競争の心理学(3)~男と女の夜明け前~

女性のコンプレックスに「女の子でごめんなさい」というのがあります。

初めから無理とあきらめ上手になるか、劣等感を跳ね返そうと超頑張り屋になりますが、いずれも心の深いところで男性と競争しています。

一方、男性は「女性を助けられない」とアイデンティティを失うような恐れを感じるので女性には負けられないと頑なになります。男と女の大戦争を終わらせるために許し合うという心の成熟が求められます。

エディプスコンプレックス

私たちの最初の恋愛は、幼児期の、異性の親に対する恋情で、この時には、同性の親、兄弟姉妹がライバルになる、と言います。例えば、男性ならば、最初の恋人は「お母さん」で、ライバルは「お父さん」、もしくは兄か弟になります。

女性ならば、最初の恋人は「お父さん」で、ライバルは「お母さん」、もしくは姉か妹です。自分が「勝った」と思えば、ライバルである同性の親兄弟に対して罪悪感を抱きますし、「負けた」と思えば無価値感をもちます。

もちろん、この「勝った」「負けた」はあくまでも主観で、真実とは違います。でも、自分が異性の親との距離をどう感じたか、同性の親兄弟との競争関係をどう感じたかが、大人になってからの対人関係、「競争」のパターンを作ります。

「勝った」、つまり自分が「(一番)愛された」という思いがあると、恋愛はうまくいきやすいです。幼い頃の「愛された」記憶が自信を下支えするからです。

ただし、自分が異性の親を同性の親から奪ってしまった、という罪悪感が強いと、「自分が一番欲しいものを自分に許さない」というパターンになりやすいです。そのため、モテるのに不倫が多い、結婚ができない、という悩みをもつようです。

「負けた」、つまり自分は「それほど愛されなかった」という思いがあると、怖れが強くて、意中の異性に近づけないという問題になりやすいです。つい、少しでも優しくしてくれる異性にすがりつきたくなります。

同性の友人たちから助けてもらいながら、「優しくしてくれる人」ではなくて「大切にしたい人」を探してくださいね。

今日は、エレクトラコンプレックスという、男と女の戦争のお話です。

男に負けたくない女

女性のコンプレックスの一つに、「女の子でごめんなさい」という気持ちがあります。おチンチンがないため、自分は何か「足りない」のではないかという不足イメージを持っている人が多いのです。何事も「不足している」ことを前提に考えますから、「どうせ私は女だからダメなんでしょう?」と思ってしまいます。

昔ながらに「長男が大事」にされた家庭で育てば、「お兄ちゃんばかり特別待遇。私は女で損だ」と女性であることが「不足」と意識しますし、自分の下に男の子が生まれたときに、「やったー!男だ!!!」と父親が大喜びするのを見て「自分は女だから父親を喜ばせてあげられなかったのだ」と思ったりします。

親にしてみれば、子供が男の子であれ、女の子であれ、育てれば皆かわいいのですが、女性には「自分はダメだ」と思い込む格好な理由になります。

「そういう運命ですもの」と最初からそう決まっているかのように捉えては、あきらめ上手になる人もいますが、なかには、「足りない」からそれを「補わなければ」という気持ちが強く、男性以上に男性的な生き方を選ぶ女性もいます。

そんな「運命に負けたくない」女性たちは、「男に負けたくない」と仕事はもちろん、恋愛のジャンルでも、「やり方」や「こうあるべきというあり方」で「私の方が正しい」と周りの男性陣やパートナーと競います。

本当は、必死で戦っているのは、心の底にある、自分ではどうしようもない「女性であること」に投影している不十分感や不足感と、なんですけれどね。それくらい女性であることが残念で、悲しいのです。

女に負けられない男

一方で、男性には、「持っている」ことで、何かを成し遂げられないと自分には価値がないのではないか、という怖れがあるようです。「持っている」から「やらねばならない」、「(女、子供を)守らねばならない」という義務感、責任感もその分強く意識するようになります。そして、それを全うできないとひどく自分を責めるようです。

仕事でリストラに合いながら、それを妻に伝えられずに、毎日スーツで公園に出勤している男性がいる、という話を聞きます。奥様に、わたせるものがなくなったことが辛すぎて、受け入れがたいのでしょう。

気に入った女性とおつきあいしていながら、仕事に行き詰った途端に、彼女と距離を取り、音信普通になった、という話もあります。本当に大事に思っているからこそ、「お金」という形で彼女に差し出せるものがないと彼女の顔を見るのも辛いようです。

男性が、女性以上に、学歴だったり、仕事や、収入、どんな家に住んでいるか、どんな車に乗っているかを気にするのも、自分が「もっている」ことをそこに投影するからだと言います。それを失うのは、自分が「男性」であることを失うかのように感じてしまうのですね。

「男の甲斐性」などと言いますが、(女性を)「喜ばせる」、「幸せにする」ことに自分の価値を見るので、それができないとまるでアイデンティティーを失ったような無価値感を覚えるのでしょう。

許し合える幸せ

「男の沽券」は、女性にとってわかりにくい男性の気持ちの一つです。男性は、「男の沽券」を賭けて女性を「守ろう」とするのですが、「持っている」から「あげるよ」という気持ちは、それ自体が「どうせ私はもともと不足している」という女性のコンプレックスを刺激します。

女性は、「自分は不十分」という気持ちを感じたくないので、男性が「家」や「車」を自慢げに差し出したり、自分の「やり方」を押し付けてくるのに「そんなの大したものじゃないでしょ?」とケチをつけたくなります。「男の沽券」をちょっぴり上から目線でばかにしたような物言いをすることもあります。

それに対して、男性が、「誰が稼いで養ってやっていると思っているんだっ!!!」と逆ギレすると、「やっぱりどうせ私は女で不十分だから」と見事に女性の劣等感、不十分感のど真ん中を踏むことになります。

でも、これは、女性の不十分感と男性のアイデンティティを失うという怖れの戦いなのです。

もともと男と女は、その「違い」こそが魅力のはずです。でも、つい自分の痛みにはまり、相手が差しだそうとするものに込められた「愛」が見えなくなるのです。

男と女がその「違い」をもとに、どちらが正しく、どちらが優秀であるかを「競争」するのではなく、「持っている」ー「持っていない」痛みを許し合い、その奥にある引き合う「愛」でつながれたら、嬉しいですね。

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