私は、小学校高学年のころ、クラスで話せる人は数人しかいませんでした。
当時、両親の別居もあり、家にも学校にも居場所がありませんでした。
誰にも相談できませんでしたが、
「菌がつくから、触らないで」
と、言われたときは、家に帰ってから、誰にも言えずに布団のなかで泣きました。
私の当時の夢は、誰かを助けてヒーローになって、死んでいくことでした。
誰か一人でも、私の死を泣いてくれたらいいなと、思っていました。
誰かを助けたら、その人だけは私の死を泣いてくれるのだろうと、思っていたからです。
助けた人だけは、きっと、私が生きてきたことを承認してくれるのかなと、思っていました。
私は一貫校に通っていたので、一番長い関係で14年間、短くても6年間同じメンバーで学校生活を送りました。
環境を変えたくても、過去の自分の環境を知られたまま学校生活を送ることは本当につらく、苦しい日々でした。
中学生にあがり、両親も離婚。
母に育ててもらいましたが、母も仕事に忙しく、目が行き届かないことをいいことに、私は夜、出掛けるようになっていきました。
太陽が届かない夜は、私のことを隠しながらも、居場所を与えてくれました。
両親が離婚している家庭をもつ仲間も多く、やっと私が深呼吸できる場所に出会えたと思いました。
私が私で生きていていいんだ。
私も楽しんでいいんだ。
笑ったり、盛り上がったり、お祭り騒ぎしたり。
賢そうなふりをしないとバカにされたりすることもなく、頑張ったりしなくていいんだ。
楽しいって、こんなに幸せなんだ。
菌って言われなかった。
私に触れてくれた。
私が来るのを待ってくれている人がいる。
それは、私にとって、本当に救われた経験でした。
当時の私は、家と学校だけが、すべてでした。
そこでは、私が私のままでいることは、否定されていました。
自分にとって「すべて」の場所から、自分を否定されてしまうことは、本当に辛かったのです。
でも、そこで否定されたからと言って、この広い地球のあらゆる場所から、存在を否定されたわけではありませんでした。
夜遊びし始めた私は、学校でも、夜遊びする仲間がちょっとずつできはじめ、高校生になったころ、やっとやっと、クラスでも毎日笑えるようになりました。
「いろいろ話を聞いていたけど、本当はいい人だったんだね」
私のことを手ひどく拒絶したある同級生から、面と向かって言われました。
噂されていたんだなぁと、傷つきもしました。
でも、学校に毎日負けてなるものかと、戦い出かける思いで登校したことが報われた瞬間でもありました。
学校の花壇に、ひまわりがたくさん咲いていた時期でした。
もし、今、所属している会社や、家庭、学校といった集団にもし、居場所がないと感じていらっしゃる方がいましたら、ぜひ、どこか、だれかに出会ってみてください。
たしかに、同じパターンを繰り返すということもあるかもしれません。
でも、そこは本当にあなたの居場所ではないよと、教えてくれているのかもしれません。
他の場所で、受け入れてもらう経験をすることで、心の余裕ができたり、受け入れてもらえるような人の眼差しや、声かけを信じてみようという意欲となってくれることがあります。
そのことで、もしかしたら今所属している場所でも、誰かひとりぐらいは受け入れようと思ってくれている人を見つけられるかもしれません。
誰もいない場所で戦うには、限界があります。
光がまったく届かない、真っ暗闇で戦うようなものです。
でも、誰かひとりでもいてくれたら。
一筋の光となってくれます。
真っ暗闇にいるとき、一筋の光がどれだけ頼りで、命綱で、心強く感じるでしょうか。
誰かを助けて死にたいと思っていたあの頃、その人だけはきっと泣いてくれるからと思っていた私は、助けてほしかったのです。
一緒に泣いてほしかった。
一緒に笑いたかったのです。
だから、私は、カウンセリングでは一緒に泣きます。一緒に笑います。
出会ってみて、ください。
出会いが、人生を変えてくれます。
私どもでなくてもいいのです。
でも、私はこれを読んで、同じような苦しさのなかでも生きていてくださっているあなたに出会えたらうれしいなと、願っています。