幼少期の母親と子供の距離感は、その後の人間関係の「距離感の土台」となる
心理学では、自分と他人を区別する境界線のことを「バウンダリー」といいます。母親との関係性が近すぎるとバウンダリーが曖昧になりやすく、人の感情に振り回されやすくなります。また、母親との距離が遠すぎるとガードが固くなり、人を自分の心のなかに入れにくくなります。
今回はバウンダリーの視点から、過干渉(距離が近い)と放任主義(距離が離れている)についての考察をお届けいたします。
◆過干渉:母親との距離が近いパターン
母と子が近い距離感ではバウンダリー(心の境界線)が曖昧になり、母と子の感情的な区別がつけにくくなります。これを母子癒着といいます。癒着というのはぴったりとくっついている状態のことをいいます。
母親が子供に抱く愛情は特別なものがあり、ときには自分の分身のように感じてしまうことがあります。無意識に自分の子供に「子供時代の自分」を投影してしまうこともあり、自分のことのように子供を扱ってしまうことがあるのです。
子供の宿題に手を出しすぎて親が代わりにやってしまうとか、テストの点数が低いとまるで自分に低い点数をつけられたようで落ち込んだりもします。子供を自分のことのように扱うと踏み込みすぎてしまうのです。
過干渉の背景にあるのは、親側の「不安」だと言われています。親が子供に対して「あなたのことを思って言っているのよ」ということの多くは、じつは「自分が不安にならないため」に言っていることが少なくないようです。
さらに、癒着というのはふたりを接着剤でくっつけたような関係なので、子供にすれば至近距離でずっと母親の感情を受け止めているような状態になります。自分と母親の感情の区別がつけにくくなるのです。
すると「お母さんが悲しいと私も悲しい」「お母さん嬉しいと私も嬉しい」というように、感情がお母さんとくっついてしまうのです。私の感情はお母さん次第となり、自分の感情を後回しにするようになります。
対人関係では、お母さんにいつもそうしていたように、相手の顔色や感情に敏感で、自分よりも相手のことを考えるようなところがあります。人に対して思いやりがあり、仲良くなることが得意な傾向があります。みんなが笑顔でいることをいつも願っています。
◆放任主義:母親との距離が離れているパターン
一方、お母さんとの距離が離れている人は、人と距離を開ける傾向があり、親密な関係を作ることを苦手に思う人が少なくありません。
「私は必要とされていない、私は愛されていない」と感じる経験がちょっと多かったのかもしれません。「自分なんていてもいなくても同じ、自分は人から受け入れてもらえない」と思い込んでいる人もいるようです。
これはお母さんとの距離感が離れていたことにより、充分に安心安全な感覚を得られなかったときに感じやすい感覚です。お母さんとの距離感があることで、バウンダリーが固いままなので、自分のハートの中に人を入れにくくなる傾向があります。つまり人に心を許すことが少しこわいのです。
人が自分に近づいてくると、嬉しさではなく居心地の悪さのほうを先に感じてしまう人もいるでしょう。とくに好意をもたれるとどう振るまえばいいのかわからなくなり、その場から逃げ出したいような気分になる人もいます。
すべては親密感に慣れていないことから起こっています。子供の頃からさみしさをまぎらわすための術をもっているので、ひとりの世界にこもりがちなところがあるのです。
自分の気持ちを言葉で表すことへの苦手意識があることが多いため、「何を考えているのかわからない人」に見えることがあります。ひとりで考える、ひとりで抱える心の癖がそう見せているのです。
お母さんにそうしていたように、自分が欲しいと思うものを遠くから見ているだけで、自分の手に取ることに戸惑いやためらいをもってしまうことがあるようです。さみしさをよく知っているからこそ、本当は誰ひとりさみしくない世界を作りたいと願っています。
<最後に>
バウンダリーの視点から過干渉と過保護について考えてみましたが、いかがでしたか?
なかでもお母さんとの距離感の影響が出やすいのは、恋愛と結婚についてです。いちばん近い人との関係性ですので、パートナーとの関係性で再現されやすくなるのです。それについては次回に引き継ぐことにいたします。
(続)
- 人間関係に悩んだら心の境界線をチェックしよう
- バウンダリーの視点から考える過干渉と放任主義について
- お母さんとの距離感から作られるあなたの恋愛パターン
- 境界線という意識を身につける