恥ずかしさを隠さないと嫌われる?
こんにちは 平です。
人間にはだれにも“恥”という概念があります。
そして、この恥ずかしさという考え方があるゆえに、自分を隠したり、人との距離をつくったりしています。
また、ひどく恥ずかしがり屋であるために、好きな人に好意を伝えることができず、パートナーを作れないというような人も少なくありません。
では、そもそも、この恥ずかしさというのはどういうものなのでしょうか?
心理学的に見ると、私たち人間は、“隠したい自分”や“隠したいこと”があり、それを隠しきれなかったときにこの恥ずかしさを感じるようです。
たとえば、あなたにはいま、田中くんという好きな人がいるとしましょう。でも、ほかの人には、あなたが田中くんを好きだということを知られたくないとします。
それなのに、お友だちから「ねえねえ、田中くんのこと好きなんでしょ?」などと言われたら、ものすごく恥ずかしくなりますよね。
それはなぜかというと、隠したいことを隠しきれなかったからです。
そして、こんなふうに隠したいことを隠せなかったとき、私たちは脅威を感じ、その脅威を感じさせられた人やものやことに対し、攻撃的になりがちです。
昔、私が東京で電車に乗っていたとき、ある駅で人が降り、ドアのすぐ横の座席が一つ空きました。
その目の前にはヤンキーぽい青年が立っていました。彼(彼女)は自分の前の席が空いたので、ちょっとカッコをつけながらゆっくりとした動作で座ろうとしました。
が、そのとき、席が空いたのを見つけたおばさまが、彼よりも先にその席に座ってしまったのです。
どうなったか。
そうです。おばさまのひざに座るヤンキーの青年という構図ができたわけです。
われわれ近くで見ていた人間にとっては、この日いちばんのおもしろい出来事となったわけですが、当のヤンキー青年はものすごく恥ずかしいですよね。
パッと立つと、そのおばさんをにらみつけ、もっていきようのない感情を「どぉーーーっ」というわけのわからない叫びに換え、よその車両へと消え去っていきました。
同じシチュエーションとなったとき、人によっては「ここはおれの席だぞ、バカ野郎!」などと思わず言ってしまうこともありそうですが、それは恥の上塗りというやつですね。
反対に、もしも、このとき、ヤンキー青年が恥ずかしさの先にある怒りの感情をさらに超越することができたらどうだったでしょう?
たとえば、「負けた?! 余裕をかましすぎた!」と言えたなら、車両の中は大爆笑となり、彼の好感度は急上昇したと思いませんか。
そう、目の前の座席が空いたとき、彼は「ラッキー、座れる」と思ったはずです。しかし、「べつに座りたくないけど、空いたから座りましょうかね」とカッコをつけている間におばさんにもっていかれたわけです。
つまり、悔しいことが起こったわけで、それを隠そうとせずに表現することで好感度も上がるわけです。
恥ずかしいという感情は、「自分はあまりよいものではない」、そして、「あまりよいものでないので、隠さないと嫌われる」というあなたの思いから成り立っています。
あなたがどんな感情を感じようと、それを隠さずに表現することができれば、まわりの人の心もそれに共鳴します。あなたの感情を共有し、共感してもらうことによって、好感ももってもらうことができるのです。
しかし、「自分は悪いものであって、人から好感をもたれることはない」と思っているとしたら、なかなかそういうこともできないものらしいのです。
では、来週の『恋愛心理学』もお楽しみに!!