応援する人でありたい

日差しが強くなり、緑が鮮やかに感じられる季節になりました。

先日母の誕生日に、コロナ禍で帰省ができないのでせめてもと、電話で「お誕生日おめでとう。」を伝えました。

「元気にしてる?変わりはない?」と、母はいつもと同じように私の様子を気にかけてくれました。
「大丈夫、元気だよ。」と答えると、「がんばりすぎないでね。」と母が言ったんです。

「がんばりすぎないでね。」と母に言われたのは初めてでしたし、実は「どうしてわかるの?」と驚いたんです。
年度始めから仕事が忙しく、心理カウンセラーの活動も私なりに取り組んできて、少し疲れを感じていたからです。

私の母は、いつも私を応援してくれる人です。
小学生のとき習いごとで、中学の部活で、受験、社会人になるとき、結婚したとき、離婚したときも、そしてカウンセラーになりたいと言ったときも。

「やりたいことをやっていいのよ。あなたなら大丈夫。今が一番いいときなんだから。」
いつもそう言って背中を押してくれたんです。

今でこそ母にいつも応援してもらってきたと感じられていますが、以前の私はそう思うことができませんでした。

仲のいい母と妹の間に入ることをためらいあきらめて、自分から距離を置いている状態でした。

私が夫婦関係のことで悩み離婚を考えるようになったときも、両親に相談することができないでいました。

「なんて言われるんだろう。こんな私は受け入れてはもらえない。」と思い打ち明けることができず、両親に報告したのは、離婚することを決めてからでした。

家に帰り両親に離婚すると話したとき、父は黙って聞いていました。
もう一度考え直すように言われるのかと思っていたのですが、そうではありませんでした。
「帰ってくればいいよ。」父は言いました。

実家の2階のベランダに出て、ひとりでぼんやり庭を見下ろしていると、母が隣にやって来て言ったんです。
「ようちゃんなら、またすぐに結婚できるわよ。」 

今離婚する話をしたばかりなのに、結婚?!
私はとても驚きました。

結婚生活をやり遂げることができなかった情けない私。
離婚をする私はダメな人間だと、自分を責めていました。

あの時の母の言葉は、
「あなたの選択は間違ってないよ、大丈夫。がんばってきたの知ってるよ。」と言ってくれているようでした。
私の苦しい思いをわかってくれて、がんばったけれどうまくできなかった私を受け入れてくれているんだと感じられました。
母の隣で黙ったまま、ハナミズキの白い花を眺めていたことを思い出しました。

「がんばりすぎないでね。」という言葉も、あのベランダでのときもそうでした。
いつも母は私のことを見ていて応援してくれている。
そして父も。

そう思えると、お腹のあたりが温かくなり、自分が存在していてもいいんだという気がしてきます。
地面の下に根が伸びて、ぐらぐらしていた幹がしっかりしていくように感じられたんです。

私が自分を否定し責め、もがいているときでも、応援してくれる人がいました。
自分を応援していないのは私自身でした。
応援があったから、私はあきらめたくないと思えたし、立ち上がることができました。

この応援がどれだけ嬉しかったか、どれだけ励みになったか。
応援してもらってきたからこそ、私は生きてこれたし、カウンセラーになれた。
だから応援したいんです。私にも応援させてほしいんです。

私は「がんばってね」という言葉を使うことが減りました。
その代わりに、「がんばっているね」「がんばったね」「応援してるよ」「祈ってる」「あなたなら大丈夫」そんな言葉が増えました。

心理カウンセラーになりたいと思ったのも、
「あなたは今のままで大丈夫だよ。がんばってるの知ってるよ。いつも応援してるからね。」と伝えたかったからなんだと思います。

応援のかたちはいろいろあります。
メッセージを伝える。見守る。信頼する。尊重する。感謝する。
誰かを心から応援し続けることで、私自身が周りから力をもらえるように感じるんです。

私の応援したい気持ちは、きっと母譲りです。
応援されてもらってきたこの力を、今度は私から循環させていきたいと思っています。

この記事を書いたカウンセラー

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「私にはなんの魅力も価値もない」と自己嫌悪し、自分を隠してきた生きづらさを乗り越えたことから、お客さまの中に隠れている魅力や才能を引き出し、本来の自分らしさを取り戻すことを大切にしている。 やわらかな雰囲気を持ち、どんなことでもやさしく受けとめてもらえた、前向きになれる、と好評である。