コンプレックスの正体とは
コンプレックスとセクシャリティは、心の奥底で深く結びついているようです。それほどに私たちはセクシャリティを「悪いもの」「汚いもの」と思っているようなのですが、それこそ大きな誤解です。あなたのセクシャリティは、あなたの魅力の源泉。「幸せ」と「親密感」をもたらしてくれるものです。
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こんにちは。みずがきひろみです。
コンプレックスとセクシャリティは、心の奥底で深く結びついているようです。それほどに私たちはセクシャリティを「悪いもの」「汚いもの」と思っているようなのですが、それこそ大きな誤解です。あなたのセクシャリティは、あなたの魅力の源泉。「幸せ」と「親密感」をもたらしてくれるものです。
● いつから自己嫌悪していましたか?
誰しも、何らかのコンプレックスを持っているものですが、それはいつ頃始まりましたか?
小さい頃からうっすら感じていたかもしれませんが、それが自己嫌悪として強く意識するようになったのは、小学校の中学年くらいだったのではないでしょうか。
小学校に上がると、「運動神経がいい」子や「勉強がよくできる」子がもてはやされ、「かわいい」子がマドンナになるなど、お友達と自分を比べては、自分がどうやらモテているようだ、いや、人気がないようだと、優越感や劣等感を覚える場面が増えてきます。「キモい」と言われるようなイジメが起きるのも、この時期からと言います。
これは、10歳前後に第二次性徴期に入り、女の子ならば生理が始まる、男の子ならば夢精があるなど、身体が大きく変化し始めることで、自意識が刺激されて、常に、他人と自分を比べては、自分は大丈夫なのだろうかと不安になりやすいからだと言われています。
自己嫌悪は、思春期に入り、セクシャリティが上がってくるにつれて、他人の目を意識する、それも、異性の目を意識するようになってより強く感じるもののようです。
● セクシャリティは罪の匂い?
子供は、自分の性器や「ウンチ」や「オシッコ」など、自分の身体や身体から出るものに興味津々です。無邪気にオモシロイのです。
ところが、思春期に性欲が高まってくる頃には、その無邪気さが失われて、自分のセクシャリティをどこか、「いいものではない」、「汚い」と思うようになります。これは、家庭や社会の刷り込みもありますが、それ以上に、自分の身体が成長し、大人になることで、家族の中の関係性が変化することへの不安と怖さが罪悪感を膨らませるからではないかと考えられます。
日本では、子供は大事に守り育てられていることが多いせいか、自立して大人になることを楽しみにするより、不安や恐れの方を強く感じるのでしょう。また、親の方も子供をかわいがるので、子供としては、大人になることでその関係性を変えてしまうことに罪悪感を覚えるようです。この「大人になりたくない」ココロが、無意識に、自分のセクシャリティを恐れ、嫌い、攻撃し、抑圧する、もしくは、「無い」ものとしてスプリットしようとするのです。
自己嫌悪は、「自分はいいものではない」、「自分は醜い」という強い思い込みを、自分の顔や身体、性質、性別、家系、学歴、才能などの「変わりにくい」ものに投影して嫌います。いったいどれほど、私たちは、自分のセクシャリティを、許しようのない「罪」だと思っているのでしょう。
● それって個性。それって魅力。
例えば、私が、自分の「鼻」が嫌いだとしたら、鏡を見ても、エスカレーターに乗っていて反対側の壁にチラと映る自分の姿を見ても、「鼻」が見えます、よね。当人的には、どうにも「鼻」が大きすぎて許せない(小さすぎる場合もあるかもしれませんが)。もう少し小さければ(大きければ)、上を向いていなかったら、高ければ、毛穴が目立たなければ、自分はもっと愛されたはずだし、運がよかったはずで、人生全ての様相が違っていたはず、と思うわけです。
「鼻」のせいで行きたい学校に行けなかったわけでも、着きたい職業に付けなかったわけでもないでしょうけれど、全部、「鼻」のせい、なのです。
でも、もし、「鼻」が、「自分が嫌っている自分」の姿の象徴ならば、それもあながち違っていないわけでもないかもしれません。
セクシャリティは、人が生きる源のエネルギーです。人が魅力的に見えるのは、この「生き生き」としたエネルギーが発散されているからで、この生命の力に吸い寄せられるように人はお互いに惹きつけ合います。
「自分が嫌っている自分」の正体が「(自分の)セクシャリティ」だとしたら、私は、「(自分の)生きる力」を嫌っているわけで、それは、自分の、人を惹きつける「魅力」を嫌っていることになりますし、自分の「魅力」を嫌うということは、人との「つながり」や親密感をも投げ打っていることになります。それは、心の「引きこもり」といっていいかもしれません。だとすれば、頑張っていても、人生は楽しくないかもしれませんね。
あなたが自分を嫌っているところは、あなたがご自分のセクシャリティを感じるところだとしたら、ますますイヤな気持ちになりますか?もしかしたら、それは「目立つ」ところかもしれません。人と少し違っていて、ちょっぴり規格外なところかもしれません。とすれば、それこそ「個性」です。「魅力」です。
自分一人では、なかなか、そうは思えないものです。あなたの味方になってくれる友人に、どう見えているか聞いてみてください。「そこが可愛い」と、きっと受け容れてくれているはずです。あなたに受け入れられない個性も、他人には何の問題もないか、「魅力」にすら見えているものなのです。