嫉妬が苦しいのは自分以外の誰かになろうとしてしまうから
嫉妬という感情はできれば感じたくないものです。ところがその嫉妬を感じたくないがために、過剰に自分の長所をアピールしすぎて空回りしてしまうこともあるようです。そこにどんな心の罠があり、どうやって抜け出せば良いのか?について解説します。
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■嫉妬のもたらす罠
私たちの誰もが無意識的に陥ってしまう心の罠の一つに『嫉妬』があります。
誰かに嫉妬をしている時には、相手の魅力に対して「あんな素敵なモノを持っているなんて羨ましい〜」という気持ちがあるのですが、それはほとんどの場合、ある感情の裏に隠されてしまいます。
それは何かというと「どうせ私にはあんな素敵なモノは手に入らない!」という感情です。
この気持ちを感じると相手に対する劣等感を強く感じます。そして相手と競争する意識が強くなっていくのです。
劣等感を感じている相手の魅力はあまり直視したくないですし、なるべく相手を遠ざけたくなることもありますよね。
すると、そんな時に私たちがついやってしまうことがあります。
それは相手が持っていない自分の長所や、自分のほうが勝っていると思う部分を、つい周りに過剰にアピールしてしまうということです。
■長所をアピールしすぎると
例えば、職場にあなたが嫉妬を感じている相手がいたとしましょう。
その人はとても明るくポジティブで、遊ぶことが大好き、話も面白い人なのです。
あなたは、自分にはそんな要素がないと思っている分だけ相手に劣等感を感じます。
すると、本当は欲しいと思っているのに劣等感に蓋をして感じないようにするために、逆にあんな魅力は持ちたくないという気持ちが芽生えることがあります。
つい自分の持っている、相手とは反対の要素を強調してしまうことがあるんですね。
この例で言えば真面目さであったり、仕事の正確さや責任感であったり、ルールを守ることであったりします。
そのおかげで周りや上司からは評価されることももちろんあるのですが、相手を見てみると周りに集まっている人たちは、なんだかとても楽しそうに見える。
そうなると余計にムカムカと腹が立ってきて、よりいっそう真面目さに拍車がかかる、なんてことになるかもしれません。
心の余裕がなくなり、周りからは隙がない人のように見えたりして、結局楽しい気持ちになりたい人は、あなたの嫉妬している相手のところへ更に集まっていく。そして更に腹が立つ・・・という悪循環になってしまうこともあり得るわけです。
■心の中にあったのは犠牲感
どうしてそうなるかというと、一つには「どうせ私にはあんな素敵なモノは手に入らない!」と思ったことで、嫉妬を感じた相手に負けた感覚がしているということ。
もう一つは、自分は負けたという劣等感で心がいっぱいになると、自分の価値をとても低く感じてしまいます。私たちはその無価値感が強い度合だけ、
「みなさんには申し訳ないんですが、私が持ちあわせているのは、これくらい(上の例では、真面目さや責任感)しかないんです。」
「その部分だけは人一倍がんばって役に立ちますので、なんとか我慢してもらえますか?」
という犠牲的な気持ちから行動してしまうようなのです。さらに、周りを楽しい気持ちにできていない自分には価値が無いと思って「私ってダメだな」という気持ち、自己嫌悪が強くなって自分を責めてしまうからなんですね。
すると、最初のうちは嫉妬を感じている相手に腹が立っていたのが、次第に周りや上司にも文句を言いたくなってくる、なんてことも起こり得ます。
なぜかというと、嫉妬という不快な感情を感じているのも、自分を責めて嫌な気持ちになるのも「こんな気持ちになるのは周りのせいだ」と思ってしまうからです。
時には「ムダ話してないで真面目に働きなさいよ」とか、「仕事しない人は会社に来ないでくれる」なんて気持ちが湧いてきて、気がつくといつもイライラしてしまうこともあるかもしれません。
溢れたイライラがつい言葉や態度に出てしまって、周りへの攻撃に受けとられてしまうなんてことになったら、行動自体は良いことなだけにすごくもったいないですよね。
■嫉妬から抜け出すために
この苦しさから抜けていくには、無自覚にしかけている相手との競争に気づいて手放すことです。
なぜ嫉妬が苦しいかというと、競争して負けた自分には価値がないと感じてしまうところにあります。
私たちが競争の罠にハマっている時には、必ず相手のできている部分と自分のできていない部分を比べて、「やっぱり私はダメなんだ」と落ち込んでいるのです。
あの人みたいになれない自分を、ひどく悲しんだり責めたりしているんです。
でも本当は自分と相手はできることが違うだけ、なんですよね。
自分以外の誰かになろうとしていることが苦しいのは、自分にしかなれない自分から目を背けているからかもしれません。
競争を手放すことは、この世に二人といない唯一無二の自分を認めること、受け入れることです。
そんな優しい眼差しを自分に向けられた時、自分だけでなく相手もどちらも大切な存在だということが自然と腑に落ちるんですね。
(完)