変わりたいと思うけど変われない理由
何か問題を抱えて、カウンセラーと話をし、あるいは心理学を学び、あるいは何かの出来事をきっかけとして、抱えた問題の根源が自分自身にあることに気が付くことがあります。
もちろん、問題には、過去の環境や親子兄弟との関係、パートナーとの関係、恋愛問題、仕事の人間関係、仕事がうまくいかないなど、自分以外の何らかの外的要因が関与しているのですが、もっぱらその外的要因のみに原因があるわけではなく、自分自身と、その外的要因が今の自分の問題を作り出しているわけです。
世の中は、生きにくいものです。
様々な価値観やルール、観念などが渦巻いており、社会で生きていく以上それらに晒されてしまうことは普通にあります。
だからと言って、それに極度の影響を受け、翻弄されたり、自分を責めたりすることで、問題の火種が炎上していき、問題化してしまいます。
この生きにくい世の中をどのように生きていけば自身が抱えた問題を解決できるか、あるいは今後問題を抱えるリスクを減らせるかを考えると、過去の出来事や他の人、置かれた環境自体を変えていくことはかなり難しいと言っていいかもしれません。
もちろん、過去の出来事に関する誤解が解けたり、置かれた環境が変化したり、あるいは他の人が変わったりすることがあります
例えば、どうしてもそりが合わなかった上司が転勤することもあれば、他人に何らかの出来事があって他人が変化することもあります。
しかし、根本的にはそれらは自分から見た場合コントロールできない事柄です。
では、どのようにすれば問題を解決することや、問題化しないことができるのかと突き詰めた時に行きつく先は、自分を変化させることです。
自分は、自分でコントロールすることができる唯一の対象です。
なぜならば、自分が変化しようと決めるだけで、前に進み出すことができるからです。
自分を変化させる対象には様々なのもがあります。
起こった出来事に対しての認知(どう捉えるか)、認知から生じる人との接し方などの行動パターン、自責のパターン、自己価値の問題、持っている観念やルール、過去の出来事の解釈、自己概念など枚挙にいとまがないかもしれません。
これら全ての事柄が複雑に絡み合い、そして全体的な自分自身のパターンを作り出しているのです。
従って、これら多くの事柄を一度にガラッと変化させるのはとても難しいことです。
ある種の完璧主義の人は、全てを変化させないと問題を解決できないと思いがちですが、必ずしもそうではありません。
自分の中にある何かが変わると、変わろうとする意志がある限り、まるでオセロゲームのように次から次へと変化が生じていくものなのです。
もちろん、変化に時間がかかる課題もあれば、そうでない課題もあります。
自分が変化しやすい事柄から変えてみようと思うことこそが、とても重要なのです。
自分自身を変えたいと思った時には、必ず抵抗が出てきます。
私たちは、自分を守りながら“成長”してきました。
何かを経験し、あるいは誰かから教えられて身につけた様々なもので身を守りながら今の自分を形作ってきたわけです。
従って、変化することは、今まで身に着けてきた鎧を脱ぎ捨ててしまうように感じ、まるで無防備になってしまうような怖れが出てくるのです。
そうすると、あれこれ理由をつけて“変われない”というもどかしさに陥ります。
その理由は人により様々ですが、自分が自分でなくなってしまうように感じたり、人や組織に負ける感じを抱いたり、誰かにつけこまれるのではないかと感じたりといった塩梅です。
「これだけは譲れない」という事柄が怖れにもとづいて出てくるのですね。
ここで重要なのは、では、変わらなくていいのか、変わるのかという選択です。
これは結構難しい選択です。
しかし、これはあなた自身にしか決められない選択なのです。
この選択もスパッといくかというと、必ずしもそうではありません。
例えば、病院嫌いの人が病院に行くときには、苦しさや不安が病院嫌いに打ち勝って自ら行こうとするわけです。
これと同じように、今の状況が自身の心のどこかでまだ許容できると思っていると「変わる」という選択ができないわけです。
これはこれで、私はいいと思うのです。
まだ許容できるので変わらないという選択を自身でしているのですから、そのことさえ意識していれば、それも自己肯定です。それを責めるものではありません。
一方、変わることを選択した場合にも怖れを源とした様々な抵抗が生まれます。
私たちは変化に対してとても怖がりなのです。
その一つが潜在意識や無意識と顕在意識との綱引きです。
頭では変わりたいと強く思っていて、変わらなければならないと思っているけど変われないのですね。
朝になると登校できない、出社できないという人達の中には、朝その時間になると本当に発熱してしまう人がいます。
そして登校や出社をしなくてもよいということになると、発熱は嘘のようにスッと引いてしまいます。
当の本人は、頭では「行きたくない」と思っているわけではなくて、「行かなければ」「行くぞ」と思っているのですが、学校や会社で感じる感情が苦しくて、体を使って「行きたくない」と訴えているわけです。
これが潜在意識と無意識のなせる業です。
同様に、頭では変わろうといくら思っていても、潜在意識や無意識が変化に納得していない場合は、容易に変化することができません。
顕在意識でいくら思っても、潜在意識や無意識の抵抗が強い場合には、なかなか変化することを受け容れないのです。
しかし、変化できないことに焦り、自身を責める必要はありません。
人間の中には顕在意識という自分と、潜在意識(無意識)という自分がいて、それぞれ別の人間が棲んでいると思ってください。
私たちが何か相談をして行動を決める場合には、相手の話を聞こうとしますね。
それと同じように、ご自身の潜在意識という自分とよく会話をしてみることです。
力ずくで何とかしようとするのは逆効果です。
変化したくないのには、その根源に“怖れ”があるからです。
潜在意識の層には、傷ついた過去の出来事やそれに伴う感情が埋もれています。
それを理解し、感じてあげることがとても重要です。
まるで、小さな子供と向き合うように・・・。
このプロセスを経ることで、潜在意識や無意識と顕在意識との綱引きはやがて終わります。
そうすると、変化しようとする自身の気持ちを前に進めるようになります。
(完)