ホンモノの「私」は正反対の自分?
生まれながらの才能を「ギフト」(神様からの贈物)と呼びます。赤ちゃんの頃は隠しようがなかった才能は、使う場所や使い方を知らないばかりに、周囲にとっては少し過剰に感じられたかもしれません。これを拒絶されたと誤解して、自分の才能を嫌い、隠したとしたらそれはもったいない話です。
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こんにちは。みずがきひろみです。
今日は、私たちが、どのようにコンプレックスで才能を隠すようになったか、というお話です。あなたは、どんな「才能」を隠してしまわれましたか?あなたは、どんな子供、赤ちゃんだったか、思い起こしてみませんか?
遠慮なく、あなたがあなたでいるために。
● 私たちは、もともとみんな個性的な才能と魅力を発信していた
幼稚園や保育園など、小さな子供たちが大勢で遊んでいるところを見ると、子供の個性がかなりはっきりと見て取れます。
声の大きい子、よく動き回る子、大人しい子、じーっと何かを観察するのに夢中な子。他の子供への思いやりがいっぱいある子。遊びのアイディアが豊富な子。おしゃべりな子。
何人もお子さんを産み育てた経験のあるお母さんは、赤ちゃんがお腹の中にいた時から、個性がはっきりと感じ取れた、と言います。
社会の「常識」や、家族の暗黙の「期待」や「役割」に染まる前の私たちは、誰しもかなり個性的だったのではないでしょうか。
それが社会性を身につけるための躾や、それぞれの家庭環境に適応していく中で、私たちは、「みんな」の中で生きることを学びます。それは、本来は、社会の中で生きていくために、その場、その場で求められること(T.P.O)を学ぶはずなのですが、この過程で、私たちは多くの間違ったセルフイメージにつながる「観念」や「思い込み」を獲得するようです。
● コンプレックスは「才能」を隠す
例えば、おしゃべりがとても好きで、言語表現力に富み、コミュニケーションやリーダーシップの才能のある子は、きっと物怖じせずに、誰に対しても、自分が感じたことは何でもかんでも話すでしょう。
もしかしたら、お母さんに都合の悪いことも、おばあちゃんに話してしまうし、悪気なく隣のおばさんに失礼なことを言ってしまうかもしれません。お母さんに対しても、お母さんが相槌を打つ元気がない時も、頭に浮かんだ物語を聞いてもらいたくて、のべつまくなしに話してくれるかもしれません。
そんなあなたを、お母さんはハラハラしながら見ていて、あなたがどこかで知らずに失礼なことを言い、要らぬ誤解を受けるのを心配して、「余計なことを言いなさんな」とあなたをたしなめ、「口は禍の元だから」といい顔をしないかもしれません。お母さんに余裕がない時は、「うるさい!ちょっと黙ってて!」と、怒ったり、ウンザリした顔であなたを遠ざけることもあるかもしれません。
でも、お母さんは、あなたの言語能力を否定したわけではありません。
あなたの、人と思いをつなげたい、というコミュニケーション能力や仲良くなりたいという願いを否定しているわけでもありません。
あなたの、誰に言われなくても自己開示をして、関係性をもとうとするリーダーシップを否定しているのでもありません。
ましてや、あなたの豊かな感受性や想像力を否定しているわけではありません。
ただ、あなたに「大人の事情」や、あなたには未知の、他人が置かれた環境の違いや、そのことによって受け取られ方が千差万別かもしれないという多様性を教えたいのですが、これは複雑すぎて子供にはわかりません。
あなたの方は、お母さんのきつい口調や、怒った顔から、「自分が悪い」と感じ、「私がおしゃべりをするとお母さんに迷惑をかける」と、学びます。『コンプレックスはあなたの才能と魅力を教えてくれる(1)〜コンプレックスと魅力はコインの裏表〜』に書いたように、大好きなお母さんに愛されたくて、「おしゃべり」な自分を嫌うのです。
コンプレックスは、「大好きだけれど、憎い」という相反する感情がある複雑な心です。「大好き」なおしゃべりが、「大好き」なお母さんを困らせるのなら、自分のおしゃべりなところを「嫌い」になって、自分を抑制するようになるかもしれません。
コンプレックスのあるところをよく見ていくと、親や社会から間違ったメッセージを受け取り、生まれながらに豊かに持っている才能を「嫌うべきモノ」だと誤解していることがとても多いのです。
● 生まれながらの才能は、ちょっぴり「過剰」
このおしゃべりな子は、長じて、どんな人になるでしょうか。
相変わらずおしゃべりかもしれません。でも、話す内容をものすごく検閲して、相手を不快にさせないようにいつも神経を使うようになり、人と一緒にいると気を使いすぎるので長い時間はもたなくて、すぐに一人になりたがるかもしれません。
あるいは、あまりに自分が人を不愉快にさせないかが心配で、うなづくばかりで何も自分のことを話せなくなるかもしれません。そうすると、もともとある豊かな感受性と想像力は、自分一人の内的世界で自分を慰めるファンタジーを作り出すようになるかもしれません。
こうなると、あの子供の頃の、くったくなく四六時中、いろいろなお話を聞かせてくれていた少女の面影がまったくない、なんてこともあります。
でも、「ホンモノの彼女」は、正反対の人のはずです。
この人が、コミュニケーション、特に言語表現に、生まれながらの才能を持っていることは明らかです。そして、この人がそれを自由に表現している時、朗らかにおしゃべりをしている時が、本来、一番魅力的なはずです。
でも、大人になる頃には、自己開示すること、関係性のリーダーシップを取ること、自己表現をすること、想像力を誰かや何かのために駆使することのすべてがコンプレックスになっていて、やろうとするたびに古いかさぶたを引き剥がすような「痛み」を感じて、躊躇するようになっているかもしれないのです。
生まれながらの、ナチュラルな才能は、「悪い」わけではないのですが、往々にしてちょっぴり「過剰」なのです。
子供の頃は、その加減も、使い方も、場面もよくわからないので、「空気を読めない」と叱られるのですが、何を叱られているのかがよくわからず、勘違いの自主規制をするようになります。それが、脳内で絶え間なく繰り広げられる「ダメ出し」です。
コンプレックスは、「魅力」や「才能」に「ダメ出し」しなければならないと思ってしまったという、「誤解」なのです。
そこに気づけたなら、「ダメ出し」したくなる自分の心に「待った」を出して、「ひょっとしたら魅力かも」、「ひょっとしたら才能かも」と、受け容れる意欲を持ってみてくださいね。