期待とヴィジョンは似て非なるもの!
期待は裏切られると言われたりしますし、期待する気持ちが強いと、それ自体がストレスの原因になってしまい、私たちの心を疲れさせてしまいます。
なんとなく期待と似ている感じがするヴィジョンを描くということは、実は期待とは全く違う結果をもたらしてくれるます。
期待することと、ヴィジョンを描くということの違いを解説しています。
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今回、担当させていただく大門昌代です。どうぞ、よろしくお願いします。
「彼がもうすぐプロポーズしてくれるはず」
「会社から認められるはず」
「親なんだから、理解してくれるはず」
このような感じで、「〜であるはず」というニュアンスが入り込むのが、いわゆる期待している状態です。
期待しているときは、一瞬ワクワクして楽しい気分もするのですが、「〜であるはず」という「こうでなければ困る」という思いが入り込むので、「そうならなかったらどうしよう・・・」という不安が出てきます。
また、自分が願っていることではあるけれど、そこに「誰かに何とかしてもらいたい」という欲求も追加される感じになりますから、その欲求を叶えてもらうために、そのようになるまで待とうとして、主体的に動かないということにもなります。
願えば叶うという考え方もあるのですが、願っているだけではどうにもならないもので、その願いが自分のものであり、それが叶ったときの喜びを先取りしていくことで、潜在意識が動き始め、その結果まるでそうすでになっているかのような言動を、自分自身がやりはじめるので、現実的に願いが叶っていくとも言えるわけです。
ですから、待っている状態になってしまう「期待」は、行動が伴わないので、結局叶う確率が低くなり、「期待は裏切られる」というような言葉があるわけです。
裏切られるということは、「期待していた」ということになるわけですね。
期待とよく似ているのが、ヴィジョンを描くということなのですが、一見似ているのですが、実は全く違うものであって、ヴィジョンを描くということは、自分の願いを叶えていく方法として、私もよくカウンセリングの中でご提案させてもらっている方法です。
「彼からプロポーズされたら嬉しい!!」
「会社に認められたら嬉しい!!」
「親に理解してもらえたら嬉しい!!」
その状態になったときのことをイメージすると、嬉しくてワクワクするというのが、ヴィジョンを描いてる状態なのですが、そこには「そうでなければ困る」という怖れの要素はなく、「そうだったら嬉しい!!」という喜びが主成分になります。
そして、期待は「誰かに何とかしてもらいたい」という欲求や、「そうらならかったらどうしよう・・・」という不安や怖れがあるのに対して、ヴィジョンは「そうなったら私が嬉しい!!」と、自分が主体になります。
主体が自分ですから、待つ姿勢というようりは、向かって行く姿勢に自動的になります。
そうなったら嬉しいというのは、私たちをどんどん行動的にしてくれます。
彼からプロポーズされた私は、新婚旅行はどこにするかな?と、旅行先をリサーチするかもしれませんし、ウェディングドレスを着るためにダイエット始めるかもしれません。
会社から認められた私は、昇進するかもしれないので、その日のためにスキルアップに力を入れ始めるかもしれないですし、後輩の面倒をどんどんみるかもしれません。
待つのではなく、自分からどんどん行動していきますし、発する言葉も変わってくる。
その結果、描いたヴィジョンは叶いやすくなるわけです。
ヴィジョンは欲求というよりも、「そうなったら嬉しい!」「幸せだ!」という「喜び」なんですよね。
欲求は誰にでもありますが、強すぎる欲求は私たちを苦しめるだけですからね。
思い描くとワクワクするというのは、期待もヴィジョンも同じなのですが、そこに欲求や怖れ、不安が入り込み、行動が伴わないのが期待で、喜びを感じ行動するのがヴィジョンということになるかもしれませんね。
期待というのは、私たちが抱えるストレス要因のかなり上位にくるものです。
ですから、期待するのではなく、ヴィジョンを描いて行動していけるといいですね。
ヴィジョンは喜びですから、ストレスがかからないのです。
簡単ですけれど、参考になりましたら幸いです。
ありがとうございました。
(完)