんでした。
その間、言い争いなどは一切なくそれが最善の方法ではないかと思っていたのです。
しかし心理学を学んでいくうちに、「このままでは幸せにはならない、もう一度やり直せる方法はないだろうか」と試行錯誤を繰り返しながらやっていたのです。
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今年で結婚生活28年になり、その間お互い恨みつらみはありました。
私は夫に面と向かって「これは嫌だ」ということがなかなか言えず、言っても聞いてもらえないこともあり、夫も「我慢していた」と言ったこともありました。
話し合いをして少しずつ距離を縮めていく努力をしていたのですが、どうにもうまくかみ合うことができませんでした。
やがて自分たちが考えつくことのすべてをやってもダメだと限界と諦めの気持ち(デッドゾーンといいます)になっていったのです。
そんな時に、夫の転勤が決まりました。
「私はどうしよう…」息子も独立するし、これが別れるタイミングかもしれないと考えるようになったのです。
反対していた私の両親も「もういいんじゃないか」と離婚に賛成してくれるようになっていました。
私自身やり尽くしたと言うより、それは本当に「もういいか」という無気力な感じでした。
夫も同じ気持ちだったようで、「この先、結婚生活を続けていても幸せにならないなら離婚をしよう」という方向に向いていました。
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年末には離婚のもろもろの話しも終えて私の荷物を実家に送りました。
あとは家を出るだけという状態でした。
そんな中ちょっとした夫の態度で私はブチ切れたのです。
これまでケンカになっても「口をきかない」冷戦状態だったのが、私が本気で夫に怒りをぶつけていました。
そして、それが元で夫と何日も何時間も話し合うことになっていったのです。
それはまるで、これまでの家庭内別居の時間を取り戻すような時間でした。
私は時に涙を流し夫に伝え続けました。
夫もそれに反論することなく何度も謝ってくれました。
夫から私を責める言葉は一言もありませんでした。
夫はしだいに「こんなに自分の性格のことを知っている人はいないし、仕事のことを話せたこともなかった」と何度も言うようになりました。
私も寂しかったように、夫も寂しかっただろうと思います。
本当は分かっていたのですが本音で話すことができなかったのです。
話さないとお互い何を考えているか分からず、ちょっとした相手の行動を悪く解釈して思い込みができていたのですね。
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何時間も話し合った結果、私たちはもう一度やり直すことになりました。
まだ、勤務先が決まっていないので離れた場所で単身赴任となるかもしれませんが、それは心の距離ではないと思います。
同居していても何億光年もかなたにいるような人でしたが、離れていても心が繋がっているならばそれでいいのではないかと思うのです。
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デッドゾーンを抜けるヒントは今までの自分のやり方を手放して、今までとは違う考え方ややり方を選択していくときです。
それには今までやらなかった「やりたくないこと」をする勇気も必要です。
こんな夫婦の関係でもやり直すことができたのは、一人で解決しようとするこれまでのやり方を手放して親や友達、仲間の力を借りた結果でもあります。
そして、もうひとつデッドゾーンを抜けるには未来へのコミットも必要です。
私たち夫婦はまえに一度断念した田舎暮らしの夢を今度こそ叶えようと話しています。
本当にダメな夫婦ですが、温かく見守っていただけたら嬉しく思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。