相談者名 | N |
最近うつ状態です。 ですが、ずっと鬱状態かといわれたらそうではなく波がある感じです。 調子が良い時は散歩したりゲームしたりと普段通り過ごせます。 鬱状態に陥ると「邪魔だからさっさと消えろ。死ね。」などと自分を責めてます。 このような考えになったのは仕事だと思います。 将来についてなのですが、私は軽度のASDを持っており主治医からは職場を変えようとと言われました。 | |
カウンセラー | 近藤あきとし |
Nさん はじめまして。 今回担当させていただく、心理カウンセラーの近藤あきとしと申します。 どうぞよろしくお願いいたします。 メールを読ませていただきました。 少しでも楽になれるように精一杯の返信をさせていただきますね。 > 最近うつ状態です。 ずっと鬱状態というわけでなく、調子の良い時もあるのだとしたら、鬱の時がしんどいのはもちろんですが、良い時の波の頂点から調子が落ちていくときの落差も苦しさにつながっているのかもしれないですね。 せっかく最近良くなってたのに、とか、また落ちてしまった、とか。 > 鬱状態に陥ると「邪魔だからさっさと消えろ。死ね。」などと自分を責めてます。 邪魔者が目の前にいると、当たり前ですけど誰でも嫌な気持ちになります。 自分を責めている時は本当につらいです。 > 酷い時は自殺の方法や遺書を残してからさっさと逝ってしまおう。と考えて実行の準備を始めたりします。 自らを消してしまいたいくらい自己嫌悪があるとしたら、そこにはまるで自分を生きていてはいけない存在、許されないくらい罪深い存在のように感じるNさんがいるからなのかもしれません。 でも、本当に死んでしまいたいのかと言うと、そうではない気がするんです。 ひょっとするとNさんの心の底では、今までの生き方では得られなかった何かがあって、今度はその本当に欲しかった「本物」で心を満たしたい、あるいは自分が「本物」になって人生を充実させてたい、そんな喜びの中で生きていきたいという願いを感じているからなのかもしれません。 でも、今のままではそれは手に入ることはないと感じると絶望しかなくなります。 また私たちは自分を責め過ぎていると、今度は感情を抑え込もうするんです。 するとだんだん心が麻痺して無感覚になったり、疲れきってしまってやる気が無くなって、最後には何も感じられなくなっていきます。 この時の『感情を抑え込む蓋』になるのが『怒り』だと言われています。 おそらく今のNさんの心も、たくさん溜め込んだ怒りという蓋が感情を抑え込んでいるものの、普段はその怒りも心の奥に沈んでいることでゲームや散歩ができるのでしょう。 そして自覚がないとは言え、喜びや情熱などの生きる気力になる感情のエネルギーが抑え込まれているので、生きるとは反対の方向へ行くしかないように感じられてしまうのだと思われます。 だとしたら、Nさんが今の状態から抜け出すためには怒りを解放していくアプローチが大切になりそうです。 もし分かるとしたら、どんな自分への怒りがありそうですか?もしかしたら周りへの怒りもあるかもしれません。 > このような考えになったのは仕事だと思います。 もうずいぶん前からNさんの心はいっぱいいっぱいだったようですね。 私たちの自己嫌悪・自己否定というのは常に誰かとの比較(あるいは理想の自分との比較)によって生じることがほとんどなんですね。 となると常に周りを気にしないといけませんし、毎日が不安と緊張感でいっぱいになってしまうはずです。 また「自分を知られたくない」気持ちが強くなればなるほど、内面で感じていること、悩んでいること苦しんでいることも、誰かに知ってもらうことや分かち合うことも怖くなってしまうと思うんです。 自分はダメ、無能だという感覚が強くあって、その悩みを一人で抱えている時、私たちはその自分が真実なのだと思ってしまうんです。 すると懸念されるのは、Nさんが周りからポジティブな評価をされていても、まったく気づくことが出来なくなってしまうということです。 そして常にダメな自分が周りにばれたくない恐れと緊張状態が繰り返されてしまう・・・ ここまでの考え方を踏まえて私が提案したいのは、そうではない別の方向性からの見方です。 どういうことかと言うと、もっと自分にあたたかい眼差しを向けられて、周りから評価されていることも、そして自分自身の価値も受けとれるような方向性です。 私たちの心には『投影』と言って、自分の感情や思いを、周りも同じように感じているはずだと思ってしまう性質があります。 逆に言えば、Nさんが自分へのあたたかい眼差しを向けられた分だけ、周りも同じようにあたたかい目で見てくれていると感じられるわけです。 この辺りはカウンセリングでも非常に多用される方法論ですから、もし良かったら私たちカウンセラーを頼ってみてください。 > 将来についてなのですが、私は軽度のASDを持っており主治医からは職場を変えようとと言われました。 私は心理カウンセラーなので発達障害に関してのアドバイスはできかねますので、先ずは主治医のご意見をNさんがどう受け入れるかを尊重したいと思います。 ひょっとしたら、Nさんは「しなければならないこと」に随分前から縛られてはいなかったかな?ということです。 それがいつの間にか、「こうあらねばならない」とか「こうしなければならない」など、自分を縛るものになってはいなかったでしょうか? でも、私たちは今できることしかできないんですよね。 そこでNさんに提案があります。 そこにはNさん本来の遊び心やユニークさ、楽しむ心が眠っているはずです。 先ほど、怒りと言う蓋が感情を封印してしまうというお話をしました。 そんな楽しむ心を取り戻すことが、好きなことに夢中で没頭する情熱を蘇らせてくれます。 もしかしたら、今はまだ私の提案に手をつける気にもなれないかもしれません。 おそらくこの先の未来で立ち直ったNさんの前に、かつての自分を思わせるような痛みを抱えた誰かが現れた時、きっとその誰かの苦しみを受け入れ、悲しみに寄り添ってあげられる人にNさんはなれるはずですよ。 Nさんの人生が喜びで満たされる日が来ることを祈っています。 |