思ったのと違う!生き方の子どもたち

子育てをしていて、わからないことって、たくさん出てきます。
そうすると、ネットで検索したり、それがわかる本はないかと探してみたり、同じお悩みの仲間はいないか探したり・・しますよね。

でも、どうでしょう。
どれも、ちょっとちがうような・・ピッタリうちの子に当てはまらないなぁ、なんてこと、ありませんか。

大人もそうですが、子どもも、ひとりひとりそれぞれ個性があります。だから、それらを一括りにした「ふつう」のやり方を使おうとすると、うまくいかないことが、出てくるのだと思います。

親は、子どもと一番近い距離にいて、子どもを見ていますから、「あれ?しっくりこない」も、よくわかるんですよね。

 

■ふつうって何だ?

子育てで悩む時、「ふつう」と違うことが、もとになっていることがあります。

ふつう、1歳になったら歩くよね。
ふつう、3歳になったらおむつ取れるよね。

もう少し大きくなったら、

ふつう、朝、学校行くよね。
ふつう、友だちと遊ぶよね。

みたいに、「ふつう」って無意識に使っている言葉ですが、「ふつう」と違うことで、親は焦るし、不安になったりもします。

子どもに対して、腹が立ってしまうことや、悲しくなってしまうこともあるかもしれません。

私たちって、自分の思う「ふつう」にいると安心なんですよね。

でも「ふつう」って、何なんでしょう。

それは、私がよく知ってるもの。
私がやってきたやり方や、状態。
大勢が同じように、やれることや、どこかに書いてあった平均値のことかもしれません。

「常識」なんて呼ばれるものも、「ふつう」という中に含まれているかもしれませんね。

 

■不登校の子どもたち

昨年は、不登校について、たくさん考えました。
子どもたちが、不登校になったからです。

学校という場所には、行くのが「ふつう」と思っていた私は、びっくりし、戸惑い、いつ行くのか、行かせるにはどうすればいいのか、私の子育ては失敗なのではないか、子どもの将来はどうなるのか・・

「ふつう」じゃなくなってしまった!
「ふつう」だったのに!

なんて、ぐるぐる考えていました。

ネット検索をし、先生に相談し、スクールカウンセリングに出かけ、本を読み、友だちにも相談しました。

右往左往していました。

 

■「ふつう」に戻そうとしていたけど

子どもたちを学校に行かせようとしていた時期は、とても大変でした。

子どもたちは、当然、とても辛そうでした。
「学校、行かなきゃいけないのに、行けない」ことで、苦しんでいました。

私も夫も、右往左往し、悩み考え疲弊していました。

叱ったり、言い聞かせたり、話を聞いたり、あらゆるやり方がうまくいきません。

ある日、夫が言いました。

「もう、(学校に行かせようとすることに)疲れた。」

私も同じ気持ちでした。
苦しそうな子どもの顔も、もう見たくありませんでした。

 

■しっくりくる場所を探して

そして、無理強いするのを辞めました。行くのも行かないのも、本人に決めさせるようにしました。

すると、ご想像どおり、静かに、しっかりと不登校になりました。(笑)

不登校が治ったわけではありませんでしたから、状況としては、良くなかったかもしれませんが、私たちも、子どもも、とても楽になりました。

その時の私たちには、それが、しっくりとくる場所だったんですね。

 

■私の「ふつう」を手放してみたら

学校に行っても、行かなくてもいい状態になったら、子どもたちは、目に見えて、落ち着いて来ました。

体調も、表情も良くなってきました。
みるみる元気になってきたんです。

こう思いました。

「あぁ、子どもたちは、私とは違う生き方で進んでいくんだな。」

子どもたちを、私の思う「ふつう」に、無理に当てはめることには、何の意味もなさそうでした。

学校に行かないのは、悪いことでも、ダメなことでもなくて、子どもたちには、これがしっくりと合っているんだなと。

そう思えたら、また、少し楽になりました。

 

■わからないという不安は

でも、少し気が楽になったといって、不安がなくなったわけではありません。

子どもたちは、私の知らない生き方をしようとしているわけですから、私にも夫にも、わからないのです。

今は、子どもたちもわからないでしょう。
でも、私たちは、それを指し示して、教えてあげることもできません。見通しを立てることもむずかしい。

わからないことは、心細く、不安なものです。
でも、わかれば、それは小さくなります。

私と夫は、「元通り、学校に子どもを戻す」ことだけを意識するより、もっと選択肢がないか、調べ始めました。すると、別の広い世界が見えてきました。

私が「ふつう」と一括りにしていた世界は、実は思ったより小さく、それは全体の「一部」であったんだなと感じました。

不登校といっても、年齢が違うことで、対応や選択肢が違ってはいましたが、いろいろなものがあり、それを必要としている子どもたちが、たくさんいることがわかりました。

元通りのやり方しかないと思っていた学校の中でも、別の選択肢がみつかったりもしました。

子どもの居場所は、ひとつじゃないことがわかったんです。

 

■思ったのと違う生き方

子どもの生き方に対する、想定や期待というのは、あまり過度にしてはいけないな、とは思っても、子供が苦労しないようにと、つい私たちの知っている道を、おすすめしたくなるものです。

でも、親である私たちの想定を超え、いろいろな意味で、期待を裏切り、子どもたちは、私たちが思ったのと違う生き方をしていくことがあります。

それは、親を超えていくことと同じかもしれませんね。

みんながしている「ふつう」といわれるものを手放していくのって、怖いものなんです。時に、孤独だったりもするでしょう。先駆者や、モデルがいないこともあるかもしれません。

それでも、子どもが、私たちの世界を広げてくれるともいえるでしょう。
もう、そうなったら、後ろからついていくしかありません。

親も、子どもを導いていくばかりでなく、後ろからついていき、応援し、支える、なんていう子育てもあることを知りました。

うちの子「ふつう」じゃないから困ったぞ!

というところから、目を上げて、子どもたちが向かうほうへ、あなたが思ったのと違う方だけど、子どもと一緒に歩いていってみてはいかがでしょう。

もちろん、おひとりではなく、パートナーや先生や、信頼できる誰かと思いを分かち合いながら。

私も、応援させていただきますね。

何かお役に立てることがあれば、嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。

来週は、いしだちさカウンセラーです。
どうぞお楽しみに。

[子育て応援]赤ちゃんの頃から、思春期の子、そしてそんな子どもたちに関わる親とのお話を6名の個性豊かな女性カウンセラーが、毎週金曜日にお届けしています。
この記事を書いたカウンセラー

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「自分らしく自分の人生を生きることに、もっとこだわってもいい。好きなことをもっとたくさんして、もっと幸せになっていい。」 そんな想いから恋愛・夫婦関係などのパートナーシッップを始め、職場、ママ友などの人間関係、子育てに関する問題など、経験に基づいたカウンセリングを提供している。