子ども時代に子どもができなかったので、愛されることが恥ずかしく感じる
両親の仲が悪く、ケンカの仲裁をしたり、両親の愚痴や不満を聞いていたりすると、自分のことを後回しにして、急速に心を大人へと成長させていくことになります。
愛されるということを望んでも、それが叶うことはほとんどないので、愛されたいという欲求を抑圧し、その結果、愛されるということが起こると、恥ずかしすぎて気持ち悪いということが起こってしまうことがあるのです。
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今回の心理学講座は、自分自身が愛されキャラになるとか、そのように扱われることが「気持ち悪い」と感じてしまう女性の皆さんに向けたものとして書かせていただいているシリーズの第2弾です。
「愛されるより愛したい」という考え方や生き方に、何の問題もないですし、その方が幸せ度が増すとも言われていたりします。
ですが、愛されることに気持ち悪さを感じてしまい、愛してくれる人に対して敵意をむき出しにしてしまったり、自分へ向けられた愛を拒絶してしまったりすると、恋愛がうまくいかなくなってしまうことが多くなります。
もちろん恋愛だけでなく、愛されることを拒絶してしまうと、人間関係全般に様々な問題が出てきてしまうのですが、今回は恋愛に表れることに限定して書かせていただいています。
両親の仲が悪く、しょっちゅうケンカしているというような場合、その仲裁に入ることが多くなったり、どちらかの愚痴や不満を聞いてあげることで、何とか仲良くなってもらおうとしたりと、涙ぐましい努力を子どもはすることが多いです。
仲裁したり、愚痴や不満を聞いてあげるということは、早く大人にならなければできることではありません。
子どもというのは、自分のニーズを叶えてもらったり、甘やかせてもらったり、時にはわがままを言ってみたり、自分の感情のおもむくままに行動する時期でもあります。
ずっとそのままでは、社会で生きていけないので、だんだんと子どもを卒業して、大人へと成長していくのですが、両親の仲が悪すぎて、仲裁したり、愚痴や不満を聞いてあげなければいけない状態だと、子どもの時期にやるべき「甘える」「頼る」「感情をそのまま表現する」というようなことができません。
急激に大人にならなくてはいけない状態です。
子どもである自分が、両親の面倒を精神的にみてあげるような感じになるので、自分自身のことは常に後回しになってしまいます。
ですから、妙に大人びた子どもという印象を子ども時代に周りに持たれることもありますし、「おとなしくていい子」「我慢強くていい子」なんて周りの人に言われることもあります。
子ども時代に、ちゃんと「子ども」ができなかったのです。
ですから、いわゆる子どもらしい要素である「甘える」「頼る」「感情をそのまま表現する」などができないままなので、大人になって好きな人ができてお付き合いするなんてことになったときに、男性に甘えるとか、頼るとか、「あなたが好き」というような感情表現ができないことが多いのです。
同じように両親の仲が悪かった場合で、同じような経験をしていても、それが男性の場合だと、「甘える」「頼る」「感情をそのまま表現する」ということができなくても、それがかえってクールでカッコいいと評価されたり、頼りがいがあるなんていう高評価に繋がることが多いのですが、女性の場合は、そういう高評価に繋がらないのが残念です。
子どもですから「愛される」ということを欲して当然なのですが、状況的に望んでいられないので、「愛される」ことを自分に禁止してしまいます。
そうやって成長してくるので、恋愛で愛される経験をすると、急に居心地の悪さを感じてしまいます。
今までになかった経験であり、子どもの頃に欲しくて仕方なかったものを大人になった今、恋人からやっともらえたような状況です。
でも、子どもの頃に自分に禁止し抑圧してなかったことにしてしまった「愛されたい」という欲求が、満たされる状況というのは、初めて経験する状況ですから、とても恥ずかしいのです。
私たちが自分に何かを禁止するときに、「そんなもの欲しくない!」という態度をとります。
その強固な態度が崩れてしまう恥ずかしさと似ています。
そして、今まで作ってきた強固な態度が崩れてしまって、嬉しくてたまらないという気持ちが出てきてしまうのが、恥ずかしく居心地悪く、気持ち悪いとなってしまうのです。
このような場合、やはり少しづつ「甘える」「頼る」「感情をそのまま表現する」ということにチャレンジしていって、子ども時代にやりたかったことをどんどんやっていくのがいいかもしれませんね。
誰かに思いっきり自分の話を聞いてもらうとか、旅行計画などを友人に丸投げしてお願いしてみるとか、思いっきり遊んでみるということからはじめて、子ども時代をとりもどしていけるといいですね。