8月に思い出す映画『父と暮らせば』

8月になると、思い出す映画があります。
『父と暮らせば』という2004年に公開された映画です。

劇作家・井上ひさしさんのお芝居を映画化したもので、あらすじはこんな感じです。

* * *

舞台は1948年、終戦から3年後の広島。
原爆によって、目の前で父親を、そしてたくさんの友人も亡くした美津江は、1人で暮らしています。
大切な人々の死は、そのどれもが美津江の責任ではないのだけれど、「たくさんの人を見捨てて生き残ってしまった自分は、幸せになるべきではない」と堅く自分に呪いをかけて生きています。

なのに、1人の男性に恋をしてしまうのです。

幸せになることを禁じる自分と、幸せを求める自分。
その葛藤が、亡き父の姿(幽霊)となって現れます。
自分の想いを抑えつけてなかったことにしてしまおうとする美津江。
ありのままの自分で良いのだと、美津江の恋を励ます父。
2人は寄り添いながら、葛藤に向き合っていく……

* * *

私はこの作品を観たときに、とても衝撃を受けました。
なぜかというと、「これは私の話だ」と感じたからなんです。
私は、大切な人をいっぺんに大勢亡くした経験もないし、被爆したこともありません。
だけど、美津江の生き方に自分を重ねて、同じだ!と感じました。

この映画が公開された頃の私はというと、結婚しようと思っていた恋人と別れたばかりでした。
私が浮気をして、私の方から振ってしまったんです。
そんな自分のことを信じることも許すこともできなくて、私は、自分のことがわからなくなっていました。
大切な人をひどく傷つけてしまった罪悪感から、
「私は幸せになるべきではない。こんな思いをするくらいなら、もう二度と恋はしない」
と自分に強く呪いをかけました。

戦争で傷ついた美津江。
恋人を裏切って傷つけた私。
ぜんぜん同じどころか、反対なんじゃないの? と思いませんか?
私も書いてて、あれ? 美津江は被害者で、私は加害者……真逆じゃないか……って思いました。

だけど「私は幸せになるべきではない」と自分に呪いをかけて生きているところに、この主人公と私は同じ思いを共有しているなと感じたんですね。

当時の私は、本当にボロボロでした。
自分がしでかしてしまったことがあまりにも罪深く思えて、こんなクズでダメな私はこの世界から消えた方が平和のためだと本気で思っていました。
こんな私に誰がした? と、ちゃんと育ててくれなかった親を憎み、そもそも人間を大切にしない社会が悪いと恨みました。

でも、誰を恨んでも憎んでも、「やっぱり自分が悪い」というところに戻ってきてしまうんです。
こんなに取り返しのつかない罪をおかした私の人生は、もう一生幸せに向かうことはないだろう……と、毎日生きることが本当につらかった。

そんなときに、『父と暮らせば』を観たのでした。

映画の主人公は、原爆によって大切なものをたくさん失っていました。
だけど、ある日ある人と出会ったことで、恋心が自分の中にうまれた。
そしてその芽を大切に大切に育てようとしていました。
その姿に、私は心打たれました。

人の苦しみにはもちろん優劣も軽重もつけられないのだけど、私は、自分よりももっとずっと大変な経験をしている美津江が、こんなにまっすぐに人を愛したいと願い、その願いのために自分の傷を乗り越えようとする姿を見て、背筋を伸ばされたような感じがしました。

「私ももう一度、自分の人生を大切にしたい」
そう思うきっかけをもらったような気がします。

映画のラストに、そよそよと風が吹くんです。
その風が、とても静かに、爽やかで。
「もう幸せになっていいんだよ」って、そっと私たちの背中を押してくれているように感じました。

どれだけ苦しくても、どんなに自分のことをダメだと感じていたとしても。
「それでも、あなたは生きていて良い」
この物語には、そんな切なる願いがこめられているのだと思います。

いま、「こんな私は幸せになるべきではない」と感じている方がいたなら。
この映画に救われた私に、今度はあなたを応援させてください。

それでも、あなたが生きていることが素晴らしい。
そして幸せになることを、もう自分に許してあげてくださいね。

8月に涼しい風が吹いてくると、私はいまでもふと『父と暮らせば』を思い出すのです。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

職場の人間関係をきっかけにうつ病になった経験を持つ。夫婦関係を見つめ直し心身ともに回復してきたことから「彼との距離が遠い」「人に頼れない」など恋愛・人間関係のご相談を得意とする。なんでも話せる安心感と、深い共感力に定評がある。クライアントの魅力や才能を引き出すことを大切にしている。