覚悟を決めた方がかえって楽

先日3回目のワクチン接種を受けました。
過去2回いずれも当日から体調不良になり、2回目に至っては39度近い熱が四日間近く続き死ぬかと思いました(本当に死ぬわけじゃないんですけど)。
だから、それもあり今回は接種当日から数日間は何も予定を入れないようにしていました。

接種を終えた後、15分ほどの経過観察の後、案の定少しずつ頭痛が起こり始め、「嫌な予感がする。家に帰って今日の夕方あたりからきっと動けへんやろなぁ…。夜にはもう倒れてるやろなぁ。今回はどれぐらい苦しむんやろ…」などと暗い気分で帰路につきました。
この時は本当に暗い気分だったんです。
ところが、意外にも自宅に戻ってから夕方までしばらく全く体調に変化がなかったので「今回はもしかして何もなし?このままで終わり?大丈夫なんかな?」
しかし基本ネガティブな私です。「何もなしで済むはずがない。何もなしでうまくいく方がおかしい。何かあるはずや。いや、何かないとおかしい。」と全く体調の変化がないことに気持ち悪さを感じながら、時間は刻一刻と過ぎてゆきました。
何もない方が良いのはよくわかってますよ。頭では。
でも明らかに落ち着かないんです。そわそわするんです。
気になって気になって何も手につかず物事に集中できません。

まぁ問題だらけが当たり前の人ってうまくいく方が気持ち悪いんですよね。
その人の感覚としては「問題があって当たり前、問題がない方がおかしい。」と問題があることや上手く事が運ばないことが前提になっていて、問題がなく平穏無事に進む方が不自然なんですよね。
そんな感じ方がいかに自分の人生を効率悪いものにしているか。
普段、人にはそんなことを偉そうに説きながら、私もこのザマです(泣)。

そんな事を思いながら、夕刻になり徐々に体調が悪くなり始めました。
そしてついに体がざわざわしはじめ節々が痛み始めました。
これって明らかに発熱する前兆ですよね。
でもね、ワタクシ安心しちゃったんですよ。
これからどんどんしんどくなり地獄の1丁目を練り歩くことがわかっているはずなのに。

「あー、やっと熱が出た。」
「これだけしんどくなったんだから休んだって文句は言われんだろう。」
「これだけしんどいんだから休んだっていいですかね?」
「これだけ酷い目に遭っているんだから許して貰えるでしょうか?」
とてもほっとしました。
休む大義名分ができてやっと安心できたってとこでしょう。

なぜかここで不思議なことに許されたような気になりました。
誰に許されたんでしょうかって?
いろんな人?多分社会の目ですね。
でも変な安らぎを覚えたのは確かなんですよね。

まぁ普通に考えれば、38度近い熱が出て体調が悪くてしかもワクチン接種の副作用となれば大抵の人は休むなとは言いませんよね。
でも、ここまでしないと休んでいいっていう許可が出ないんですよね。
しかし、それではあまりにも払う代償が大きすぎますよね。

ずっとこの感じ方から離れることができなかったので、これまでの人生でも多分他の人よりは休みを取ることに対してかなりハードルが高くて しんどい思いをしてるはずなんですよ。
それを考えれば「もう充分。それだけやったんだから休んだっていいじゃない」と思ってもよさそうなものですが、もともとワタクシ、ハードワーカーだったので休む事自体がとても苦手な人間だったんです。
休んでいる方が落ち着かない。だって自分だけサボってんじゃないかと申し訳ない気分になるから。

でも今回はあえて休む事にコミットメントすることにしました。
目の前の問題に関わると決めてしまえば自分の中に覚悟ができます。
その問題を放置しておくよりも、覚悟を決めて問題に取り組むことで問題自体との距離感は近くなります。
逆に距離をとっている度合いだけ人は分離感を感じやすくなります。
分離感とは自分と相手との心理的距離。
その距離が遠いほど実態が見えにくく不安や恐れなどネガティブなものが入り込みやすくなります。
一方距離が近いほど相手の実態はわかりやすいので不安はさほど感じにくくなります。
つまり覚悟を決めて問題に向き合った方がむしろ楽だったりすることもあるんですね。

熱にうなされながらそんなことを感じた数日間でした。
今はすっかり元気です。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛や夫婦関係などの男女関係から、親子や対人関係、ビジネスまで幅広いジャンルを扱う。 問題の中からお客様の輝きを見つけ出すことをモットーに、「どんなことも許容される”安心感”」を与えるカウンセラーである。 粘り強く問題と向き合う姿勢から「非常に丁寧に話を聞いてもらえる」と評価が高い。