自分のパターンを変化させる方法
私たちは、目や耳などいくつかある感覚器官(センサー)で自分以外の情報を集め、その情報に基づいて行動を行っています。
例えば、私たちは主として外界との境界にある皮膚で温度を感じ、寒いと思えば重ね着をしたり、暖房の設定温度を上げたりします。
また逆に、暑いと思えば服を脱いだり、冷房の設定温度を下げたりしますね。
ところで、周囲が同じ温度であってもホラー映画を見ているときには何かゾクゾクして寒くなったような感じがしたり、熱戦を繰り広げるごひいきのチームを応援するときには暑く感じたりする経験はないでしょうか?
いずれも、センサーである感覚器官が捉えた温度の情報に何かの情報が加わって、私たちは温度を感じているのです。
すなわち、私たち自身が持つ絶対的な温度感に何らかの情報が加わって、私たちが感じる状況に応じた温度感を感じているのです。
では、実際の絶対的な温度感に加わる情報とは一体どんなものでしょうか?
それは先ほど例に挙げた、ホラー映画やごひいきのチームが熱戦を繰り広げるシーンを考えていただくとわかりやすいと思うのですが、その時心が何を感じているかなのですね。
つまり、センサーが感知した情報を「心」、言い換えれば「脳」で加工して私たちは感じているのです。
このセンサーから受け取った信号を脳で加工し、そしてそれを私たちが認識するまでの一連の働きを“認知”と言います。
ここで重要なのは、信号は必ず何らかの加工を脳で施されたうえで、私たちは認識しているということです。
すなわち、温度であれば脳で温度を感じている、視覚であれば脳で見ている、聴覚であれば脳で聞いているということになります。
では、脳ではどのようにセンサーが感知した情報を加工するのでしょうか?
それは、人類や地域社会に住む人々が共通に持っている加工方法もあれば、その人の知識や経験から来る個人の“癖(習性)”からくる加工方法もあります。
私たちは今まで生きてきた中で、様々な経験をしています。
それが良い経験であったか、悪い経験であったかはさておき、経験したことは脳の中に記憶されます。また、親や学校の先生、先輩など誰かから教えられたことや、それにもとづいて自分で考え出した事柄も記憶されます。
その記憶場所は、私たちがすぐにアクセスできる”顕在意識”の中にある場合もあれば、私たちが容易にはアクセスできない”潜在意識”や”無意識”の中にある場合もあります。
それらの記憶が、様々な形で“認知”に影響を与えているのです。
認知はセンサー情報が加工されたうえでの最終的な捉え方ですから、私たちはそれにもとづいて行動を起こします。先ほどの服を着る、服を脱ぐ、エアコンの温度を調節するというのも認知の結果の行動ですね。
そしてその行動の結果で、また自分の外側の世界(外界)が変わるのです。エアコンの温度設定を下げれば絶対的な温度が下がるといった塩梅です。そしてその温度が寒いと認知すると、エアコンの設定温度を今度は上げます。
すなわち、私たちは
外界の刺激→認知→行動→外界の刺激の変化→認知→行動
という一連の流れを繰り返していることになります。
ところで、同じパターンで認知を繰り返していると、その結果である行動も同じパターンとなり、外界から与えられる刺激もパターン化されます。
例えば、人に文句ばかり言っている(他人を攻撃している)と、疎まれたり、反撃に遭ったりしますね。それで「世の中は戦場だ」と思い、ますます他人に文句を言い、疎まれることや反撃に遭うことを強化してしまします。
例えば、「自分は駄目な人間だ」と自己攻撃をしていると、自信が無くなって、ますます「自分は駄目な人間だ」という思いを強化してしまいます。
同じパターンの無限ループにはまり込んでしまうわけです。
対人関係、自己の成長など課題は何でもよいのですが、もし自分を取り巻く環境を変化させたい、自分が陥るパターンを変えたいという思いをお持ちであれば、自分が持っている認知のパターンと、そこから導かれる行動のパターンを変化させることがよい方法だと思います。
他人や環境は、容易にコントロールできるものではありませんし、コントロールしようとすること自体がまた新たなストレスを生み出します。
自分で決めて自分でできることをすることが、外界をコントロールするという壮大な野望よりも最も現実的な選択ではないでしょうか。
では、どのように認知や行動を変化させればいいのでしょうか?
認知、行動、外界の刺激はあたかもループを描いているように、相互に影響しながらその形を作っています。
私たちが自分で変化させることができるのは認知と行動ですが、認知も行動に影響を及ぼし、行動も外界を通じて、あるいは自身の内面を通じて認知に影響を及ぼします。
従って、認知を変えることから始めても、行動を変えることから始めてもその効果は得られるのです。
先ず、認知を変えるには「自分はどうしてこう感じるのだろう」という、自身の内面にある認知に影響を及ぼしている問題と向き合うことが必要です。
認知に影響を及ぼしている事柄は、顕在意識から潜在意識、無意識まで広範囲に及んでいるものです。
私たちの潜在意識には、多くの場合、傷ついた感情が押し込まれていて、この感情にアクセスできれば根本的な変化をもたらすことができる可能性がありますが、辛い感情を引き出さなければいけないことなどからここはなかなか難しいかもしれません。
寧ろ、顕在意識か潜在意識の顕在意識に近くの比較的浅い部分にある、例えば私たちが持っているルールや観念といったところから見直しをされるのがいいのではないかと思います。
ルールや観念は、その多くが“怖れ”を核にしています。
例えば、「こうしなければならない」という考えには「こうしないと〇〇になってしまう」「こうしないと△△される」というような怖れです。
ルールや観念の中には、昔は必要であったけれども今はいらないことが分かる事柄が必ず見つかります。先ずはそれらのルールや観念を手放してみることです。
また、少し先に進めるのであれば、今も必要だと考えているルールや観念をどのような経験や誰かから教えられたことがきっかけで持つようになったのかを考えてみて、現在の視点で見詰め直してみるのも一つの方法です。
ルールや観念が無くなる、あるいは変容すれば、それに縛られていた自身の行動はなにがしかの変化をすることになります。
次に行動を変える方法ですが、どんなことでも構いませんので、自分が取り組めることから少しずつ始めることです。
少しずつ、一歩ずつハードルの低いところから段階を踏んで進める方法をお勧めします。
例えば、出社や登校したときに今まで挨拶をしていなかったとすれば、挨拶をしてみる、ニコッと笑ってみるような事柄からで構いません。
そのような行動によって、あなたの外界に与える影響が変化し、印象が変化するものです。
人それぞれですので全ての人が印象を変えてくれるわけではありませんが、少なからずあなたの印象を変化させる人が現れるはずです。
私たち人間は慣れる生物です。今までやらなかったことを始めてみる、そして継続することで、最初に覚えた抵抗感も徐々になくなっていきます。
自分を変えることは難しいことと考えがちですが、少しの勇気があれば、人は変われるものです。
少し勇気を出して認知・行動を変化させることで、自分の、そして環境は、小さい変化からやがて大きな変化につながっていきます。
(完)