私たちはどこか「【本当に感じている気持ち】を【素直に表現すること】が一番難しいもの」なんですよね。
だからこそ、私たちは分離感を選んででも、「今の自分の気持ちを相手に伝えたい」「私の今の心の状態を変えずに守りたい」と感じることがあるのです。つまり「どれだけ素直になろうと思ってもそれがとても困難に感じる」状態。
気合いや根性・愛情の問題ではなく、本当にそれが難しい状態もあるんです。ただそれが生む大切な人との間での誤解、というものもあるんですよね。
さて、前回のテキストでは、私たちは分離感を選んででも、「今の自分の気持ちを相手に伝えたい」「私の今の心の状態を変えずに守りたい」と感じることがある、と書きました。
そういった姿は一見すると、どこか自己中心的な態度のようにも見えますよね。
例えば、パートナー同士でお互いにケンカしているときに「私はこう思う、私はその気持ちは曲げない」「あなたが間違っているといいたい」という気持ちは、とてもかたくなで頑固なイメージを相手に与えるでしょう。
中にはそう感じているご本人も「私が僕が頑固で、譲れないからいつも喧嘩になってしまうんですよね・・・」とおっしゃってくださる方もいらっしゃいます。
「でも、どうしてもケンカになってしまう、自分の気持ちを変えることが難しい・・・どうしてなんでしょうか?私が、僕が愛情を持っていないから?それとも何か問題があるのでしょうか?」
そんな本音をカウンセリングの現場にいるとお聞きすることがありますね。
私たちはどこか「【本当に感じている気持ち】を【素直に表現すること】が一番難しいもの」なんですよね。
これを言い換えれば、心の中の本音は言いにくく、本音ではないことほど言いやすい、ということ。
簡単な事例でご説明すると
「お友達が最近どうも食べ盛りで体重が増えている様子。久しぶりに会ったら明らかに太っている」としましょう。
そんな時なかなかダイレクトに「あ、めっちゃ太ったね!」とは言いにくいものですよね。
「最近どう?ストレスため込んでない?」「ねぇ、何かあったの?」となんとなく本音をごまかすような言葉を使うことってないでしょうか?
だから、「本当は大切にしたい人を大切にできない」というお悩みがあるなら、そうなってしまうことはある意味自然なこととも考えることができるんですよ。
もちろん「だから私は間違っていないのだ」と開き直りすぎたり、そう相手に言い放つのは、ある意味「相手の気持ちを無視していること」と思いますが、しかし「そうなってしまうことで過剰にご自身を責めなくてもいい」のかもしれませんね。
そしてこれは私たちの言葉だけでなく、心の中、つまり「感情」としても同じことが言えるんですよね。つまり、あなたの本音に付随している感情は感じがたく、表現しがたいもの。逆に、普段自分を隠すために使っている感情は表現しやすいということなんです。
先に書いた「パートナーとのケンカ」をこの考え方をもって見つめてみるならば。
ケンカはまだしやすい・・・つまり「怒り」は表現しやすいということなんですよね。そしてこの怒りは「表現しやすい」ぐらいに「本質的に表現しがたいと感じている思いや感情」とはちょっと違う可能性がある、ということ。
よく女性の皆さんからのご相談で「彼は夫はどうして分かってくれないんでしょう?」という怒りに似た感情に触れさせていただくことがありますが、これは本当に表現したい感情ではないことって少なくないんですよね。
(パートナーの前で何もしゃべらない、黙り込んでしまう、という行動も「受動攻撃性」や「引きこもり」という名の怒りの表現である場合もあります。)
そこで、じっくりお話を聞くと、そこには悲しさ、さみしさ、つらさもあれば、毎日感じている分離感やパートナーに必要とされていない・役に立っていないと感じる無価値観・罪悪感が眠っていることがあります。
ここで、少し想像してみてください。
本当は親密感を感じたい、そばにいて安心感を感じたい相手の前で「分離感や無価値感」を感じていたいと思うでしょうか?
・・・きっとそれが一番つらいことですよね。
まだ距離のある人間関係ならば、それもまだ耐えられるかもしれない。けれど、一番大切だと感じている人の間でその感覚を感じるならば、それはどれだけ感じたくないことか・・・。
だから私たちはその感情にフタをする(心の中で感じないようにブロックする)ために「怒り」を使うことがあるんですね。
(「うん?でも私は平気だ」と思うときがあるとしたら、よっぽど感情的な抑圧が強いか、もしくは、実は「平気だ」と思わなければいけないぐらいに、そもそも「平気ではないこと」と認識している可能性だってありえます。)
つまり、大切な人との間で生じるケンカなどの対立構造やそこで生まれる「ネガティブなコミュニケーション」には、そもそも「本音がない」という事が少なくないんです。
相手が怒っている・・・その怒りがすべてのメッセージかというと、そうとは限らないんです。
しかし、怒りというのはとてもエネルギッシュでインパクトが強く、怒りは感じると怖れを伴いやすい感情ですから、つい「相手は怒っている」という認識で終わることがあったり、その怒りを何とか収めようとすることを考えることが多いようんですね。
そして相手の怒りを見て「これだけ怒っていると言う事は・・・私のことが嫌い?そんなに憎い?ダメだってこと?」と、自分の中で答えを出し始めてしまうことも多い。これが相手への誤解につながったり、大切な人とのコミュニケーションの前提になってしまうことも少なくないんです。
だからどこか「大切な人う上手く大切にできない、ぶつかってしまう」時というのは、どこかお互いに言いたいこと、胸に秘めていることは他にある。もしくは、まだそのご本人も感じ切れていなくて分からない。そんな状態になっていることが少なくないのです。
なのでカウンセリングなどでは、ゆっくりそう言った隠れた感情に気づいていただく時間や、その感情を開放していくアプローチをとることがあるぐらいです。
ただ、そうは言えどもなかなか素直になれないことってないでしょうか?
実は、どこか「どれだけ素直になろうと思ってもそれがとても困難に感じる」状態、気合いや根性・愛情の問題ではなく、本当にそれが難しい状態もあるんです。
次回はその事例についてテキストを続けてまいります。