自分の「あたりまえ」の枠で子どもを見ていませんか

 ■子どもにイライラしていた理由はわたしの焦りと不安だった

わたしの息子の話です。息子は「新学期」が苦手な子どもでした。
必要以上に頑張らないと!と思いやすかったり、聞くだけではうまく処理できない情報を視覚で補ったり、必要以上の話し声や雑音を不快に感じたり、緊張しすぎたり・・・。

そんなこんなが重なるせいか、2、3日続けて登校すると、疲れはてて学校を休んでいました。

「頑張っているんだろうなあ。」
「疲れはててしまったんだろうなあ。」

そうは、思っていましたが、こういう息子を見ていると、やはり、イラッとしていました。

学校にも毎日通えないようでは社会に出て働くことなんかできないんじゃないか?
もうちょっと頑張れなければ、これから先どうするの!
ほかの子はちゃんと通えているのに!
学校でしかできない楽しいことだってあるでしょ!

などなど・・。

数えあげればきりがないくらい「心配の種」は尽きませんでした。

けれど、これらのことは全て、「わたしの不安」「わたしの怖れ」の現れなのです。

■ その常識やルールは本当に必要?

わたしの考える「社会でうまく生きていくために必要なこと」と当時の息子の状態を見比べたとき、「息子はうまくいき生きていくために必要なことを身につけていないじゃないか!」と感じているのは、わたし自身で。つまり息子の行動を見たわたしが焦ったり不安になったりしていたのです。

息子を育てる中で、わたしが学んだことの1つは、「わたしの思う常識やルールは絶対ではない」ということです。

わたしが今まで生きてきた世界では「毎日、コツコツ積みかさねること」や「我慢すること」「他人の気持ちを考えて言いたいことを控えること」「目上の人の言うことを聞いて従うこと」などはうまく生きていくための要素でした。

ですから、その要素を守らないと失敗したり苦労したりするはずだ、という思い込みがたあったのです。

けれど、本当にそうでしょうか?

 

■ わたしのあたりまえと息子のあたりまえは違う

世の中には、先ほど上げた事柄を守っていなくても幸せに生きている人はたくさんいます。わたしにとって重要な要素であっても、他人にとってはささいなことであることもたくさんあるのです。

だけど、わたしはわたしが重要だと思うことを大切にして生きてきたので、ほかのやり方でうまくいく方法を知りませんでした。

だから、自分の生きてきたやり方で息子にも生きて欲しいと思っていたのです。
なぜならば、そのやり方なら、失敗しないように先回りして教えることができますから。

ところが、息子にはわたしの生きてきたやり方が通用しませんでした。

わたしのあたりまえは、息子にとっては、あたりまえではない。

このことに気づくまで、わたしは息子のやることなすことが気にいりませんでしたし、焦ったり不安になったり腹が立ったりし続けていたのです。

 

■ 違いを認めると苛立ちは少なくなる

学校に行くのはあたりまえ。
友だちといるのは楽しいはず。
絵本はお話の順に聞くのが当たり前。

それなのに、
学校に行かない。
友達といるより一人がいい。
絵本は最後がどうなったかを先に教えてもらわないと落ち着いて聞けない。

そんな息子の行動や感じ方のひとつひとつにイライラして、「どうして、そんなことになっちゃうの!」と腹を立てていた頃。

「あんたは、おかしい!」
「あんたのやってることは間違ってる!」

そんなふうにも思っていました。

でも、もし、逆の立場になって、だれかに「あなたはおかしい」「 間違ってる」と言われたり、思われたりしたら、どうでしょう?

ものすごく嫌な気分になると思いませんか?

きっと、息子もそんな気分だったのだと思います。

わたしはイライラ。息子は不愉快。
こんな感情を感じていたら、お互いウンザリしてしまいます。

「わたしのあたりまえは、息子のあたりまえじゃない」
この視点を持てると、イライラがぐぐっと減ります。

自分との違いを受け入れる。

子育てにイライラする日々が続いたら、一度こんな視点に立ってみてはいかがでしょうか。

来週は、池尾千里カウンセラーが担当します。
どうぞお楽しみに。

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